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〔SE2〕届かなかったLOVE LETTER

【はじめに】
 この短編は#04にあたるエピソードです。
 執筆順としては#01の次に書き上げられたもので、本作が意図していた方向性をもっとも的確に表現した一編でしたが、派手な事件を起こしたい&久瀬隆平を登場させたいという担当編集の要請で保留となっていた原稿です。
 おそらくこのnoteでの発表が「初出」ということになります。





 予備校の春期講習に通う学生には、前年度の大学入試に失敗した浪人生が少なくない。理屈で言えば彼らに遊ぶ時間などあろうはずはなく、何故不合格だったのかを猛省すると同時に、自分の学力を厳しい目で見つめ直し、一年後に控えた国公立大センター入試や私立大入試に今度こそ合格するため徹底的に基礎学力を叩き直していかねばならない。
 しかし、頭も身体もそれなりに成熟した遊びたい盛りの若者を理屈だけで抑えつけるのは不可能だし、極論すればたかが受験である。友人との交誼を切り捨て、世の中に背を向け、流行り廃りに見向きもせず、方程式や英構文を無理矢理頭に押し込めて、テストの優劣ばかりを気にして悦に入り落伍者を鼻で笑う、そんな生活に身も心も染まってしまうことが絶対に正しいなどとは口が裂けても言えるものではない。
 まして、予備校での生活も一ヶ月が経ち、新緑萌える季節になれば、それなりに浪人生活にも慣れてくる。少しくらいハメを外しても問題はないと考え始めるのは、ごく自然なことだろう。

「……という訳で金曜日到来! 今夜はパーッと行こう! これから一年、みんなで仲良く頑張っていくための団結式、激励会! そういうこと!」

 その日の講習が終わった予備校の教室で、一人の学生が高らかに宣言する。集まってきたのは、男子三名、女子三名の計六名。予備校でたまたま席を隣り合わせて意気投合したとか、出身校が同一のよしみで声をかけられたとか、経緯は様々だが――。

「会場はどこ? 居酒屋? 酒入るの? ヤバくない?」
「別に普通でしょ。苦手ならウーロン茶でいいし」
「お世話になってる先輩が、彼氏の友達とか連れて来てくれるって」
「お前の先輩、お茶の水だっけ。その彼氏って早稲田? 青山?」
「ロハで家庭教師とかやってくんないかな」
「んなこと言って、今から彼氏候補を確保しとこうとか考えてんじゃないのー?」

 ――とりあえず、皆がこの時間を目一杯楽しむつもりでいることだけは確かなようだ。

 そうして、予備校生たちは連れ立って教室を出て行こうとしたのだが。

「あれ? ひい、ふう……六人? 待て、一人足りてないぞ?」

 幹事役の青年が、皆を呼び止める。

「足りてないって、みんないるじゃん」
「いや、たまに俺と昼メシ食ってた眼鏡の子が……あ、いた、日向さーん」

 青年が、教室の隅に座った女生徒――日向みつきに声をかける。
 みつきは急に声をかけられて驚いたのか、眺めていた参考書から弾かれたように顔を上げた。その拍子で鼻の辺りへずり落ちた楕円の縁無し眼鏡をそのままに、

「あ、え……えっと、私? のこと、だよね」
「そうそう。日向さん、この前ん時に飲み会の話振った時さ、行きたいって言ってなかったっけ?」
「い、言ってた……かな」
「言ってた言ってた。憶えてないの?」

 みつきは傍目にもわかるほど狼狽していた。
 が、一呼吸。落ち着きを取り戻すと、ずり落ちていた眼鏡を直し、小さく顔を俯ける。

「……ごめんなさい、ここんとこの復習、まだ終わってなくて。それに私、明日ちょっと予定があって、今夜は早く帰らないと」
「あ、そうなんだ」
「ごめんね、折角誘ってくれたのに」
「いーよいーよ、気にしないで」
「本当にごめんね。みんなもごめん、楽しんできて。じゃあ、また……」


 予備校を出た一団は、いつからか、参加しなかったみつきの話題で盛り上がっていた。
 盛り上がると言っても、良い意味ではない。

「日向みつき、ね。あの子、高校どこだっけ」
「知らない、住んでるのは八王子だって」
「何で立川まで来てんの? 八王子にも予備校あんじゃん」
「講師で選んだとかそんなのじゃない? 滅茶苦茶成績いいらしいよあの子。偏差値いくつだったかな。浪人やってんのが不思議なくらい」
「さっきも参考書ばっか見てたしさ、家に帰ってまた勉強する気かねぇ」
「いかにも勉強しかしてませーんって感じの子よねー。あたしらみたいな劣等生と一緒に遊ぶわきゃねーだろー、っての?」
「でもさ、着てる服、変にコジャレてね?」
「かけてる眼鏡もなんか普通じゃなかったよ。ここんとこの蔓に、なんか羽根みたいな彫刻がついてたし。結構高いんじゃないのかな」
「オシャレしてるつもりなんだろ。似合ってねえっつうんだよな」
「だいたいあの子、なんか馴染まないっていうか、影薄いっていうか」
「今度からもうシカトでいいんじゃね?」

 おおむねこんな風だったのだが、ただ一人、幹事役の青年が顔をしかめていた。

「やめろよ、陰口叩くようなの」
「お、何だよ。お前だけ肩持つ気か? まさかホレてるとか?」
「殴んぞバカ。あんま目立たないのは確かだけど、冗談も通じるし、いいコだよ、絶対」

 少なくとも、本人の居ないところで陰口を叩いて周囲に同意を求め、小さな自尊心を満足させている女たちよりましだと思う。もちろん、その女たちのご機嫌を取ろうとむやみやたらに同調する男たちも同じだ。

「ふーん、あんなのが趣味なんだ?」

 急に、女の一人が近寄ってきて、耳元で囁くように言う。

「いや、趣味だとかそういうんじゃなくて」
「マジメなのがいいんだ」
「いや、だから……っ、と?」

 言いかけた青年の言葉が、途中で詰まる。
 その女が、何気なく青年の腕を取ってきた。
 二の腕に、柔らかな胸の膨らみが押しつけられる感触と、その温み。

「あたしも、明日からマジメになろっかな。……もう遅い?」

 みつきを擁護した青年が前言を撤回するまで、時間はかからなかった。


 その頃、みつきは自習室に残って参考書に向かっていた。

 他の予備校生も、一人、また一人と帰っていく。最後の一人になる。時計の針は午後九時を回ってしまった。見回りに来た講師にも「まだ帰ってなかったのか? そろそろ切り上げろよ」と声をかけられた。

 いや、みつきは決して、勉強がしたくて今まで残っていたのではない

「……戻ってきて、くんなかった」

 今にも泣き出しそうな悲哀に満ちた顔で、盛大な溜息を吐きながら呟く。
 誰でもいい、遊びに出かけた学友のうち、忘れ物やら何やらで一人でも戻ってくれば、頭を下げてすがりついて混ぜてもらうつもりだったのだ。

「一日や二日休んだって、極端に学力落ちたりしないっつーの……」

 シャープペンシルを持つ手が、止まる。

「だいたい、予定があんのは明後日の日曜日だし、どうせいつもの連中との定例会なのに、何でそんなこと口走ったのかなぁ……」

 机に突っ伏す。

「てっきり、私は定員外で蚊帳の外だと思ってたのに……。こないだ誘われた時だって、てっきりお愛想だと思ってたのに……」

 とうとう、身悶えが始まった。

「心の準備が出来てないときにいきなり言うからさぁ! 私だって男の子と遊びに行きたかったよぉ! もっと強く誘ってよぉ! そんな硬いこと言わずに一緒に行こうよーくらい言ってよぉ!! うわーん!!」


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17,390字
本作は2003年に企画・発案、2004年に小説誌で発表、2006年にノベルスとして商業出版されたものです。 2011年に発生した東日本大震災とは何ら関係がなく、登場人物の発言や行動は00年代初旬の社会的背景を強く反映しています。特に作品のバックボーンとなる中央官庁の描写については、当時取材した内容や入手できた資料に依るところが大きく、現在ではフィクションとしても許容が難しい描写も散見されます。ご注意ください。 .

日向みつきは18歳の予備校生。大きなお節介と小さな迷惑、そして世界規模の陰謀を抱えて、彼女は今夜も東京の空を飛ぶ!

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