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おひさまは今夜も空を飛ぶ(4)
ビルの谷間で修羅場になって
歌舞伎町の一角にあるホストクラブが、その夜の営業を始める準備を進めていた。若いホストが次々に出勤し、身なりを整え、店の清掃を続けている。
その内の一人に、須賀健一郎の姿があった。
松永泰紀、松永恵と共に、件の生写真に写っていた見知らぬ少年。その現在の姿である。
「須賀、ちょっといいか」
店長を務めるホストに呼ばれて、須賀が振り返る。
「はい、何スか?」
「これから外に出るんだが、お前の車貸してくれ」
「いいっスけど、俺の車、シボレーのSUVですよ? あんな図体でかいの……」
「だからいいんだ。あれ内装も凝ってるだろ。ドライブには向いてるからな」
「ひょっとして、客の送迎スか」
「ああ。遅出で同伴の奴も一緒に拾って、小一時間ほどドライブしてくる」
「うちって、そんなサービスやってましたっけ?」
「特別だよ、相手は例の三人組だからな」
「あー、あのアパレル関係のエース……」
「色恋の呼吸や遊び方もわかってる客だから、ノリ次第では途中下車で枕も考えておいてくれ。ただ、最後は店に来てボトル空けてもらえよ」
「……はあ」
「なんだよ、渋い顔して」
「いや俺、客と寝るとか寝ないとか、最近どーも。やっぱフツーの女がいいし」
「なんだおい、似合わんこと言うなよ」
「最近気付いたんスけど、遊び慣れてる女とヤってもいまいち良くないんスよ。なんつーか、豆腐にナニを突っ込んでるみたいにグズグズで」
「単に緩いかどうかの問題だろ」
「違いますよ。マスターもよく言うでしょ、接客の時にはまず心を抱いてやれって。セックスって、身体だけじゃなくて心も抱いてるんだと思うんスよ。だから、ちゃんとしてる女の方が絶対イイから」
「悟ったみたいなこと言うなぁ、お前」
「悟りましたよ、多分」
「生意気言ってろバカ。で、どうするんだ。最悪クルマだけ貸してくれりゃいいんだが」
「……まあ、行きます。最近財布が軽いんで、ちょっとでもスコア欲しいスから」
須賀も以前はごく普通の真面目な少年だった。件の生写真に残る昔日の姿からも、それは窺い知れる。
ただ、親の都合で転校を余儀なくされた中学時代。当時親友と呼び合っていた松永泰紀と別れた孤独を紛らせるために出会い系サイトやウェブチャットを利用し始め、そこで知り合った素性も知らない年上の女に誘われるまま、身体の関係を持つことになった。
これが、いけなかった。
当時の須賀は愛情や恋愛の意味すら考えたことのない子供だったし、芽生え始めた性の欲求を御する術も知らなかった。安易に手に入った快楽にあっさりと溺れ、相手の女はただ可愛らしい若い男が欲しかっただけだから、少年の無思慮な欲求を悦びこそすれ窘めることは全くなかったのである。
これ以後、須賀はただ女の身体欲しさに三十歳前後の主婦や独身OLを狙うようになる。それなりに着飾って可愛らしい年下の男を演じるだけでホテルに入って欲望を遂げられた。簡単だった。自分の容姿が中性的で女受けのいいことはすでに自覚していたし、最初の女が自分を玩具扱いしてくれたことで、年下趣味の女たちが欲する少年像のステレオタイプを学んでいたからだ。
ただ本音を言えば、相手に合わせて自分を偽るばかりの会話は退屈だった。安易に手に入る快楽にも飽いていた。
須賀の興味がごく普通の同年代の娘たちへと移っていったのは、ごく自然なことだろう。
けれど、真剣に恋愛を成就させるには思いやりと根気が不可欠だし、いくら我慢や努力を重ねてもうまくいかない時もあるという現実を受け止める度量も要る。普通の恋で身に付く当たり前のことを須賀は何一つ学んでいなかったから、これで上手くいく道理がない。一向に快楽が手に入らないというフラストレーションだけが溜まっていく。
なお悪いことに、彼は先の震災で両親を亡くしていた。道徳的な歯止めがかかることもなく夜の町の裏側へ出入りし始め、気がつけば知り合いは暴力団くずれの連中ばかり。糊口を凌ぐためにバイト感覚で始めたホストの仕事が分不相応な収入をもたらしたことも、彼の堕落を助長させた大きな要因となる。
結果、須賀は特に気の合う連中と共謀、手っ取り早く同世代の女を抱くためにレイプ紛いの真似をやり始めたのだ。その手口は巧妙かつ狡猾。被害者は相当な数に上るというのに、警察の捜査が須賀らに及んだことは一度もなかった。
そんな中、街角で偶然に昔の知り合いと再会する。昔、親友と呼び合っていた松永泰紀と、その彼といつも一緒だった松永恵。須賀の記憶では小学生のままだった恵だが、今は驚くほど可愛くなっていた。
それに、須賀はそそられた。
今も松永泰紀との友情を忘れていないふりをして、彼と携帯番号やメールアドレスを交換するついでに松永恵のものも聞き出した。そして、
「恵ちゃん、ちょっと相談があるんだけど、松永のやつ、今は予備校だよね? 勉強で忙しそうだし、声をかけ辛くて。悪いけど、時間くれないかな?」
たったそれだけで恵は簡単におびき出せた。何せ相手は〝お兄ちゃん〟の親友だし、子供の頃には彼と一緒に遊んでいた記憶も残っている。恵はまったく須賀に警戒心を抱いておらず――。
(ほんと、歴代屈指のチョロさだったな)
須賀と店長、そしてホスト仲間の男三人と女性客三人、計六名を載せた大型SUVの車中で、須賀は自分の携帯電話を弄りながら呟く。眺めているのは、昨夜に松永泰紀から来た最後のメールだった。
[恵のことで話がある、今どこだ?]
その他にも、この一週間に渡って異口同音のメールが何通も届いていた。
(アホくせ)
続いて携帯のメモリに残っている画像データファイルの一覧を開く。口止め用と名付けられたそのデータには、須賀と数人の仲間、そして松永恵が写っているが、それがどんな写真かは述べるまでもない。
「須賀くん、何見てるの?」
同乗している女の一人が話しかけてくる。須賀は慌てず、けれど素早く携帯の画面を切り替える。
「あ、いえ、チコさん。何でもないです」
「もう、さっきから携帯いじってばっかり……」
「すみません。友達と連絡つくまで、もうちょっと待ってもらえます?」
「友達って、女の子? 彼女?」
「まさか。男ですよ、ツレです」
須賀は今朝方から、悪友たちに何度もメールを打っていた。松永泰紀がどうなったのかを確認するためにだ。けれど返事はない。
須賀は職業柄、生活のリズムが昼夜逆転している。朝眠りにつき、夕刻に目を覚まして出勤。その繰り返し。日常接している世界はあまりに狭く、世情にもまったく無関心だ。仮に歌舞伎町や芝浦埠頭の事件を耳にしても、そこで自分の悪友らが松永によって返り討ちに遭っているなどとは察しもつかなかったろう。
(いつもはソッコーで返信してくんのに、何やってんだバカどもが)
須賀は、携帯をポケットに仕舞った。
「……ウザいバイクだな、ったく」
ふいに、運転席の店長が呟いた。
「どうかしたんスか?」
「さっきからバイクが一台、煽ってきててな。しかもヘッドライトがハイビーム」
「ああ、はい、確かに居ますね」
「あんなのに苛ついてるだけ損なんだけどな……。しょうがない。ちょっと近道するぞ」
店長はハンドルを切り、主要道路を外れて脇道へ入る。立ち入り禁止の看板が立っていたが無視してすり抜けた。急に周囲が暗くなり、道も悪くなる。
「ねえマスター、ひょっとして、八重洲の廃ビル街に入ったんじゃないでしょうね?」
後部座席の女性客が言ってきた。
「そうだよ、こっちの方が早いんでね」
「大丈夫? ホームレスの溜まり場って話は……」
「そんなの、とっくに警察が追い出してるよ」
「でも、ビルや道路が崩れたりとか」
「心配性だなあ。俺は先月もここらを走……ん?」
ふいに店長が車を停止させた。震災前は主道だった片側二車線の道路だが、行く手に巨大なクレーン車があって道を塞いでいるのだ。念のため近くまで寄ってみたが、すり抜けられそうな隙間はない。
「これ、向こう側に道路がないな……大穴が空いてる。陥没か?」
正しくは地下街を含めた復旧工事の最中。瓦礫が積み上げられた更地や鉄パイプで組み上げられた工事用の足場の他、ショベルカーや大型ダンプを始めとする重機、建設会社の名が記された乗用車などがいくつも確認できた。傾いたビルの解体などは危険が伴うから、安全確保の観点から夜を徹しての作業は行われていないのだろう。
都心とは思えない静寂の中、車のエンジン音だけが不気味に反響する。人の気配もまったく感じられない。
「なんだか、幽霊でも出そうな感じ、しない?」
「確かに、震災の時に死んだ奴も多いだろうけど」
「あ、そっちに白い影が」
「キャー! 私、そういうのダメなのー!!」
「大丈夫だよ、そんなに怖がらないで……」
道に迷ったことを話の種に、後部座席のホストと女性客は随分と盛り上がっていた。
「ごめんごめん、工事してると思わなくてさ。すぐ戻るからもう少し我慢してて」
店長は車を回頭させ、今来た道を戻り始める。
「? 何だ、あいつも迷い込んだのか」
例のバイクが、道の端に停まっていた。
「何考えてんだかな、こいつ。一人で道に迷ってろ」
思いつつ、バイクの側を通り過ぎようとする。
が、脇腹を庇いつつバイクを降りたライダーが、加速しつつあったSUVの前に飛び出してきた。
「うわっ……!!」
慌ててブレーキを踏む。後部座席で小さな悲鳴が上がるものの、残り数十センチのところで何とかライダーを撥ねずに済んだ。
「この野郎っ、何してやがる!」
窓を開けて首を出し、怒鳴りつける。
と、ライダーは静かにヘルメットを取った。
それを見た須賀の顔色が、変わる。
「松永……か? ンだよ、性懲りもなく……」
「? なんだよ、須賀の知り合いなのか」
「あ、知り合いっつーか、最近付きまとわれてて」
「穏やかじゃないな、何があった?」
「いや、ほとんど言いがかりで、俺も困ってるんスよ。昨日の夜も絡まれたんスけど」
須賀は怯えた顔をして言う。縁起には違いないが、とてもホスト仲間や女性客に見抜けるものではない。誰も須賀の裏の顔を知らないのだ。
「ねえ、須賀くん、困ってるみたいだし、なんとか助けてあげられない?」
女性客の一人が、他のホストと店長に話しかける。
「そうだな……須賀、手を貸すよ」
「俺も出るよ。話つけるにしろ追い払うにしろ、こっちの人数は多い方がいい」
「マスターも先輩も、本当にすんません、助かります」
男三人が車から下りていく。頼りになるところを見せられれば客の印象も良くなるし、数の上でも三対一と有利だ。怯む理由は何もない。女らは贔屓のホストが失礼なライダーをやっつける様を期待し、勘違いも甚だしい黄色い声援を送っていた。
そして、須賀ら三人と松永泰紀が対峙する。
「悪いけど、連れがいるんだ。帰ってくれ」
二人のホスト仲間を盾にして須賀は言うが、松永は答えない。黙ったまま歩み寄る。
「……なんだ、こいつ」
店長が間に入って手を伸ばし、松永を押し止める。
「邪魔するな、須賀以外に用はない」
松永が、初めて口を開いた。
「関係のない奴を巻き込みたくない。退いてくれ」
「関係あるんだよ。須賀は身内みたいなもんだ」
「なら、力ずくでも退いてもらう」
「おいおい本気か? 三対一だぞ?」
「まだ上手く自分の力をコントロールできないんだ。あんたが大怪我することになる」
「はっ、何が力だ、笑わせんな……おっ?」
松永が、店長の腕を掴んだ。
――その瞬間、身の毛がよだつ嫌な音がする。
店長の腕の骨が、砕けたのだ。
「う……あ、うあああああっ!」
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