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序-B

 
「……隊長、また読んでるんですか? 

 揶揄やゆするような言われ方をしたものだから、エリクはいささかムッとしながら手にした本を閉じ、声の主である一回り年下の部下をめつけた。

「悪いか。好きなんだよ」

 傍らのスツールへ大事に置いた本の表紙には〔REPTALIAN WARS -The Record of O'GHUOS I-〕とある。エリクが生まれ育ったオード大公領、その祖にあたるオーガスⅠ世の若かりし日々を戦記仕立てに綴って大流行した大衆小説だった。

「こないだ宮仕えの伯父が言ってましたけど、それ、歴史的にはウソまみれらしいですよ。第一次レプタリアン戦役でボロ負けしたのは事実だけど、第二次戦役は割と最初から人類側おれたちはいい勝負をしてたんだって」
「知ってるよ」
「ガーズィ号が極東から帰還して東方貿易が始まったのも、第二次戦役の後。つまり、オーガスⅠ世が陸戦隊の指揮官をやってた頃、まだメセラン大陸に侍はいなかった」
「だ・か・ら。知ってるって言っただろ」

 エリクは立ち上がって、部下の二の腕あたりを肘でどやしつける。二人が身につけている鎧がぶつかりあってガシャンと派手な音を立てた。

「歴史的に正確かどうかと、物語の面白さは別の話だろうが」
「えー。俺、歴史的事実とか、そういうの無視されると萎えるけどなあ」
「心の狭いヤツめ。そんなだからいつまで経っても俺から一本取れないんだぞ」
「うわ、ソレ全然関係ないやつ。それこそ〝それとこれとは別〟でしょ?」

 二人がそんな話をしていると、部屋の扉が開いてローブ姿の老魔術師が入ってきた。

「おぬしら、まだこんなところにおったのか。そろそろ来るぞ、例の連中」
「え、本当ですか? 思ったよりだいぶ早かったな」

 剣を持ち兜を小脇に抱えて部屋を出ていく部下の気配を背中に感じつつ、エリク自身も籠手ガントレットを着けて腕当バンブレスと接続、可動部の連動を確かめていく。

「……おや、また懐かしい本を」

 エリクがほぼ装備を整い終えたところで、老魔術師がスツールの上にある小説本の存在に気がついた。

「ご存じなのですか? 失礼ながら意外でした、あなたがこうした俗な本をお読みになるイメージがないので」
「なんの、元々はわしらの世代の作品ものよ。当時はルガ・キニとの関係も今ほど悪化しておらなんだのでな。留学先だったモズモでも大層流行っておったわ」
「ああ……」

 第一次レプタリアン戦役で未曾有の危機に直面したメセラン大陸の人々は、難局を打破すべく一致団結。超国家機関〔聖ヨナン連盟〕を設立し、武力への転用が可能と思われるあらゆる知識や技術を集約させていった。当初は歩兵の主力武器となる軍用銃ソーンバスの改良、充分な防御・防弾性能を持つ重盾の開発などを主目的としていたが、やがて〔エーテル〕を知覚して自在に使いこなす精鋭兵の育成が重要視されるようになる。
 エーテルとは、この世界にあまねく存在する不可視の元素だ。一千年前に滅び去った旧帝国の絶頂期、その繁栄を日に影に支えていたのもエーテル理論とその操作技術だと言われている。水が高きから低きへと流れるのも、風が吹き雨が降り雪となるのも、太陽がひつを迎えて月となり、月がを経て太陽へと転じるのも、はたまた生者と死者を決定的に分けたるものも、すべてエーテルの働きによるものなのだと。故にこれを制御できれば、森羅万象を思うがままに操れるというわけだ。

 しかしこんにち、エーテル理論は断片的にしか伝わっていない。民生品としては蝋燭ろうそく代わりのエーテル灯や懐炉などの日用品デバイスに使われるのがせいぜい。軍事方面では騎士の剣術、聖職者の神術、ルガ・キニ朝からもたらされた魔術、そして扶桑ノ国で独自に発展し磨き抜かれた斬術キリジュツなどがあったが、それぞれ単独では大きな戦力に成り得なかった。百人に一人とも千人に一人とも言われる中から才能のある者(エーテル適性の有無)を見出し、長い年月をかけて訓練して一人前に育て上げるまで、最短でも十年余の時間が必要だったから。そこらの農夫を集めて猟銃アーキバスでも持たせたほうが使のである。

 ところが、騎士と侍が前衛を固め、神術を使う聖職者がこれを支え、魔術師が攻撃魔法を唱えきるまで守り抜くという戦術が確立すると、事態が一変。最低四名、多くて六名。わずかそれだけの近衛兵エースがひとつの部隊スクワッドを組めば、その百倍以上、五百や千の大部隊と互角以上に渡り合う絶大な戦力へと変貌を遂げたのだ。
 結果、一国一領にわずか数十名、多くても数百名の精鋭部隊――近衛隊エイセズの活躍が、戦場の趨勢を左右するようになった。かたや、数千や数万の大群が激突する戦列歩兵戦は、今や精鋭たちの活躍する舞台を整えるための前座も同然。まさに戦略的大転換パラダイムシフトの到来である。

爬牙族レプタリアンに滅ぼされまいと必死に足掻いた結果、人類われわれは逆に、爬牙族を滅ぼして余りある圧倒的な武力を手に入れてしまった。皮肉な話です」
「儂の師匠は第三次戦役の末期、掃討戦へ駆り出されたと聞いておる。東の中原までわざわざ出向いて爬牙族の集落を焼き払い、腰ほどの背丈もない幼体こどもすら容赦なく斬り捨てたと。ここまでやる必要があるのかと懊悩おうのうするほどむごい仕打ちであったそうな」
「悪魔を信仰していた蜥蜴とかげもどきには相応ふさわしい最期、と、言えなくもないのでは?」
「さてな。連中は連中で、中原の気候変動が原因の飢餓に悩まされておったという説もある。メセラン大陸への西征も、一族の生存を賭けたやむにやまれぬ選択だったと」
「何にせよ、それも私の祖父や曾祖父の代、百年以上昔のことです」

 エリクは鉄兜アーメットを被る。面頬は上げたまま、壁にかけてあった愛剣を手に取った。

「扶桑ノ国との交易は、半世紀前に途絶えてしまった。斬術キリジュツは形を変えて我ら騎士の剣術に取り込まれていきましたが、本物の侍はもういない。我ら聖ヨナン連盟にとって目下の敵は、かつて手を取り合った異教徒の王朝、ルガ・キニのみとなりました」
「あの小説本が未だに売れておるのも、わからんではない。爬牙族という共通の敵がいた前世紀の方が、人類全体にとってはむしろ幸せだったのだろう」
「私には何とも言えません。人類が信仰や文化の違いを乗り越え協力しなければ滅亡するかもしれなかった昔と、滅亡の危機が遠くに去った世界で人類同士が争い合う今。どちらがマシかと言われれば、どちらも願い下げ、というのが正直なところでは?」
「は、はは……まあ、そうだな」

 溜息交じりに言う老魔術師と共に、エリクは部屋を出る。エーテル灯が緑色がかった明かりをともす薄暗い廊下に、二人分の足音が静かに響く。

 行き着く先には、城門とまがうほど大きく頑丈な落とし格子。そしてその前には、この場を守る衛兵の他、エリクの部下全員が既に揃っていた。騎士が二人。神術を使う僧侶が一人。そして若い魔術師が一人。エリクと老魔術師を合わせて計六人の部隊となる。

「志願者も現在、この闘技場へ向かっているそうです。じきに到着すると」

 衛兵の報告に頷いて、エリクは背負っていた盾を左手へ持ち替える。オード大公領の象徴である金獅子の浮き彫りレリーフが施された、豪奢で頑丈な盾だった。

「しかし、ご褒美欲しさの浅ましい連中が……」
「よく最終試練まで来られたものだ」
「本気で近衛隊の一員になれると思ってるのかね?」

 隊員がそんなことを小声で話していたので、エリクは溜息をひとついて。

「諸君も知っての通り、我らがあるじ、大公オーガスⅢ世は、近衛隊エイセズの増強をお望みだ」

 部下の方、特に年若い者たちに向かって、訓示を垂れる。

「殿下は、エーテル適性のある者ならば出自や身分を問わず、軍の訓練場へ出入りすることをお許しになった。厳しい訓練に耐え、実力をつけ、結果を示した者を、近衛隊われらの一員として迎え入れようというお考えだ。ここまでは理解しているな?」

 大半は「もちろんです」という顔をしていたが、それでも一人、納得がいかないという態度を隠さない者がいた。エリクは「言いたいことがいるなら言え」と促す。

「しかし、エリク隊長は本当に信じていらっしゃるんですか? どこの馬の骨とも知れない連中が、我々に比肩しうる近衛兵エースになるなんて」
「可能性としては充分あるだろう。ここにいる我々のように、皆がの家柄で、両親も祖父母もエーテル適性を持っていたような、生粋の騎士でなかったとしても」
「いえ、血統や才覚の話をしてるんじゃありません。愛国心と忠誠心の問題です。もしも大公直属の近衛兵となれば、先任の我々と釣り合いを取る意味で最低でも誉士エクイテスの位が与えられます。一代限りとはいえ準貴族、一千ディアールもの土地と豪奢な屋敷が手に入る。その褒美欲しさに、傭兵まがいのゴロツキや民兵出身のへっぴり腰、果ては山賊までもが我も我もと群がってきてる。それが実情ですよ。おかげでフォート・アキュルの周辺は治安が悪化して、街の住人らはみな迷惑を――」
「つまり、大公殿下の命が誤りだと? こんな施策は失敗だから取り消せと? 殿下のはいとうに過ぎない我々が、分不相応にも殿下の下知げじに異を唱えようと?」

 その部下は顔をこわばらせ、「い、いえ、そんなつもりは」と慌てて頭を下げる。他の面々は素知らぬふりか、あるいは苦笑いを浮かべるしかなかった。

「……これは、ここだけの話だが」

 エリクは、恐縮して頭を下げ続けている部下の耳元へ顔を近付け、そっと呟く。

「俺もお前と同意見だ。他では言うなよ?」

 驚いて顔を跳ね上げた部下に、エリクは片目をつぶってみせて。

「思うところは色々とあるだろうがな、今は胸に秘しておけ。まずは目の前のこと、俺たちがいま成すべきことに集中しろ。……具体的にどういう意味かは、わかっているな?」
「も、もちろんです。我々は試験官として、最終試練へ挑んできた志願者に対し」
「違う、そうじゃない。もっと本質的な話だ。

 きょとんとしていた部下らの顔が、徐々に不敵な笑みへと変わっていく。

「そうだ。わかっているならそれでいい。殿下は決して、。そのことを忘れるな」

 話を終え、エリクは衛兵に指示を出す。派手な音を立てて落とし格子が跳ね上がった。まず隊長であるエリクが先んじて進み、残る五人もその後に続く。
 そこは正に闘技場だった。階段状の観覧席にぐるりと取り囲まれた円形の間は、巨象の群れが自由に駆け回れるほどの広さがある。天上はドーム状。必要充分な陽の光が採光窓から入ってくる設計だが、総じて薄暗く、独特の緊張感を漂わせていた。

(観客席に人がいる……? 元老院のお歴々、お付きの執政官も)

 初の合格者が出るか否か、よほど気になると見える。そう納得したエリクは、部下たちに「その場で待て」の手信号ハンドサインを出し、闘技場の中央まで一人で歩を進める。

 と、エリクの真正面、入場してきた場所とは真反対になる落とし格子が跳ね上がった。

 そこから出てきたのは、すなわちエリクたちの対戦相手。人数は六、うち人間ニエドが三。内訳は、リーダーらしき騎士見習いが一、軽装の斥候スカウトが一、禿頭とくとうの魔術師が一。そして、僧侶らしきドワーフ。ここまではすべて男。それから――エルフの女が二人。

(女の片方は魔術師だとして……もう片方は、まさか剣士か?)

 防具の類は最小限度で、右手にも左手にも刺突剣レイピアを抜き身でげていた。厳密に言えば左手側のレイピアの方が少しばかり小振りなようだが、非力を手数でカバーしようという工夫なのだろうか。

「よくぞ、我が軍の苛烈極まる訓練課程を修了し、ここまで辿り着いた。延べ二百十三人に及ぶ志願者の中、この場へと進み得たのは諸君らがはつとなる」

 エリクは鷹揚に話しかけつつ、内心では「まるで前口上を述べる道化ピエロだ」と自嘲する。

「我らはオード軍の近衛隊に籍を置く者。諸君らが我らの一員となりうる実力を真に備えた者であるか、それを見極めんがため、最後の試練を与えるべく参上した」

 すると、相手の騎士見習いが一歩前に出て「最後の試練とは何か?」と問うてくる。

(具体的なことは、本当に何も聞かされていないのだな)

 それも含めて近衛隊への入隊試験と理解はするが、心構えをするいとますら与えないとは。観覧席にいる為政者らが机上で組んだ教育課程カリキュラムにしては、なかなかに容赦がない。

「我らに見事打ち勝てばよし。遠慮は要らぬ、諸君の実力をここで示せ」

 エリクは後方の部下に手信号ハンドサインを送る。目で見たわけではないが、騎士たちが剣を抜いて駆け出し、僧侶が神術の準備のため聖印を宙に切り、魔術師が攻撃呪文の詠唱を始めたことは気配ではっきりと把握していた。

「お、おい、ちょっと待て、あんたらオード軍の近衛隊エイセズなんだろ?! こっちはその志願者で……まさか、味方同士で殺し合いをやろうってのか?!」

 禿頭の魔術師が慌てて叫んでいたが、エリクは兜の面頬を下げ、自らの剣を抜き放つことで答えに代えた。近衛隊の本領とは、。その力を計るにおいて、命をした実戦以上に適したものはない。

「マジかよクソッタレ、イカれてやがる……!!」

 吐き捨てたが、手にした魔法の杖ワンドと身振り手振りで慌てて魔術回路シジルを構築し始める。呪文の詠唱を省略して魔法の発動を早める実戦的な高等技術だが、いかんせん戦闘開始の決断までが遅すぎた。
 ごう、と凄まじい音を立てて真っ赤な火炎が地を走り、六人の敵を包み込む。味方の魔術師二人が繰り出した攻撃魔法が先手を打つ形になった。
 相手が常人であれば、これだけで瞬時に全身が消し炭と化すところだが。

(……ろくに効いてないな)

 鍛え上げたエリクの目には、敵が放つ闘気エーテルが魔法の炎に抗って鮮やかに輝いているのがはっきり見えていた。考えられるとすれば敵の僧侶か。ドワーフというのは総じて生真面目だ。事前に仲間を保護し、魔法の影響を退ける神術を使っていたのだろう。

 攻撃魔法の効果が切れ、唐突に炎が消え失せる。

 と、敵の前衛である騎士見習いとエルフの女剣士が猛然と前へ出てきた。後衛の魔術師らを守るため間合いを取り距離を稼ぐという意味もあるだろうが、何よりも二人の呼吸がぴたりと合っている。思い切りもいい。

(なるほど、相応の実力はあると見た。……ならば)

 エリクも駆け出し、一気に間合いを詰めていく。

(まずは確実に、数を減らす)

 わずかな動きでエリクの意図を察した部下の騎士が、二人がかりで敵の騎士見習いの方へ突進していく。隊長が得物を仕留めるまで絶対に邪魔はさせない、そのはくをもって。

 ――ガガンッ。

 轟音と共に閃光が走る。味方の騎士と敵の騎士見習いが盾を使った体当たりシールドチャージをぶつけ合い、両者の間で圧縮された闘気エーテルが逃げ場を失って派手に炸裂したのだ。巻き込まれればひぐまであっても粉々になりかねないほどの衝撃を受け止めながら、それでも両者はその場に踏みとどまってすかさず剣を繰り出していく。刃と刃がかち合って火花が散るたび、剣に込められた濃密な闘気がぜて大気を裂き地を揺るがす。

 だが、このような互角の戦いは、エリクと女剣士の間では成立しなかった。

 まずは初手の体当たり。闘気と闘気の押し合いという意味ではに見えたが、結果的には体格で劣る女剣士が押し負けた。弾き飛ばされて地に転がった女剣士に向かって、エリクは即座に闘気を乗せた剣を叩き付ける。地がえぐれるほどの衝撃。女剣士はその直撃を避けようと右へ左へ懸命に地面を転げ回り、隙あらば起き上がろうとするのだが、エリクの繰り出す攻撃にはその隙も容赦もなかった。

(女が、剣など持つからだ)

 僧侶であれば。魔術師であれば。女の身でも近衛隊に上り詰められる可能性はあったろう。しかし、騎士や剣士のような前衛となれば話は別だ。純然たる暴力のみが勝敗を決する世界において、女の身で割り込む余地などあろうはずがない。男と比して一回り小さな身体。腕も足も細く短い。つまりそれだけ間合いが狭まる。持てる武器の大きさと重さが限られる。繰り出す一撃の威力も落ちる。ひとつひとつはわずかな差でも、それら全てが重なれば大きく致命的な差となって表出する。
 どれだけ鍛えようと、技を磨こうと、

「二対一とは、それでも騎士か! 卑怯であろう!!」

 敵の僧侶ドワーフが叫びながら盾を構え鎚鉾メイスをふりかざし、騎士二人を相手に立ち回る騎士見習いに加勢する。なかなかどうしてこの僧侶も馬鹿にできない腕前で、体当たりから鎚鉾の連打へと繋げる動きによどみがない。発散する闘気の量と密度も相当なものだ。
 この動きに、エリクは。が、まさか正規の騎士が僧侶に後れを取るとも思えない。ここは部下を信じて任せ、女剣士にとどめの一撃を加えることに専念する。

(そこだ!)

 女剣士の右肩から左の脇腹へ、刃が一筋のみ通り抜けられる隙が見えた。エリクは剣の持ち方をわずかに変え、剣に込める闘気を

 それは、遠く極東の地から伝えられた侍の戦法〔斬術キリジュツ〕に由来する。威力の高い攻撃を数多く繰り出して敵を圧倒する騎士の剣術とは違い、ただ一度の狙い澄ました斬撃によって確実に相手の命脈を断ち切らんとする。故に侍たちはエーテルをではなくと呼び、これを局限まで研ぎ澄ませ、より細く、より速く、より鋭く振り抜くすべを生涯追い求めたという。

 エリクをはじめとする現代の騎士たちは、その侍たちの戦法を研究し、騎士の剣術の中へ積極的に取り込んできた。ここぞという時に闘気を研ぎ澄ませ、己の剣を媒介して細く長く鋭い不可視の刃を成し、相手の急所めがけて的確に打ち込む――。

「……なっ?!」

 弾かれた。必殺の一撃が。女剣士の手元がわずかに揺らぎ、闘気の刃が通り過ぎるはずだった場所へレイピアの刃が。そんな風に見えた。
 渾身の力で剣を振り抜いたエリクには、畢竟ひっきょう、わずかの隙が生まれる。女剣士はそれを逃さず、即座に体勢を立て直して立ち上がった。

(まさか、読まれた……のか?)

 いや、あの状況で、あのタイミングで、そんなことが有り得るはずはない。ここまで剣を交わしてきた感覚としても、女剣士がそこまでの手練れだとは到底思えなかった。

(偶然ならば!!)

 迷うことは何もない。押して押して押しまくるのみ。そう決めたエリクは再び猛然と女剣士へ斬りかかる。
 けれど、その身体になかなか剣が当たらない。かわされる。受け流される。彼女が両手に持つレイピアがひらりひらりとひらめくたび、エリクの剣は絶妙に軌跡を逸らされ続けた。

「ええい、歯痒い!!」

 けるのが上手いだけの剣士やつにこれ以上つきあっていられるか。そんな苛立ちが口をいて出た。体格差を活かして盾を使った体当たりシールドチャージを敢行。これをまともに受けた女剣士は軽く五ステナは吹き飛ばされ、闘技場と観覧席の境になる壁へ思い切り激突。血を吐いて地に伏した。肋骨の二、三本は折れたはず。これで当分起き上がることはない。

(この隙に、あの僧侶ドワーフを黙らせれば……!!)

 女剣士は二度と立ち上がることもない。こちらの前衛が敵の魔術師を狩ることもできる。一気にわれが優勢となる。そう考えて、エリクは背後を振り返る。

 その瞬間だった。

「……え……?」

 どん、と、背中に何かがぶつかってくる衝撃があった。
 背中と胸元が異様に熱い。焼けた鉄でも押し当てられているように。

「がは、っ」

 何だ? どうして俺は血を吐いている? 刺された? 背中から? 自分の胸から突き出したこれは、まさか、レイピア? あの女剣士の?
 そんな馬鹿な。あいつは俺が吹き飛ばした。血を吐いて倒れた。動けるはずがない。万が一動けたとしても、これだけの距離を一瞬で詰められるわけがない。全身に着込んだ鎧が、特別なはがねで作られた装甲が、こんな、

「……あなた、舐めてましたよね。私のことを。私たちを」

 エリクの背中側から聞こえてくる。女の声。場違いなほどに高く、澄んだ声。

「最初から、自分が司令塔リーダーだと言わんばかりで。部隊のメンバーにも手信号ハンドサインを一度出したきり。全力で叩け、とでも伝えたんでしょうけど……少しでも考えました? 

 エリクの、霞み始めた視界に、映ったのは。
 騎士見習いと僧侶ドワーフに力負けし、叩き潰された二人の騎士。そして、何の外傷もなく静かに倒れ伏した若い魔術師と老魔術師。もはや目の焦点が合わず確かには見えないが、二人の肌の色は真っ青だった。おそらく、死因は酸欠。
 馬鹿な。窒息の魔術は上級呪文。こんなに早く唱え終えるはずがない。まして、よほどの実力差がないとまともに効果を発揮しないはず。そうだ、僧侶は。味方の僧侶は何をしているんだ。祈りを捧げろ。神術を使え。俺の傷を癒せ。部隊の仲間を蘇生させろ。

 だが、そんなことを考えるだけ無駄だった。

 戦闘をむやみに長引かせないためのは、近衛隊エイセズ同士の戦いにおける基本中の基本。故に、戦闘が始まって早々に始末されていたのだ。派手な魔法の炎が敵味方双方の視野を奪っていたとき、姿
 人間ニエド斥候スカウト。軽装で、武器らしい武器など持っていないようだった。それが、闘技場に落ちる闇の中から――採光窓の光がうまく届かない場所から、ふらりと姿を現した。
 その手には、血に染まった短刀ダガーが一本。

「私は、敵指揮官あなたの注意をしばらくくだけで良かった。楽な戦いでした」

 なんなんだ。なんなんだ。この女は。
 まるで、部隊の指揮官のような、口を利く。

人間ニエドは相手の見た目で能力を決めつけがちだって、よく言うけれど。典型的なですよ。反省したほうがいいと思う」

 エリクの身体を貫いたレイピアが、一気に引き抜かれる。
 傷口から勢いよく血が噴き出して、エリクの意識はそこで途絶えた。
 
 

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