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父親が娘を呼び戻そうとするも失敗、そして親権者変更

娘が私のところから交通機関を利用して小学校に通い始めてから、1週間ほど経ったある日の事です。
継母と、祖母(父方)が娘と話をしたいと、小学校の下校時に2人で来たそうです。
そのため、帰宅時間が遅くなると担任の先生から連絡がありました。

私は娘が連れ戻されるのではないかと居ても立っても居られない気持ちでした。

先方は、父親が後悔しているから戻ってきて欲しいと言っている、兄や弟とも離れ離れになり1人で寂しい思いをすることになる、などを話して、娘に本当にこれでいいのかと判断を求めてきたそうです。

結果的に、娘は私のところを選択し、父親のところへは戻りませんでした。

その時に小学校の担任の先生に言われたことは、「子どもに判断を委ねないで、大人(親同士)が決めてください」と。
子どもの意思を尊重したい、だから子どもにどうしたいかを聞くことが必要だと思っていた当時の私には先生の発した言葉の意味を適切に理解できていませんでした。

でも今は分かります。
例えば、恋愛中や結婚生活の中で不満に思ったことで、女性が男性に対して「私と仕事とどっちが大切なの?!」「私とお母さんとどっちが大切なの?」というような、究極の選択を口にすることがあります。
仕事は生活していくうえで必要不可欠であり、母親は自分を産んでくれた、育ててくれた存在であり、どちらも無くてはならない必要不可欠です。
同じように子どもにとっては、父も母も親には変わりなく、どちらかを選ぶことは難しいのです。
先生は、「離婚して、子どもがどちらかに行くことは致し方ないが、どちらに行くかは親に判断して欲しい 。子どもに選ばせることが、どれだけ子どもの負担になるか 」を分かっておっしゃっていたのです。
子どもに選択肢を示したうえでできれば自分を選んで欲しいと思う気持ち、それは自分のエゴでしかない 、と..。

話しは戻って、その時に娘がなぜ、父親のところに戻らないと言ったのか、それは「携帯」がキーでした。
私の家には電話がなく、私が仕事に行っている時に娘との連絡手段がないことから、娘にはすぐに携帯を購入しました。
当時6年生だった娘は「携帯」を手に入れたことが、とても嬉しかったのです。
継母と話をしている中で、一度は父親の元へ戻るという気持ちもあったようです。それが「携帯」のことが頭をよぎり、戻ったら携帯は所持できないと思って、戻らないと言ったそうです。

私は、えーーー?携帯が理由?!と思いました。
酒乱の父親よりも、母である私に愛情を感じて選んでくれたのかと思っていましたが、そういった事ではなく、単純に「携帯」が欲しかったから、それだけの理由でした。

その後、娘が転校先の中学に通い始め、1か月ほど経った頃、親権者変更の調停に関する招集が家庭裁判所から届きました。
父親が申し立てを行ったのです。
私から申し立てをしようと思っていた矢先の事でした。

親権者変更は、父母の合意ができている場合でも、必ず家庭裁判所の手続が必要になります。
調停では、両方の話を調停員が聞いて、最後に裁判官が両方の親、同室の元で合意を取ります。

私は同室に元夫といなければいけないことに、とても恐怖を覚えました。
離婚して6年という長い年月が経っているにも関わらず、当時受けた暴力や暴言に対するコントロール下からまだ逃れられていない自分がいました。
そのため、私が先に部屋に入り、私と元夫が並んで座る間に事務員の方が座っていただけるという事で、何とか恐怖に耐えようと不安な気持ちを、抑え込みました。

元夫が部屋に入ってきた時は、怒りでわなわなと震えている様子が伝わってきました。
調停員や裁判官ですらもそれを感じ取れるくらい、元夫は体で表現していました。
親権者変更は裁判官から、それぞれに質問されて、両方が合意しないと成立しません。
裁判官から確認されるだけのとても短い時間でしたが、その部屋の空気はとても重く、元夫に対してトラウマとなっている恐怖と、長い年月が経過しているのに、怒りを抑えられずにいる元夫の態度に対する恥ずかしさとが入り混じった感覚があったのを覚えています。

親権者変更をしても、それは手続き上の事であって、父親であることには変わりありません。
私は、娘の学校の行事や、部活動を見に来て欲しいと、元夫に連絡をしました。
ところが、元夫からは、「このような連絡は今後一切不要です」と返事がきました。
娘が自分の携帯からメールをしても返事がなく、電話をしても、「着信拒否」をされる始末。
元夫のこのやり方には、不快を覚えるばかりです。

審判の中で元夫は、娘から母親のところへ出ていったと話していたそうで、娘に「裏切られた」とプライドが傷ついたのでしょう。
ですが、娘にしてみれば、父親から「追い出された」という事実があり、私もそう思っています。
プライドが傷つけられたと思っている父親は、娘と会う事も拒否しました。

その後、娘と元夫が再会するまでには、非常に長い年月を要しました。
このことはまた別途書きたいと思います。

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