本尊の形式と内容の区別の問題

日蓮の本尊について議論する場合には、形式と内容を区別することが重要である。そのことは、勝呂信静さんの『日蓮思想の根本問題』(教育新潮社、1965年)において、「形式と思想」という表現によって以下のように指摘されている。

“あまり本尊論議がやかましいので、日蓮宗では本尊が統一されていないという人すらある。しかし、本尊論議を行なっている学者も、また第三者の立場からそれを批判する人たちも、そこに考え方の混乱があって、一そう議論を判りにくくしているようである。それは一口にいうと、本尊の形式と思想とを区別しないことであると思う。形式の点からいうと、本宗には、大曼荼羅・一尊四士・一塔両尊四士などいろいろの形式がある。これらはいずれも聖人の御書に根拠があることである。こうしたものを一つに統一しなければならないという要請は、形式という点だけにかぎるとすると、それは物体によって表現され、かつ規定されているから、どだい無理な註文であるといわねばならない。しいて統一するならば、一つを選んで他を捨てるより仕方ない。けれども、本尊を思想と考えるならば、これらの形式によって意味されている思想は統一されているはずである。直接に統一されていなくても、その根底になる思想は一つであるといわねばならない。“
(勝呂信静『日蓮思想の根本問題』、教育新潮社、1965年、pp. 144-145)

今回は、このような考えがいつ頃から日蓮宗に明確にあったのかを少し追跡してみたいと思う。

勝呂信静さんの『日蓮思想の根本問題』(1965年)よりも前に、本尊の形式と内容の区別の重要性を明確に意識した発言を残している人物がいるので、その方の発言をまず紹介してみよう。その発言は小樽問答(1955年)の記録の中にある。

“質問 あのー、小平先生にご質問致します。……さきほどから、本尊問題についてかなりやかましくいわれております。……身延には本尊がないとか、あるとか、……大石寺派には板本尊があってそれが一番尊いとかいわれておりますが、……大聖人の書かれた本尊は、その時と場合によっていろいろ、その示表されておるところの、その形式が多少異なっております。……しかしながら我々は、そういう本尊の形式にこだわっておったのでは誠にこれは繁雑なことでありまして、……いったい本尊そのものが何を表現しているか、本尊は、本尊そのものが有難いのか、本尊に表現されておるものが有り難いのか、そこのところをはっきりとさせてもらいたいなと思います。……  恐らく本尊に表現させておるものが……、何を表現したのか、……何があるか、それをお伺いしたい。……本尊に表現されたその内容そのものが尊い、尊い。……だからしてそれを写し出したところの本尊も尊いということになる。……要するに今は違うけれども、……元は陛下は尊い。……であるからしてそれを写したところのお写真も尊いということになる。……であるから、その内容はどういうふうにあんたが把握しておられますか、それをお伺いしたい。“
(「創価学会と日蓮宗の『小樽問答』再現記録」、『現代宗教研究』第40号、日蓮宗宗務院、2006年、p. 662)

上に引用した発言において、本尊の形式と内容を区別することの重要性が明確に意識されているのは間違いない。なので、1955年の時点では、すでにこのような考えが日蓮宗にあったといえる。ここまでは過去にブログで指摘したことがあるのだが(http://fallibilism.blog69.fc2.com/blog-entry-18.html)、今回は、このような考えが、井村日咸さんの『日蓮聖人の宗旨』(統一団、1924年)において「實體と寫象」という表現ですでに語られていることを以下に指摘しておきたい。

井村日咸さんの『日蓮聖人の宗旨』は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており、本尊の「實體と寫象」について語られている部分(第二章第二節)のURLは以下である。

井村日咸『日蓮聖人の宗旨』(統一団、1924年)の66ページ~
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969706/43https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969706/43

一部を引用しておこう。

“斯様に本門の本尊が我等の前に顕示せられたのは、在世八品の間丈であるが、如來の滅後に於ては、正法千年像法千年の間には、此本尊を信ずる人も無く、弘むる人も無くて終つた、末法に入りて二百二十餘年再び此御本尊が顕示せられた、それは末法弘通の大導師上行菩薩の再身としての日蓮聖人に依つてゞある、然し日蓮聖人が、我等に御示し下されたのは在世の御本尊とは聊か其趣を異にして居る、如來在世の顕現は、三寳の實體其儘が現はれたのであるが、滅後の顕現は、如來は既に非滅の滅度を示現し給ひ、本化の菩薩既に在座し給はず、教法妙法蓮華經は唯文字として傳持せられて居るのであるから、其實體を有の儘に現はすことは出來ない、そこでこれを文字を以て圖顕せられた、此時が即ち文永十年七月八日、佐渡の國一ノ谷に於て始めて之をお示しになつた、此を佐渡始顕の本尊と云ふ、滅後末法に於ての最初の顕示である此御本尊は本門の本尊の實體を文字を以て模寫したもので、在世本門八品の時の説教の儀式を文字を以て示したものである、今日の所謂御眞影の意味と同じ事に成るのである、今日の様に技術が發達して居らぬから、實物其儘を模寫する譯には行かぬ、“
(井村日咸『日蓮聖人の宗旨』、統一団、1924年、pp. 68-69、https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969706/44

“斯様に聖人の本尊顕示は其本尊の實體を文字を以て模寫せられたのであるから、後年或は文字の代りに繪畫を以て其姿を寫したり、又は彫刻を以て、其姿像を顕はしたりしたものが出來た、今日では寺院の本尊は彫刻の木像を多しとする様の狀態であるが、此等は要するに其模寫の本尊を通して本尊の實體たる常住實在の三寳諸尊に結付くのであるから、文字であつても繪畫であつても木石金銀の彫刻でも、其に依つて信仰を喚起するものであるならば何物でも差支無い、“
(井村日咸『日蓮聖人の宗旨』、統一団、1924年、p. 71、https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969706/45

前掲の小樽問答の質問者の発言の中には「要するに今は違うけれども、……元は陛下は尊い。……であるからしてそれを写したところのお写真も尊いということになる」という部分があったのであるが、これは、『日蓮聖人の宗旨』にある「今日の所謂御眞影の意味と同じ事に成るのである」という記述に完全に一致する主張である。この質問者は、おそらく、『日蓮聖人の宗旨』に依拠していたのだと思われる。井村日咸さんは立正大学の学長をされたほどの方なので(1943年)、小樽問答(1955年)の時点では、「實體と寫象」という考えは日蓮宗ではそれなりに広く知られていたのかもしれない。

勝呂信静さんが『日蓮思想の根本問題』(教育新潮社、1965年)で指摘された、本尊論議にみられる「考え方の混乱」は、現在もまだ根強く日蓮系の教団に残っているのではないだろうか。少なくとも、小樽問答の時点の創価学会員(小平芳平さん)は、前掲の小樽問答の質問者の発言に対して「今のご質問は何を質問しているか私には掴めない」(前掲「創価学会と日蓮宗の『小樽問答』再現記録」、p. 663)と正直に回答されている。創価学会が、小樽問答の時点において、本尊の形式と内容を区別できていなかったことは間違いないだろう。創価学会は小樽問答について、いまだに何の反省もしていないから、現在の創価学会も本尊の形式と内容をほとんど区別できていないだろう。

創価学会のように、いまだに本尊の形式と内容を区別できていない人たちが多くおられる現状を考えると、井村日咸さんの『日蓮聖人の宗旨』がもっと多くの人に読まれることが望まれる。ちなみに、河村考照さんが『日蓮聖人の宗旨』の現代語訳を出されている(国書刊行会、2017年)。



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