感情と社会 11

残虐さの根源のひとつ ー 教育

人は、<当たり前だ>と感じていることは、<当たり前>すぎるせいで、それとしてちゃんと感じることがありません。
ぼくが小さかった頃、テレビは白黒でしかありませんでした。それが<当たり前>で、それが<ふつう>だった。ある日、カラーテレビに変わった。鮮明に覚えているのは、白黒で見ていたケネディ大統領狙撃のあのダラスの映像をカラーであらためて見た時、映像がミニチュアのオモチャみたいな感じ、サンダーバードのような人形劇の1シーンのような気がして、現実感が一気に失われた感じがしたこと。そしたまた、ワクワクして見ていた白黒のウルトラマンの縞がじつは赤いのを見て、とても安っぽいなと感じたこと。
いつの間にか、この違和感には慣れてしまっていました。すると今度は、モノクロの映像やモノクロの写真が、古臭い、歴史を感じる、みたいな感じ方に変わっていました。

ぼくたちが心の中にあると感じている感情の大半が、社会によって形成されていること、そして社会というのは、実在であるというよりは、そういうものだという集団の合意によって成り立っているただの約束事の集合であることを、ずっと述べてきました。
ぼくたちがそれしか知らない、今ここの、ぼくが暮らしている社会。それを束ねている約束事に何の実体もないとしたところで、ぼくがその社会の中で行きていることに変わりはありません。だから、良くも悪くも、ぼくはこの社会で自分が体験し、見聞きする出来事も、それに対して抱く感情も、ある程度<自然>なものだと感じがちです。<自然>、だから取り立てて着目することもない。つまり<当たり前>で<ふつう>。

白黒からカラーへという、テレビに対するぼくの印象の変化は、この<当たり前>がじつは<当たり前>じゃないということを告げている裂け目なんだと思います。ぼくに起きるどんなことだって、じつは起きた時にはとても新しく、未体験のもので、だから心も大きく驚いて動いたと思うのです。時間の流れというか、この場合は社会のテクノロジーの入れ替わりですね、それに押し流され、カラーなのが<ふつう>でしょ、という人が多数派になり(そういう「合意」が捏造されるわけです)、やがて当初の心の動揺は忘れられていく。

こんなふうにして、自動化してしまって意識にすら上らなくなってしまった心の動き。それに加えて、集団によって捏造され、共有されたイメージの「合意」を経験し続けたために、まさにそれが<当たり前>で、社会の決まりごとなんだと思い込んでいるいろいろな感情。これがすべて、たとえば偏見の源になります。残虐さと暴力の故郷は、ここに、意識的に振り返ることもない<当たり前さ>の中にあります。
今日までの、少なくともぼくが体験し続けてる、この日本という社会を振り返って見るかぎり、日本で主に合意されているまがい物の社会像(とはいえ、社会像はただの合作によるイメージですから、いつでもまがい物なのですが)そのものが、ぼくたちと、ぼくたちが選んだ、そう、ぼくたちが選んで、その責任を負うべきはずの政治家たちが、共有しているもの、ということになります。

政治はいつも、とても強力な手段としては教育を通して、またそれに次いでマスメディアを通して、地域住民をある独特の情緒へと傾かせることに熱心です。その情緒は、すでに述べましたが、社会をよく考え抜いた末の、意図的で理論的で知的な人心の操作という策略であるよりは、政治をしたがる人たちの情緒そのものの単なる反映、拡張にすぎないものです。
教育は、それを国家が厳重に管理する限り、<国民>(支配機構が望む社会イメージの合意形成を自分の規範として内面化する人)を育成するとても有効な仕組みです。近代化 civilization、あるいは modernization が、中央集権体制の整備と共に始まったこと、またそれと時を同じくして、個人主義、人権の尊重といった観念も生み出されたことには、以前に触れましたが、これからお話しする教育という仕組みが、国家運営の重要な装置として制度化されていったのも、同じ中央集権体制の誕生期にまで遡ることができます。そしてこの時期の一致は、決して偶然ではありません。

「特別の教科」という、あからさまに支配層の意図がはっきりと見える「道徳」に限らず、「国語」は<国民>が継承すべき情緒を刷り込みます。「社会科」は国家運営に好都合なことを選択的に伝えます。日本では学校で憲法の学習にほぼ時間を割いていないことは、このことをとてもよく表しています。憲法は支配機構を縛る法律ですから、これが有権者に熟知されることは、なんとしても避けなくてはなりません。同様に、税の仕組みや使い道も、しっかりと避けて通ります。
「理科」はどうでしょう、<科学的>な感じがするこの科目に、直接情緒を操作する感じは一見ありませんね。でも、たとえば高校までの理科で、とても古いニュートン的な物理学観ではない、ほぼ常識になっている量子論的な物理学観をしっかりと教えている例はほとんどありません。慣性の法則を知っている人はかなりいるのに、エントロピーをそれなりに説明できる人はほとんどいません。原子を知っていても、原子を構成しているもっと小さな構成要素を知っている人もあまりいません。(その一方で、原子力発電を可能にしているのはニュートン理論ではないんですが。ええ、教育は原子力の原理を教えないまま。それが行政にどれだけ役に立っているかは、みなさんご存知の通りです。)ここからはっきりとわかるのは、理科は文明の最新情報を教えようとしているのではないということ。教えようとしているのは、そういった知識や、それをさらに進化させるための「考える力」とかではなく、むしろ何も考えないで、過去の伝統をしっかりと守る態度だということでしょう。
道徳、国語、社会、音楽、美術、それに体育といった、いわゆる「徳目科目」に連なる科目が情緒を誘導する学科であることはわかりやすいのですが、化学、物理学、生物学、数学など、一見そうとも思えない科目もまた、まるで意図することもないまま、無反省に100年ほど前の知見を機械的に教えているだけです。そんな内容に対して、教室で子どもたちに要求されるのは、テストで良い点を取ること、つまり教科書や先生の教えをしっかりとコピーすることだけになっています。つまりこの科目も、徳目を育成するために用いられているわけです。教科の内容が、じつはほとんど大切ではないことが、見えてきます。つまり、学校は、知を授けるところでも、考える力を養うところでもないのです。

この節の最初に、人は<当たり前>だと感じていることを、ちゃんと感じとることができないと書きました。
教育においてはまさにこれが起きています。ずっと慣習的に続けてきた教育内容とその教え方が踏襲されて、それこそが教育なんだという、まるで根拠のない信念が、日本の教育を支え続けています。学校教育が行なっていることを一言でまとめるなら、今まであった習慣をしっかりと根づかせていく、それに尽きてしまいます。
そのような現場で最も中心的な役割を果たしているのは、知識の増加や教養の深まりではなく、ある特定の情緒の強化だけです。その特定の情緒とは、ジョドゥレとモスコヴィシが言っていた、支配機構にとって好都合な合意だけで成り立つ現実の明白さという、虚偽のイメージに由来するものであり、また、フレーフェルトが言っていた、国家という実態のない支配機構に説得力を持たせるための<国民>意識でしょう。
日本では、このイメージの中心となっている情緒は、ヨーロッパとは違って、国家を抑止するために作用している面がある、個人の尊重という感情が生まれないままに続いています。個人を尊重するという感情、個人主義と呼ばれているメンタリティーは、自国民や、外見や言語や習俗や宗教が違う他地域の多くの人々の命を、やすやすと犠牲にしてきた長いヨーロッパ政治史の中から、大変な難産の末に生み出されたものです。(ただ、この個人主義というイメージが、手放しで賞賛されるものではないこと、むしろそれは国家主義と手に手を取り合って育ってきたイメージであることは、フーコーの考えを追いながら、ずっと後でお話しします。)ヨーロッパとは違う歴史をたどっている日本が、明治以降この情緒をやすやすと内面化できたはずもありません。
そのために、社会という幻のまとまりを支えている、日本に特徴的な情緒は、自分が属している集団を保全すること、そしてそのために自分がうまく集団と同化すること、といった点だけのように思われます。

この感情が、少なくとも江戸時代の支配体制を支えるための相互監視制度である五人組あたりですでに、うまく育て上げられていたこと、そしてその仕組みが植えつけた情緒が、現在まで続いていることは前にお話ししました。
この感情を、支配体制を維持するためにどうやって育て続けることに成功したのか。それには教育が、じつに大きな役割を果たしてきました。

教室では、児童生徒は(残念なことに近年では大多数の大学でも)<先生>の指示に従わなくてはなりません。なぜそうしなければならないのかを、<先生>は明らかにしません。することもできません。ただ、<年長者>はすでにそれだけで偉いのだという、東洋に独特の感情、儒教的と呼ばれるものなのでしょうか、は背景に根強くあります。ブラック校則と呼ばれる、ぼくなどには到底理解の及ばない、馬鹿げたということばですら言い尽くしようのない奇妙な風習がはびこっているのも、こうした恭順さを無意味に尊ぶ感情のなせる技でしょう。教員側が校則をさっさと廃止しないという現実からも、教員もまた、先輩、過去という幻のような「先例」の指示に従わなくてはいけない、と信じて疑わない心情が読み取れます。

<先生>も子どもたちも、課題に忠実でなくてはなりません。教科書はそのまま読み上げる必要があります。教科書を誰かが編纂しているのだと言う意識は、<先生>にもまずありません。必要な知識はドリル、小テスト、期末テストなどで、考えることもなく覚え込まねばなりません。覚え込んだ内容の是非ではなく、覚え込んだ量が数値化されます。そして、より高い点数を取った人が集団内で褒められ、優位な立場に立つ、という社会性が、繰り返し繰り返し、それこそ<徳>として教え込まれていきます。
こうして教室内の子どもたちは、早い段階から、支配的なシステムに対して従順であること、他者はもっぱら、自分と比較される競争相手であること、そして自分の社会的な価値や地位は、<先生>や数値によって、外部から評価されるだけであることを感じ取り、心に刷り込み、そしてそれをルールとして内面化していきます。自己疎外は着々と進みます。

これを強化する仕組みとして、集団相互をライバルとみなすという習慣も、学校には根づいています。隣のクラスは、あるいは近隣の他の学校は、成績でも、生活面(身なり、掃除など)でも、スポーツでも、競い合う相手という位置づけであることを、子どもたちはずっと経験し続けます。子どもたちは、同じクラス内でもお互いが競争相手であることを教え込まれ、別の集団は集団として、つまりそこにいる個々の子どもたちのいろんな顔、いろんな姿を奪われた、単なる塊として、やはり競争相手なのだと、教え込まれます。
自分は常に外側からの評価という脅威にさらされ続け(私はこれで大丈夫だろうか? 非難されないだろうか? 不利益を被らないだろうか?)、外部は常に競争相手、つまり自分の利害を大きく侵害する相手だと感じ続ける。この心の状態は、そっくりそのまま、他人を排斥したいという残虐さの感情そのものです。暴力を振るう心、残虐な心がここでもう生まれています、それどころか、強化され続けて、思春期を迎える頃までにはしっかりと根づいています。

暴力の源について、ずっと前に書き記したことをもう一度ここで繰り返します。 
  暴力の根源 ー 他者に関心を示さない、他者を脅威としか感じない

なぜそんなことになってしまうかというと:
  自分が虚ろなまま ー 自分を決めるのが常に外部からの圧迫的な評価で、自分を失う

こうして人は、自分自身の品質を保証する外部評価だけが頼みの人へと、つまり自己が阻害されたままの人へと、仕立て上げられていきます。この経験が積み重なると、自分に対するイメージが、他者からの評価だけで満たされることになります。
評価されること、褒められること、叱られないこと、つまはじきにされないこと。こういう気持ちに満たされていると、たとえば戦地で、武器も持たず無抵抗な人々を殺害しても、それが上官の命令に従っているのであれば、自分が責任を負うという感情を、うまい具合にかわすことができます。「言われた通りのことをしている」ので、「集団から省かれることはない」し、おそらく「褒められる」、そうではないまでも、「叱られることはない」ので、自分の身を守る(殺されない)ことができる。(旧日本軍が行なったと思われる残虐行為の詳細はいまだに闇に包まれていますが、ニック・タース『動くものはすべて殺せ』に、ベトナム戦争における米兵や韓国の兵士たちの残虐行為を、「命令」あるいは「義務」として正当化する人々の心のうちが、うんざりするほど描き出されています。)
こうした分かりやすい残虐性の縮小版(物事はなんでも小さくなると無害な印象を与えるものですね)は、教室でのほかの子どもの<悪事>を告発する風習が続いているホームルームや反省会ですね。
また、東京裁判をある程度ご存知の方ならさらに、この、上の誰かが責任を取ってくれるから、自分は直属の上司が認めてくれることだけをすればいい、という心が、戦前の支配者層のずっと上の上まで続いていたらしいことにお気づきでしょう。アレントの言う「悪の凡庸さ」が支配層のトップにまで至っていたわけです。そしてその隷従的なヒエラルヒーの反復は、ボエシが500年近くも前に気がついていたことでもありました。

突きつめて考えると、日本で主に行われている教育は、ほとんどすべて、<情操教育>だということになります。それは、自分自身のイメージを他人の評価に委ねることを教え込み、他人の評価をルールとして内面化することを促します。
そうして個人は自分自身を喪失する方へと向かい、評価と監視と競争の最中で個人は常に自己を管理せざるを得なくなり、こうして作り上げられた、自分の外からやってきた自分の中身が、あたかも自分の本来の中身であるような勘違いを引き起こし、空虚で偽のアイデンティティが形成されていきます。自分も、そしてまた他人も、決して信頼ができない。自分も他人も、誰も彼もが競争相手であり、出し抜かれないために、自分の地位が下がらないように、絶えざる監視が必要な対象なのです。(フーコーは、監視と訓練の装置だという視点から、教育機関の成立を描き出しましたが、このことについてもまた、ずっと後で触れたいと思います。)

このプロセスは当然、とても不愉快なプロセスです。安らぎ、信頼、喜びという感情はとても縁がなさそうなプロセスです。そして、その不愉快さを解消する仕組みもまた、このプロセスに組み込まれています。それは、外部からやってきたルールを内面化した挙句、自分自身もまた他者を厳しく評価することが日常化するという仕掛けです。こうして人は、自分自身に巣食っているどうしようもない不快感のうっぷんを、他者に対する攻撃をすることで晴らすのです。
ぼくたちがよく知っているこの国の教育は、主に暴力性と、残虐さという情緒を育むのに、とても役に立っています。困ったことに、おそらく<教育者>はこのことにまるで気がついていません。彼らもまた、彼らが子どもたちにそうするように、ひたすらに、彼らもまた子どもの頃に学校で植えつけられた習慣を続けようと思っているだけなのです。暴力はこうして、じつに無邪気に受け継がれていきます。

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