宮田幸一説批判(メール編)

わたしは去年(2024年)の11月から宮田幸一さんとメールで意見交換を行ってきたのだが、その途中で宮田さんが別件で多忙となってしまい、その意見交換は中断されることになってしまった。宮田さんのご都合により、再開はだいたい1年後になる予定である。

わたしと宮田さんの意見交換の記録は、宮田さんのホームページ(http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/index.html)で公表されることになっているが、意見交換が中断になってしまったのでまだ公表されていない。

わたしが今の問題意識を1年後までずっと持ち続けることは困難だと思うので、わたしじしんが後で思い出しやすいようにするためにも、わたしが宮田さんに送ったメールのうちから2通を選んで以下に公開しておきたいと思う。

2024/11/21 12:17
宮田さん

ご返事ありがとうございます。藤重です。

【末期ガンで治る見込みがない人に告知すべきか】というような問題に普遍的な正解などないと思いますので、宮田さんのお考えが間違っているというつもりはわたしにはありません。

あと、わたしが「池田大作さんの過去の誤り」と言ったのは、池田さんの過去の主張の中で前提とされている事実レベルでの誤りのことです。例えば、「百六箇抄」と「本因妙抄」を日蓮が発信したものとしているなど。

池田さんも「真摯な学問的成果なら、大いに受け入れるべきでしょう。」(『法華経の智慧』第一巻、聖教新聞社、1996年、p. 91)と言っていますし、須田さんもこのことじたいに異論はないでしょう。なので、「百六箇抄」や「本因妙抄」を日蓮が発信したものであるといいはるのは無理であるという「真摯な学問的成果」を「大いに受け入れ」て、過去の誤りをわかりやすい形で訂正すべきだとおもいます。『新版御書全集』で格下げになっているというだけでは、学問的成果の受け入れとしてはとてもわかりにくいし、あまりにも消極的すぎて「大いに受け入れ」ているとはとても言えないだろうというのが正直な感想です。

宮田さんの見解は、公表はするが「あまり学会員の目に触れることがないようなfacebookやHPで」とのこと。公表されるのであれば、とてもありがたいことです。勉強させて頂きます。 facebookはやってないので見れませんが。

わたしと宮田さんとの間にある日蓮理解の相違で、法華経および日蓮遺文の国語的解釈としてどちらか一方の理解だけが許容されて他方は許容されないというレベルで決着しそうな点というのはどういったところがありそうでしょうか。

わたしが宮田さんの説で最も受け入れがたいと思っているのは、第一番成道の釈尊(久遠実成釈尊)も法華経によって成道したというような主張です(わたしの誤解ならばもうしわけありません)。第一番成道の釈尊によって最初の法華経が説かれたというのがわたしの法華経理解です。

わたしじしんは、第一番成道の釈尊の因位の修行(本因)である観心を一念三千の観法とみるのが天台学からの結論だと思っており、日蓮もそのように理解していただろうというのがわたしの日蓮理解です(「一念三千が本因である」、http://fallibilism.blog69.fc2.com/blog-entry-43.html)。

宮田さんは、法華経のタイトルと一念三千の観法の関係を日蓮がどのように理解していたとお考えなのでしょうか。

以前に、わたしは事理相対という説明(「六重の相対」、https://note.com/libra2020/n/n19eb9a6e7f24)を考えてみたことがありますが、宮田さんのお立場からするとどういったところを受け入れがたいとお感じになられるのか教えて頂ければさいわいです。

2024/11/26 14:40
宮田さん

ご返信ありがとうございます。藤重です。

議論が混乱するので、以下、五百塵点劫成道の釈尊を「久遠仏」、インドで生まれて亡くなった釈尊を「釈迦」と表記することにします。日蓮は久遠仏も釈迦も「釈尊」と言うことがあるという前提です。久遠仏以外の仏(迹仏)はすべて久遠仏の垂迹(「所変の諸仏」)だと言うのが日蓮なので、すべての仏は久遠仏であると言う言い方も可能であろうと思います。

久遠仏は観心によって成道して最初の法華経を説いたというのが天台学ベースの法華経の神話だとわたしは理解しています。久遠仏は中間の仏ではなく最初の仏であるというのが天台学の主張だと理解しています。よって、天台学では久遠仏が所生で法華経が能生という議論は否定されると思います。ゆえに、天台学を前提として書かれている『本尊問答抄』を宮田さんのように理解するのは無理があるというのがわたしの考えです。『本尊問答抄』は迹仏と法華経の勝劣についての説明を含んでいると理解するのは妥当であると思います。

日蓮は法師品の説明を踏まえて多宝塔には仏の遺骨だけでなく法華経もおさめられていると理解していたから「塔中の妙法蓮華経」と言っていると思います。文字曼荼羅の中尊は多宝塔の中の法華経をあらわしていると思います。日蓮に法華経を本尊とする考えがある以上、「経を本尊とするのはおかしい」という考えに対する反論を準備しておくことの意義は小さくないと考えます。『本尊問答抄』の価値を低く評価するわけではありません。

日蓮には、久遠仏は五百塵点劫いらい法華経という形でこの世に存在しつづけているといいますか、法華経と久遠仏を同一視するような考えがあり、かつ、法華経と久遠仏との間に勝劣をみるようなことはなかったというのがわたしの日蓮理解です。

日蓮は「寿量品の仏を造立せる伽藍」「本門の教主の寺塔」の出現を期待していたし、「寿量の仏」の「仏像」の出現を期待していたことから考えても、日蓮に法華経と久遠仏を相対して法華経を選択するというような考えはなかったとわたしは考えます。

〇「寿量品の仏を造立せる伽藍」
「答て云く 月支・漢土・日本国の二千二百三十余年が間《 》寺塔を見るに、いまだ寿量品の仏を造立せる伽藍なし、清舎なし。」
(「断簡 二三一」)

〇「本門の教主の寺塔」
「仏滅後一千八百年に入つて日本の伝教大師世に出現して欽明より已来二百余年の間六宗の邪義之を破失す。其上天台の未だ弘めたまはざる円頓戒之を弘宣したまふ。所謂叡山円頓の大戒是也。但し仏滅後二千余年三朝の間数万の寺寺之あり。然りと雖も本門の教主の寺塔、地涌千界の菩薩の別に授与したまふ所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず。経文には有つて国土には無し。時機の未だ至らざる故歟。」
(「波木井三郎殿御返事」、日興写本あり)

〇「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る。正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。」
(「観心本尊抄」)

宮田さんはわたしの上記の考えに同意されないと思いますが、わたしのように考えることは国語的には可能だと思いますがいかがでしょうか。

「唱題行の後に何をなすべきかは、定かには述べていない」というご意見ですが、名字即から観行即に進んでいくべきであるというのは述べるまでもないことだったのではないでしょうか。『法華玄義』でいうと「仏は既に心を観じて、此の本の妙を得れば、迹の用は広大にして、称げて説く可からず。我が如は仏の如に如す。亦た当に心を観じて、此の大利を出だすべし。」というようなところです。日蓮も「阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。」(十章抄)といいいます。「朝暮に摩訶止観を談ずれば」(「松野殿女房御返事」)という晩年の日蓮もふるまいでそれを示していたのではないでしょうか。

日蓮は「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」(唱法華題目鈔)という考えを晩年になって変更した、というのが宮田さんのお考えなのでしょうか。

「各品の冒頭にある「経題」としての「妙法蓮華経」の五字と、妙法五字とは、教義的に内容が異なります。」という点については、おっしゃっていることが理解できません。法華経は法華経に言及しています。各品の冒頭だけでなくストーリーの本編の中でも法華経のタイトル(経題)が明かされています。五百塵点劫より已来、変わらない経題(言語的な相違は除く)で説き続けられているというのが法華経の神話であるとわたしは理解しています。

「二人だけの共有にするのももったいない」という点には賛成ですが、facebook はとっつきにくいですね。しかし、せっかくの宮田さんのお誘いですし興味はあります。すでに参加されている方にはどういった方がおられるのでしょうか。

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