創価学会の52年路線とは何だったのか

現在の創価学会の体質の最大の問題点を一言でいうと権威主義である。世間では創価学会の査問とかスラップ訴訟とかがすでに問題視されているが、それらの事象はすべて創価学会の権威主義的体質に起因するものといってよいだろう。

今回は、なぜ創価学会がこのような権威主義的組織になりさがってしまったのかを考えるきっかけとして、創価学会の52年路線のことを少し振り返ってみたいと思う。というのも、わたしが見るかぎり、52年路線というのは明確に反権威主義の方向性をもっていたからである。このことを示すために、少し長くなってしまうが、昭和52年当時の創価学会の会長であった池田大作さんの講演の記録を引用しておきたいと思う。

“「創価学会」という名称は、考えれば考えるほど、じつに深い意味をもった名前であると私は思っている。
〔中略〕
「創価」の二文字には、哲学、経済、文化、教育、仏法、人間性等、すべてが包み込まれているのである。それらをともどもに「学ぶ会」が、創価学会の謂であり、本義であるといっておきたい。
「学ぶ会」との名称には、真の平等性、民主的意義が込められているということを銘記してほしい。既成宗教にはかならず教祖というものがいる。そして信者は、往々にして奴隷にも等しい献身を要求される。
 しかし、わが学会には、教祖というものは存在しない。あえていえば日蓮大聖人お一人がそのお立場である。そのもとに、われらは皆、平等なのである。もちろん、学会の創始者は先師牧口会長であるが、教祖などという存在は、わが学会のなかにはないのである。われらの間に、いわゆる位階といったものはない。手段としての組織は、現代社会にあってはとうぜん必要になってくる。しかし、それは人間を手段、部品とするものではない。その組織上の役職の相違はあるが、これは先輩、後輩の同志関係である。
「御本尊」と「御書」を根本に、互いに切磋琢磨しつつ、日蓮大聖人の仏法の真髄とは何かを学び、文化と平和に根源的な寄与をしゆくのが、わが創価学会の本義である。
〔中略〕
 神秘性をまとい、民衆を幻惑してきたのが、これまでの多くの宗教の歴史過程であったといってよい。深遠にして高邁なるものをそなえているように見せかけて民衆を従属させ、民衆を思うがままに操ってきた、これまでの宗教のあり方は、まさに〝宗教悪〟といってもよいだろう。
 われわれは、どこまでも権威主義を排して「御本尊」と「御書」を根本にしていくのである。“
(第三東京男子部勤行会〔昭和52年2月21日 東京・創価文化会館〕、池田大作『広布第二章の指針 第9集』、聖教新聞社、1977年、pp. 222-225)

ここに引用した池田さんの発言には反権威主義の思想が語られている。それまでの創価学会は、教義の理解という点において日蓮正宗という権威を絶対視してきていたのであるから、池田さんのこのような発言は実に大胆であったというべきである。当然、池田さんのこのような発言は、日蓮正宗の側からすれば、自らの権威に対する挑戦に見えるわけで、日蓮正宗がこのような創価学会の主張を容認するはずはなく、創価学会と日蓮正宗は大いにもめたのである。結局、この時は、創価学会が日蓮正宗の権威に屈してしまい、昭和53年11月7日に「お詫び登山」し、昭和54年4月には池田さんは会長を辞めている。

おそらく、この権威主義との最初の戦いに敗れてしまったことが、創価学会の権威主義的体質への転落の第一歩であったのだとわたしは思う。創価学会は、この敗北の後に日蓮正宗と再戦することになるわけだが、その戦いは、結局のところ、権威主義と反権威主義の戦いなどではなくなっており、新旧の権威主義の戦いでしかなかったと評価せざるをえないのだろう。創価学会は日蓮正宗との再戦に勝利したとはいえるのだろうが、その結果、創価学会の視界には自己と緊張関係にある他者の存在がいっさい欠落することになってしまった。皮肉なことに、創価学会が権威主義的体質に堕するのを抑えていたのは、じつは日蓮正宗という権威だったという側面がもしかしたらあったのかもしれないのである。

もし、創価学会が日蓮正宗との再戦に勝利した当時に、日蓮正宗の教義(日寛教学)についてきちんと総括し、過去に日蓮正宗を代弁する形で自らが行った小樽問答などについても真摯に反省できていれば、その時点で、歴史学者や日蓮宗といったさまざまな他者が、自己と緊張関係にある存在としてきちんと視界に入ってきていたにちがいない。しかし、そうしなかったのが創価学会であり、今や、自己肯定感に浸りつつ「創価学会仏」などと平気でいってしまう権威主義的組織になりさがってしまっているのである。

最後に、引用しておいた池田さんの発言についてももう少しだけコメントしておこう。池田さんの発言は、組織論としては明確に反権威主義的であるが、日蓮や日蓮の著作物に権威を認める限りにおいては権威主義的であるともいえる。さらにいうと、日蓮じしんも経典に権威を認める限りにおいて権威主義的であるといえる。しかし、経典の作者たちが権威と認めるゴータマじしんはまったく権威主義的ではなかったのであるから(http://fallibilism.web.fc2.com/048.html)、池田さんの方向性をつきつめていけば、最終的には、徹底的な反権威主義に接近していくことになるだろう。


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