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おひさまは今夜も空を飛ぶ(1)
花も恥じらうお年頃?
ゴールデンウィークを目前に控えた、晩春。
JR中央線を走る電車のほとんどに掲示された中吊り広告に踊った週刊誌の大見出しは、通勤や通学の途中にある都民の目を強く惹きつけていた。
[三年後の首都圏大震災/五月二日の疼痛]
都心を壊滅させた最大震度七の激震と、大規模火災を始めとする二次被害。最終的に二万を大きく超える人命を奪っていった大災害から三年が経過した今、東京という街は何を失って何を得たのか。ノンフィクション作家が綿密な取材の元に渾身の力で書き上げ、世へ問うた特集記事だった。
都民の多くが生々しい被災の記憶を留めている中、雑誌は飛ぶように売れていった。夜が更けて電車の座席がちらほら空くようになった今でも、中吊り広告に目を凝らす者、あるいはすでに購入した雑誌を真剣に読む者の姿は絶えない。
だが、立川から八王子へ向かう快速電車の中、そうした光景を溜め息混じりに見ている若い娘がいた。
「ミーナの中吊り、全部なくなっちゃってる……」
よく読むファッション誌の可愛らしい広告が撤去されて、ほんの少し寂しかったらしい。
彼女の名は、日向みつき。十八歳の予備校生。
「結構遅くなっちゃったな、早く帰ろう……」
八王子駅で電車を降り、時計を確かめる。午後九時を過ぎていた。参考書の詰まったバッグを持ち直しつつバスターミナルを通り過ぎ、大通りを北へ。浅川大橋を渡って土手沿いの遊歩道に入る。
倒壊した建物の瓦礫や廃材が河川敷に積まれていたのも、もはや過去のことだ。広々とした川辺の空間を通り抜ける穏やかな風が川辺の葦を優しく揺らし、夜露に濡れた並木から漂う瑞々しい若葉の匂いが鼻をくすぐる。都心のベッドタウンと呼ぶに相応しい心地よい静けさと自然の気配。
普通なら、ここで思わず足を止め、深呼吸の一つもするところなのだが。
「どこもかしこも変わってく……。幸せいっぱい……。私一人だけ取り残されてる……」
溜め息混じりに呟いてから、はっとなる。
「……何をブルーになってんのよ、私は」
慌てて首を振った。冬のことなどとっくに忘れたはずなのに、と、心の中で付け足して。
実は彼女、先ごろ大学受験を経験したばかり。平たく言うと浪人生なのだが、成績は決して悪くない。第一志望にも合格できると太鼓判を押されていたし、通っている予備校でもチューターから「何故この偏差値で合格できなかったのか」と不思議がられたほどだ。
他人に訊かれると、入試の当日に体調を崩したのだと説明しているのだが、実際は違う。
(失恋したからだ、なんて……言えないもんな……)
それは昨年の春。受験対策に通い始めたばかりの予備校で出会った男子学生が、国公立大を志望していると偶然知ったのが始まりだった。同じ大学に行けるよう夢見つつ淡い恋心を胸に頑張り続け、中の下程度だった成績を上の中まで引き上げたのである。
そして冬、センター試験直前のある日。これで彼と釣り合える、告白できると自信を得たみつきは、予備校の帰り道で彼を呼び止めた。しかし。
「俺に用事? あんた、誰?」
その一言で、全て終わってしまった。
「あー、えと、ごめんなさい人違いでした、あはは……あは、あはは……」
そう言って誤魔化したものの、精神的なショックは大きかった。ずっと同じ予備校で同じ講義を受けていたのに、相手は顔すら憶えてくれていなかったのだから。夜も眠れず食事も喉を通らず、著しく体調を崩したままで試験当日を迎えてしまう。
結果、浪人生活が決定、今に至るのだった。
「目立たない女だってのは、自覚してるけど」
みつきは自宅のすぐ側にあるカーブミラーの前で足を止め、そこに映る自分の姿を見つめた。髪型は柔らかいウエーブをつけた長めのボブ。服装はボーダーニットにプリーツスカート、黒のスパッツ、ヒールの低い靴。フェミニンなカジュアルで、それなりに流行を意識した年相応の可愛らしさがある。
「……でも、服だけ可愛くてもなあ」
身長は高くも低くもなく、胸の大きさも標準。顔にしても、日本人女性の平均を取ればこうなるという平凡なものでしかない。
ただ一点、その顔の真ん中では可愛らしいデザインの眼鏡が存在を主張している。かけ始めたのはこの春からで、短時間で偏差値を激変させた猛勉強の後遺症だが、幸か不幸か最近はこの眼鏡のお陰で「日向……ああ、あの眼鏡のコか」と多くの人々が記憶してくれるようになった。
「でも、私の存在全部より、眼鏡一つの方が目立ってるってのはどーなのよ、実際……」
それを悔しいと思いつつ、ないよりはましだと眼鏡をかけ続けているのだった。
たった一つだけで構わない。泣きぼくろ、吊り目、垂れ目、大きい胸、長い脚。何でもいい、人の目を惹くことのできるプラスの特徴が欲しい──。
みつきにとって、それは何より深刻な悩みだった。
「ただいまーっ」
カーブミラーの側を離れ、みつきはようやく[日向]と表札のある自宅の門を潜る。築二十年ほどの建て売り、運良く震災を乗り越えた小さな一軒家。
その玄関で靴を脱いでいると、居間の扉が開いて養母が顔を出した。
「お帰りなさい、みつきちゃん。ご飯は?」
「あれ、お父さんの携帯に連絡したんだけど。オリエンテーションで遅くなるからいらないよって」
みつきが言うと、居間の奥から、
「……あー、すまん母さん、言うの忘れてた」
と、居間の奥から養父の声が聞こえてきた。みつきと養母が目を見合わせて、苦笑する。
「私の分、ラップかけて置いといて。夜食にする」
「あら、今夜は遅いの? 今から勉強?」
「うん、復習だけ。形だけでもやっとかないと、来年の受験まで学力維持できないし」
「あんまり根を詰めないで、みつきちゃんなら何も無理しなくていいんだから、気楽に」
「ん、わかってる」
「そう言えば、どうなの? 二年目の予備校は」
「どうって、何が? 講義のこと?」
「そうじゃなくて。顔ぶれも相当入れ替わったでしょ。去年みたいに素敵な男の子は見つかった?」
「……何言ってんのよ、おかーさん……」
「みつきちゃんの成績が上がったのも、受験に失敗したのも男の子絡みだもの。素敵なボーイフレンドが出来ればお茶の水や東大だって狙えるわ、絶対」
「無茶言わないでよ……」
「話したくないなら構わないわ。興味があるだけ」
「もう。居なくもないけどいつもの如し。君、誰? 以上終わり。私なんか風景の一部」
「また謙遜して。そうそう、お友達の昭月綾さんは素敵なボーイフレンドが居るんだって? あ、違う、大地瑤子さんのほうだった?」
「瑤子は恋愛になんか興味ないよ。彼氏が居るのは綾のほう。……って、よそはどうでもいいの。とにかく、予備校では何もナシ」
「そんなものかしらねぇ。みつきちゃん、もともと器量好しなのに。引く手あまただと思うけれど」
「お母さん、それ、身内の身びいきだよ……」
「違いますよ、うちの娘は自分を過小評価しすぎです。もっと自信を持ちなさい」
みつきは苦笑して、養母に背を向けた。玄関のすぐ側にある階段をトントンと上がっていく。
日向家の二階には部屋が三つある。一つはみつきの部屋で、一つが物置、そして、恭一という養父養母の実子が使っていた部屋だ。
恭一は事故で他界しており、みつきがこの家の養子になったのはそのすぐ後になる。存命ならみつきより十ほど年上になるのだそうだ。
「ただいま、恭一兄さん」
階段を上がってきたみつきが、恭一の部屋の方を向いて声をかけた。これは日向家の習慣だと言っていい。養父や養母も、用事があって二階に上がってくるときは恭一の部屋へ必ず声をかけるのだ。
ちなみに現在、日向家でもっとも多く恭一の名を呼んでいるのは二階に自室があるみつきだ。そのせいか、直に会ったことは一度もないのに、みつきは不思議と義理の兄を近しい存在だと感じている。
「さて、と……」
肩からバッグを下ろしつつ、みつきは恭一の部屋から自分の部屋へと向き直る。
――と、ふいにみつきの部屋の扉が開いた。
みつきは扉のノブに手を触れていない。勝手にノブが回って扉が開いたのだ。部屋に入れば電灯のスイッチが自動的に入って部屋を照らし、ほぼ同時に窓のカーテンが閉まり、しまいには、ベッドの上に放り投げたバッグがひとりでに開いて、中にあった参考書が飛び出してきて宙を漂い始めた。
「えーと、古典と現国かな」
二冊を選ぶと、他の参考書はまとめて手近の勉強机の方へ飛んでいき、するりと棚に収まった。
一般に、念動力あるいはサイコキネシスと呼ばれている超能力である。みつきはこれを自在に使うのだ。
「脱いでもこれだし……。どこが器量好しなんだか」
部屋着のジャージに着替える途中、姿見の大きな鏡に映る下着姿の自分を見て、溜め息を吐く。
「本当に、これっぽっちも特徴ないなぁ……」
そういうみつきの背後では、先ほど選んだ二冊の参考書が宙に浮いたままだが、手を触れずに物を動かす力などは自分の特徴のうちに入っていないようである。
着替えを終え、眼鏡も外した。裸眼視力は0.6程度あるから、家の中では不自由しない。ヘアゴムで髪を束ね、手近の椅子に腰を下ろそうとする。
だが、その動きが突然、止まる。
宙に浮いていた参考書は床に落ちて、視線は宙を見つめたまま凍り付いていた。
「だっ、誰? どこ? けっこう遠い? 間に合うよね?!」
叫ぶや否や、みつきは部屋を飛び出す。どたどたと大慌てで階下へ駆け下りる。
「みつきちゃん、どうかしたの?」
足音に気付いた養母がまた居間から出てきて、玄関でズックを履くみつきの背中に声をかけた。
「いつものやつ! ちょっと行ってくる!」
「待って、その格好で空を飛んだら風邪ひくわよ?」
「……あ」
「急ぐんでしょう? 貸してあげる」
養母は自分が着ていたどてらを脱いで放り投げた。サイコキネシスに導かれたそれは宙で生き物のように動き、パッとみつきの上半身を包み込む。その一瞬で腕は袖を通り、前身頃の紐もしっかりと結ばれた。
「ありがとう、お母さん。あとで返すから!」
「この前みたいに暴力団の人が居ても手加減してあげるのよ? あと、マスコミの人に見つからないでね。お父さんやお母さんが庇える範囲には限度が……」
「わかってる!」
みつきは家の外へと飛び出した。
「……気をつけてね、無事に帰るのよ」
養母が見ている前で、みつきの身体がきりもみしながら夜空へ飛び上がっていき、あっという間に見えなくなる。物凄い速さだった。
「またあれか、誰かの叫び声が聞こえたとか感じたとか言うやつか?」
玄関先から戻った養母に、養父が言う。
「でしょうね、超能力があるばっかりに、大変です」
「まったく、騒がしい子だ」
「いいえ、優しい子なんです」
「知っとるよ。……あ、母さん。お茶くれ」
「はいはい」
養父は差し出されたお茶を受け取るため、読んでいた雑誌をテーブルに置いた。電車の中吊り広告にあった例の週刊誌だ。開いたままのページに「減少する都心の凶悪犯罪」という小見出しが踊っている。
その記事によると、震災後の凶悪犯罪を抑制してきた大きな要因として「徹底された区画整理と拡大した道路により、格段に見通しがよく明るくなった街並み」と「被災によって都全域の地域住民に連帯感が生まれ、いわゆるご近所付き合いが復活した」ことが挙げられていた。また、これを裏付けるもっともらしいデータも併記されている。
「……これを書いた奴は、何もわかっとらん」
お茶を飲んだあとで、養父はその雑誌を古紙の束がある方へ放り投げた。
○
人間の精神と肉体は、時折、驚くような超常能力を示すことがある。
コンピュータ以上の記憶力や暗算能力を始め、危機に陥れば火事場の馬鹿力を見せ、縁者の死や天災の予兆を第六感で察知する。眉唾な事例も含めれば、神の奇跡や悪魔の魔術と称される記述は歴史の文献にいくらでも見つけられる。
これらの事例のいくつか、特に普通の人間が日常的に用いている能力の延長線上にあるもの関しては科学的な説明がなされたものも多い。つまり、文明社会という安全な環境で退化した能力が何かのきっかけで発現したか、何らかの外的要因によって平常な能力が超常の領域まで肥大したということらしい。
逆に言うと、よほどの危機的状況が存在しない限り人間の超常能力は目覚めることがなく、また仮に目覚めたとしても、あくまで環境に応じたレベルに留まるだろうという推論が成り立つ。
ならば、それなりの環境下であれば、超常能力が目覚める可能性は高まるはずだし、全く別次元の方向へ進化することも有り得るのではないか。
その証拠に――思い出してみて欲しい。六十年代から七十年代を主とする東西の冷戦期。核戦争勃発の危機により、人類はおろか地球上の全生命が存亡の岐路にあった未曾有の時代を。
それは同時に[超能力]が世界的に流行した時代でもあった。魔術や霊能力など、人間が引き起こす超常現象の概念は古くから存在したにも関わらず、何故かあの時代には超能力のみがもてはやされたのだ。曰く、複雑怪奇な人間の脳には多くの未知の力が眠っているから、訓練次第で誰でもサイコキネシスや予知、テレパシーなどが使えるようになるのだと。多くの人々がそれを信じ、自分は超能力者だと名乗る人々が次々に現れ、当時の二大大国である米ソが超能力を真剣に研究しているなどとまことしやかに囁かれてもいた。
冷静に振り返ると、実に奇妙なことだ。
いや、これらの真偽を疑うのは当然だし、当時のマスメディアが商業的利益を上げるためにヤラセを仕組んでいたことも事実である。しかし。
日向みつきは、ここにいる。
超能力にまつわる裏の歴史の生き証人であり、先進諸国が冷戦期より連綿と続けてきた実験の全データを受け継いだ超能力研究所の出身で、また、その研究所を完膚無きまでに叩き潰して自由を手にした三人の超能力者のうちの一人。理論的に人類史上最も強力だと評されているサイコキネシス能力者である。
ただそれは、当のみつきに言わせると、
「へっ? ああ、うーん、どうでもいいよ、そんなの。だってもう三年も前のことだし」
という程度のことらしいのだが。
○
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