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感情に振り回される人間は、人生を無駄にする人間。

人間はとても不思議だ。

人には数え切れないほどの感情が存在し、目の前の状況によって沸いてくる感情が変わる。

自分にとって嫌な出来事が起これば怒りの感情が沸いてきたり、大切な人を失えば悲しい感情が沸いてきたり、つらいことがあれば苦しい感情がそれぞれ心を包んでいく。

人は社会的な動物であると同時に感情的な動物でもあり、状況に対して直感を働かせた上であらゆる判断を下す。

瞬間的に全身で受け取る知覚と五感情報を元に、自分にとってもっともベストな選択を下すのが人間という生き物である。

そうした感情の豊かさこそが、人を人たらしめる特徴であり、感情を一切排除することは誰にもできない。

過去の哲学者たちを見ればそれが如実にわかる。

だが、感情を排除することはできずとも、感情をしっかりと手懐け、自分自身の意思でコントロールすることは誰もができることである。


怒りと嫉妬の感情コントロール

アドラー心理学では「怒り」の感情をコントロールすることは難しくないと言われている。

怒りはあくまでも相手を制圧するために使っている感情であり、「相手を制圧する」「自分の言う事を聞かせたい」という目的的な側面に焦点を合わせれば、怒りを使わずに物事に冷静に対処することが可能だとアドラーは言っている。

これは何も怒りの感情だけに言えることではなく、ほかのさまざまな感情に対しても同じことが言えるのではないだろうか。

たとえば、「嫉妬」という感情は本人は自分が嫉妬していることを認めたがらない。

嫉妬は一般的には醜い感情であり、嫉妬を抱く人は性格が良くないと思われているからだ。

誰も自分は性格が悪い、醜いと認めたくはないものである。

でも、怒りの感情をコントロールするためには、怒りという感情のその先にある目的に目を向けることが必要であり、感情の先にある目的に気づくためには冷静さと自分自身を客観的に見る力が必要だ。

嫉妬にも同じことが言え、嫉妬を克服したりなるべく抱かないようにするためには、嫉妬のその先にある目的について冷静に考える必要があり、主観的かつ感情的に考えるのではなく、客観的かつ論理的に考えることが大事となる。

怒りや嫉妬といったネガティブな感情をコントロールするには、決して感情に流されてはいけないのだ。

一度流されてしまうと、その感情の波に抗うのは非常に難しい。


自分を守るための自己正当化

嫉妬は人間の感情の中でもかなり強い部類の感情だ。

嫉妬を正当化するために、人はありとあらゆる言い分を作り出し、あたかも嫉妬するのが当然であるかのように自分自身を納得させる。

「悪いのは嫉妬している自分ではなく、嫉妬させるような行動をする相手だ」と、無意識的に自己防衛&自己正当化をおこなうのだ。

もちろん、こうした無意識的な反応に本人はまったく気づいていない。

冷静に考えれば、嫉妬の感情を抱いているのは紛れもなく自分自身であり、嫉妬してもなにも変わらないことを理解できるはずなのに、誰かのせいにして誰かに当たらずにはいられない。

そうでもしないと、嫉妬している醜い自分を認めてしまうことになる。だから人は自己正当化で責任を逃れようとするのだ。

実際、人間の感情の多くは自己正当化によって成り立っているといっても過言ではない。

怒りも悲しみも、喜びも楽しみも、すべて自分を正当化しているからこそ成り立つ感情である。

自己正当化は悪いものではなく、自分の言動と感情を一致させるために必要なことだ。

しかし、それが強く働きすぎると間違った言動に行き着き、人生で損をすることも多くなる。

他人を変えるより自分の感情をコントロールする

自分で自分のことを批判したり、否定できる人間はとても少ない。

自己否定は誰にとっても簡単なことではなく、つらく苦しいものである。

だが、自己正当化しすぎる自分から抜け出すためには、自己否定は欠かせないものだ。

感情のすべてを正当化していると、怒りや嫉妬などの感情に飲み込まれ、自分自身を傷つけてしまうことになる。

他人に嫉妬していいことはなにもない。他人に怒りを抱いても、気分が悪くなるだけでなにも解決しない。

感情によって不利益を被るのが自分であるなら、解決できるのは自分自身以外に誰もいないのである。

嫉妬も怒りも悲しみも苦しみもすべては自分次第。

他人を変えるよりも、自分の感情をコントロールしたほうが圧倒的にラクである。


感情というおもちゃをどう扱うか

感情は人間を人間たらしめる大切なものではあるが、感情を好き勝手に放置してしまうと、時に痛い目を見ることがある。

感情は理性でコントロールしてこそ人間にとって有益となるが、理性が欠けた人間に感情というおもちゃを手渡すのは危険極まりない。それは赤ちゃんに包丁を持たせるようなものである。

時には悲しみに暮れて涙を流すこともあるだろう。

腹立たしいことがあってイライラすることも、楽しくてワクワクすることも、苦しくてつらいことも、嬉しくて幸せなこともある。

人生は長く、何が起きても不思議ではない。

喜怒哀楽は充実した生活を送るのに必須ではあるが、それは「感情のままに生きろ」というわけではない。

感情は理性でコントロールしてこそ最大限に価値が発揮されるのだ。

くだらないことに時間を無駄にしないためにも、常に自分を客観視しながら、感情の手綱はしっかり自分自身で握っておこう。

感情は時に人生を破滅させてしまうのだから。

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