宮田幸一説批判(忘備録編)

現在のわたしの問題意識(宮田幸一説に対する疑問点)を記録しておき、意見交換再開時のための忘備録とする。

1.曼荼羅には人本尊の側面もある

宮田幸一説では、以下に引用するように、日興や日尊が曼荼羅を仏と呼んでいた事実を認めている。

日興が曼荼羅を仏と呼んでいた証拠は、日興書写曼荼羅のNo.127(写真、図版なし)の「左土国一ノ谷入道孫心□寺仏也」という曼荼羅の脇書きがある。また『日興上人御本尊集』の摸刻本尊No.11の日尊の摸刻本尊には多分日尊が記入したと思われる「此本尊者本山御内仏之模写也」という表現があり、日興の弟子である日尊は曼荼羅を「仏」と呼んでいたと思われる。

宮田幸一「日興の教学思想の諸問題(2)――思想編」
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/nikkodoctrine2.html

曼荼羅にも人本尊の側面があると日興が認識していたことは以上の事実から明らかである。しかし、宮田幸一説では、本尊問答抄の宮田独特の理解に従って人本尊を否定している。日興は本尊問答抄を正しく理解できていなかったと宮田は主張しているのだろうか?

2.天台学では久遠実成の釈尊は「無師、無教の修行において成仏」

宮田幸一説では、以下に引用するように、湛然の「釈尊が無師、無教の修行において成仏した」という説に依拠して、天台学では「繰り返し顕本」が否定されていると主張する。

智顗が「先仏の法華経」について述べたことを、日隆は繰り返し顕本の文証と考えたようだが、智顗は、「別して」以下で、久遠実成の成道が本であったとしており、湛然も無教における一迷先達を挙げて、繰り返し顕本を否定していることが分かる。

宮田幸一「慶林日隆の上行菩薩=本因妙説の検討――日蓮は上行菩薩を釈尊の因位の姿として理解していたのか」、http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/nichiryuu.html

しかし日隆は智顗の上記引用に続く「別して最初成仏の時に説く所の法華の三分の上中下の語を取りて、専ら名づけて上と為し、之れを名づけて本と為す」という部分については、本迹の議論をするために、一例として述べたと解釈しているようだが、湛然はそこの部分の注釈で「一迷先達」の議論をして、釈尊が無師、無教の修行において成仏したことを述べて、繰り返し顕本を否定している。

同上

たしかに天台学では最初に成仏した久遠実成の釈尊だけは仏の中でただ独り「無師、無教の修行において成仏した」とされる。例えば、四明知礼は、湛然の上記の説を継承して、以下のように述べている(源信の質問の部分も含めて引用する)。

十五問。妙記第一決釋最初無教佛云。終有一佛。在初無教云云。疑者云。義猶未了。若許無教有佛。墮無因過。若言禀教。墮無窮過。願聞一揆矣

答。最初一佛雖無禀教之因。而有内熏自悟之因。記中示之甚明。何言墮無因耶

『四明尊者教行録』「答日本國師二十七問」、大正蔵第巻46、p.888a-b

つまり、「最初一佛」である久遠実成の釈尊は「禀教之因」は無い(=無師)が「内熏自悟之因」(=無教の修行)は有るというのが天台学の主張である。なので、天台学では、久遠実成の釈尊も法華経によって成仏したということは明確に否定されている。

ところが、宮田の独特の本尊問答抄の解釈は、久遠実成の釈尊も法華経によって成仏したということを前提としてなりたっている。しかし、そもそも、日蓮の本尊問答抄というのは、「釈迦と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。」というように天台学に依拠することを明言する書なのであるから、天台学に反する主張を前提にして本尊問答抄を強引に解釈することにはどう考えても無理があるだろう。よって、宮田の独特の本尊問答抄の解釈は破綻していると言わざるを得ないのである。

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