夫のうつ病と家族の絆
夫がうつ病になったのは、長女3歳、長男生後4ヶ月の時。
その前の半年間に生活が激変。
私が切迫早産になったため、予定より早く、長女を連れて里帰り出産のために実家に戻り、夫はその間ひとり暮らし。
夫には、留守中の食事は定食屋さんや職場の食堂でバランスよく食べてね、と伝えていた。しかし、夫は3ヶ月ちかくの一人暮らしのあいだ、アスリート並みの運動をしていたのに、外食が嫌いでパスタをゆでて何もかけないで食べていたという。栄養失調を起こしてしまっていたのだろう。
第2子を生んで1ヶ月、合計3か月弱の留守を終えて家に戻った。ちょうどそのころ、夫は職場で昇進して個室を与えられ、日中に人と話す機会が減ってしまっていた。
それから2ヶ月後、「心臓がおかしい、救急車を呼んでくれ」と夫に夜中に起こされ救急搬送。そのまま入院。2週間もの間、心臓を始めあらゆる検査をしたものの原因がわからず、夫は次第にうつ状態に。結局、メンタルの異常が体に出ていたと診断され、大学病院の精神科を紹介されて「うつ病」という病名に。そして搬送先の病院からはひとまず退院となった。
今から20年前の当時は、私の身近にうつ病にかかった人はなく(あるいはカミングアウトしている人はなく)、うつ病が今ほどは社会でも認知されていなかった時代。
紹介されて通い始めた大学病院では、精神科の担当医師が夫と相性が悪く、夫は診察の度に否定され、落ち込まされ、受診するごとにうつ状態がどんどんひどくなっていった。
夫は職場にうつ病のことを相談せず負荷の高い仕事を続けていた。私はこのままでは夫がもっとひどくなってしまうと心配だった。仕方なく子供を託児所を探して預け、夫の上司の自宅に相談に行った。幸い上司は理解のある方で、すぐに夫の仕事の負担を減らしてくれた。
しかし、次第に夫はパニック発作も起こすようになり電車に乗れなくなったため、大学病院には、定期的に私が赤ん坊を連れて薬をもらいに行った。この先どうなるのだろうという不安から、電車の中で、6ヶ月の赤ん坊を抱っこしたまま涙がぽろぽろこぼれて仕方がなかった。
夫は感情の制御がしにくくなり、時には3歳の娘にまで暴力をふるった。
夫は死のうとしたことも何度もあった。包丁を持ち出したり、高いところに登ったり。自暴自棄に車で出ていこうとした夫を止めるため、車の鍵を奪って窓から投げ捨てたこともあった。
当時は2人の子どもと私たち夫婦だけで社宅に住んでいた。夫の実家には相談できなかった。私の実家にも、夫がうつ病だと言ったら、子どもを連れて別れて帰ってこいと言われそうで、相談できなかった。
次第に私の神経も疲れ果てていった。
しかし、ある日市の広報誌に『精神相談』という連絡先があるのを見つけ、思いきって電話してみた。
その時、私の話を聞いてくれた市の職員の方が、
「奥さん、あなたが抑うつになっています。まずはあなたがかかるお医者を紹介しますので行ってみてください。」
と、あるメンタルクリニックを紹介してくれた。
夫と2人でその医者にいった。お医者さんは夫と私が今までの経緯をすべて話すのを、黙って聞いてくれた。40分も。初めて共感してくれる先生に出会え、「治る」と信じることができた。
先生は、まず私や家族を休ませるために、夫を「入院させましょう」と提案してくれた。
そこで入院の準備を整えて指定の病院に夫を送っていった。しかし入院手続きをして病室に入った夫は、病棟の精神疾患の患者さんたちを見てショックを受け、その日のうちに入院を取り消して病院から帰ってきてしまった。
「自分はあの人たちほどひどくない、入院していたらもっとひどくなってしまう」と思ったという。夫の気持ちもわかった。家族のそばのほうがいいよね。共感してくれる先生を頼みに、自宅で休息して定期的に通院、服薬しながらの生活が始まった。
クリニックでは、私にも薬を処方してもらった。
受診するたびに、先生を信頼する気持ちが芽生えていった。
夫の定期的な受診には私が付き添っていた。それは、夫が先生に話した後に私から夫の様子の補足をするため。
うつ状態の時、記憶はあいまいになったり忘れっぽくなるらしい。前回の診察以降の1、2週間に起こったことを、夫は忘れてしまっていて診察の時に先生に話せない。家族にとっては忘れられないようなショックなことも。
だから薬がどう効いたのか、効かなかったのか、診察から診察までの間の生活の様子を先生に正しく伝えたくて、伝えたいことはいつも診察前にメモにまとめる。
もし、ご家族がうつ病でいつも一人で受診している方がいたら、ご本人が嫌がらなければ、時々でも診察についていってあげてほしい。家族からみた様子も先生に伝えることで、お医者さんに正しく判断してもらえるかもしれない。
うつ病の家族にどうやって向かい合えばいいのか。当時はうつ病患者の家族向けの本があまりなく、今のようにネットでググればなんでもわかるという状況でもなかったので、私はこの本だけで勉強した。
「うつ病患者と家族の支援ガイド : 精神科医の診療最前線 」
大阪精神神経科診療所協会うつ病診療研究グループ 編著.
プリメド社, 1998.4.
ISBN 4-938866-07-2 : 2700円
すでにこの本は絶版だが、まだAmazonで中古本を売っていた。
夫の病気が落ち着いたのちに、私がAmazonに投稿したレビューを引用しておく。
『レビュー:はっぱ
★★★★★
うつ病患者の家族として、病気を乗りきる大きな力になりました
2004年9月29日
形式: 単行本
夫がうつ病になった時、家族としてどう対処したらいいのか、大いにとまどいました。
様々なうつ病に関しての本を読みましたが、この本に出会って、家族として一番いい対処のしかたがよくわかり、絶対治ると信じて夫を支えることが出来ました。
本書は本来、精神科のお医者様向けで、患者と家族に対して、どう支援するかをまとめたものですが、家族が読んでも解かりやすかったです。
一緒に暮らす家族のつらさをよく理解してある本書に元気づけられ、妻として病気の夫に向き合いつつ、自分の心の状態もキープすることができたように思います。
うつ病を乗り越えられた者の家族として、今ご家族のうつ病に向き合っている方にぜひおすすめしたい一冊です。 』
夫が感情を爆発させたときは、3歳の娘を抱きしめ、こう言っていた。
「パパは◯◯ちゃんが嫌いなんではないんだよ。怒りんぼの病気なの。」
今はもう成人した娘。パパとは仲が良い。でもやはり怒ると怖いのを知っているので、いつも怒らせないように注意している。
関東に住んでいるのに、北海道で震度1の地震があったというニュースを聴いて、「怖い」と泣いた夫。
車でトンネルに入ると、パニック発作が出る夫。
うつ病やパニックは、ふだんは頑強な夫を別人に変えていた。
お布団に膝を抱えてうずくまり、「消えたい。消えたい。リセットしたい。」と言っていた。
「死にたい」とは決して口に出さなかった。家族がいるから責任を感じていたのだろう。
朝は起きられず、昼近くにどんよりと死んだ魚のような目でお布団からのっそり起きだし、少しだけご飯を食べてまた布団にもどる生活。
本来の夫とはかけ離れた姿だった。でも生きているだけでいい。そこにいるだけでいい。
うつ病の人は頑張って、頑張ってきた人。
脳のエネルギーがたまるまで、ひたすら休むことが必要。
そばで見ている家族はつらいが、見守ることしかできない。
生きているだけでいい。そう自分にも言い聞かせていた。
必ず治る。
6ヶ月の休職。
私の実家の祖母が亡くなった時、実家には、夫がうつ病であること、目を離せないので葬式に夫を一人おいては帰れないことを伝えた。
その時、実家の父から「家族みんなで休みにくればいい」と言われて驚いた。
実家の父の友達には、うつ病の方と躁うつ病の方が1人ずついたのだという。そしてその方達を通して、本人の辛さや家族の辛さをよく知っていたのだそうだ。
家族を丸ごと受け入れてもらい、ありがたく実家に身を寄せ、しばらく療養させてもらった。父と母に心から感謝した。
「薄紙をはがすように」という言葉があるが、夫は少しずつ少しずつ回復していった。嬉しいけれど、波があるので良くなったと喜びすぎないように注意していた。また夫に波が来た時、私ががっかりして落ち込んでしまうことになるからだ。
夫は中高カトリックの学校を出ていたのでもともとキリスト教の素養はあったが、うつ病からの回復期にたくさんの宗教書を読み漁っていった。そして瞑想をしたりお経を読んだり精神世界について学んでいた。
夫は短時間勤務から復職し少しずつ少しずつ慣らしていき、およそ1年半ほどでほぼ普通の生活に戻ることができた。
それからは無理をしない生活を心掛けた。
夫の病気を経て、私たち家族の考え方はこう変わった。
毎日生活できるだけでありがたい。
仕事に行けるなら、なおありがたい。
子どもには頑張りすぎなくてよい、と伝えて育ててきた。
学校に毎日通っているだけでも、ほんとにすごいこと。
夫はその後、本心ではやりたくなかった元の仕事を辞めた。そして介護の仕事をしたり、派遣社員として働いたり、無職の期間を何度か挟みながらも、現在の職場にはすでに10年近く継続して務められている。
時給が安いとぶつぶつ言いながらも、自分の仕事が人の役に立っていると実感できる仕事に就き、今では毎日楽しそうに働いている。
楽しそうに働く夫を見られることはとっても幸せ。
夫が元の仕事を辞めた時、専業主婦だった私も非常勤で仕事に就き、今では昔の職歴と非常勤時代の経験を活かして一般企業の正社員として仕事をしている。
私の実家の両親は、夫が働けるだけでも良かったと喜んでくれる。
子ども達は、それぞれ高校、大学時代に一度ずつ燃え尽きを経験しているが、夫のうつ病の経験があるので、家族みんなで支えることができた。
2人ともそれぞれ燃え尽きを経験することで、自分が限界に達するまでの経緯を経験済みだから、これからの人生では燃え尽きる前に気づいて備えることができるね、と言っている。
夫のうつ病の克服を家族で支えてきたことで、家族そろって食卓を囲める幸せを実感。すべてのことにありがたいなぁと感謝して、家族の絆と、人への優しさと、生きていることの素晴らしさを感じられている。
いまツイッターを始めて、たくさんのうつ病の方、うつ病だった方に出会うことができた。みんな自分にできることを探して、少しずつ進んでいこうとしているようにみえる。
家族のサポートがある人だけではないだろう。ひとりで立ち向かっている方もたくさんいる。自分の出せる力の量を確かめながら。ゆっくりゆっくり進んでいる。
よく頑張っているね。
うつ病は治るんだよ。
生きているだけでもすごいことなんだよ。
あなたは大切な人だよ。
と伝えたい。
暗く重い体験談を最後までお読みくださりありがとうございます。
すべての人が愛されるべき大事な人。
ありがとうと微笑みを贈ります。
この私の生き方のきっかけのひとつになった夫のうつ病。
家族が協力し支えて乗り越えてきました。
それは家族をひとまわり大きく強くしてくれました。
今、うつ病と向き合っていらっしゃるみなさん。
少しずつ少しずつ良くなりますよ。
どうぞ無理せずに。
ゆっくりゆっくりで大丈夫。
あなたらしさを大事にしていってくださいね。
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