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自己実現欲求と承認欲求。成長欲と向上心こそあなたを苦しめる。

一般的には、承認欲求や自己実現欲求を持つことはいいことだと思われている。

人は承認欲求や自己実現欲求を持つことで今の自分よりも魅力的な人間になろうと努力し、現状を今よりも良いものにしようと一生懸命になる。

資格の勉強をしたりプログラミングを学んだりするのは、今の自分に何かしらのスキルを身につけようとする行為だ。人間としてのスキルを拡大することで、今よりも充実した人生を送ろうと思うのも人間ならではである。

承認欲求と自己実現欲求が人を魅力的な存在として成長させ、人生を今よりも充実したものにしてくれる。しかし、それは本当だろうか?

承認欲求や自己実現欲求は必ずしも必要なものなのか? 成長を望む心は時として、あなた自身を苦しめたりはしないだろうか? 承認欲求を持つことで、生きづらさを感じている人もいるのではないか?


承認欲求と自己実現欲求

人間には三大欲求をはじめ、数えきれないほどの欲求と欲望が存在する。承認欲求と自己実現欲求もその一つであり、欲求は時として私たちを振り回したり惑わしたりする。

昔から哲学者たちが警告していたように、欲求と欲望は諸刃の剣である。欲が強ければ強いほど、自分自身を傷つけてしまうことも少なくない。承認欲求に取り憑かれた人が、欲を満たすためにおかしな行動をしたりするのも現代では馴染み深いものである。

そして、人間を振り回す欲求の中で、もっとも強い欲求が承認欲求と自己実現欲求なのである。


承認欲求に振り回される現代人

アメリカの心理学者であるマズローは人間の欲求を5つに分け、「欲求5段階説」を提唱した。

これは現代の心理学者たちからは否定されたりしてはいるものの、人間の心理について考える上で重要な役割を果たしている。マズローは、人間の欲求の最上位に自己実現欲求を置いた。そして、自己実現の一段下に、みなさんお馴染みの承認欲求がある。

承認欲求は他人から認められたい、必要とされたい欲求のことであり、ツイッターやインスタといったSNS上には承認欲求を求める人がたくさんいるのを目にするだろう。

いいねの数にこだわったり、フォロワー数を増やすことに躍起になったり、自分の生活をさらけ出して他人から羨ましがられたりするのは、すべて承認欲求に突き動かされた行動だといえる。

悲しいことに、現代では若者だけでなく、大の大人までも承認欲求に取り憑かれたようにSNS上で他人からの承認を求めている。

人間に潜む欲求の中でも、承認欲求と自己実現欲求は現代社会で生きづらさを感じている人にとって深く関係している。

承認欲求と自己実現欲求を持っている人が必ずしも生きづらさを感じているわけではないが、生きづらさを感じている人の多くは承認欲求と自己実現欲求が強すぎる人たちなのだ。


自己実現欲求があなたを苦しめる

はじめにも述べたように、一般的には、承認欲求と自己実現欲求を持つのは良いことだと思われている。

自己実現欲求は、なりたい自分を思い描くことで、その姿になろうと人は一生懸命努力して成長しようと願う。承認欲求も、他人から必要とされることで生きる価値を実感し、人生がより楽しいものになっていく。誰からも必要とされない人生は中々みじめなものである。

しかし、何度も言うように、承認欲求と自己実現欲求が強いことで、逆に自分自身を苦しめたりすることもある。

週末の休みを一日中ベッドの上でゴロゴロしたり寝たりを繰り返していれば、夜に罪悪感を感じて死にたくなることがあるだろう。「せっかくの休みを何もせずに無駄に過ごしてしまった」と。こうした感情が湧いてくる原因こそ、自己実現欲求があるからなのだ。

自己実現欲求があることで、「今よりももっと努力できる」「もっと頑張れる」「他人から認められる自分にならなければ」という考えが浮かんでくる。

だが、現実はそう甘くはない。頭で考えていることがうまくいかないことはたくさんある。そうした、頭で考える自分の行動と、実際の現実での自分の行動の差。その理想と現実のギャップこそ罪悪感という感情を生み出す。

「自分はもっとできる」と思っている人ほど、たまにだらけたりゴロゴロしたりするだけで罪悪感で死にたくなってしまう。何を隠そう、私も自分の自己実現欲求に振り回されている1人である。


今に満足することが大切

欲求が私たちに罪悪感を感じさせるのが事実だとしても、それは承認欲求と自己実現欲求は一切持たないほうがいい、と言っているわけではない。承認欲求と自己実現欲求は大切だ。とても大切だ。

しかし、承認欲求と自己実現欲求も人間の欲求である限り、手網はしっかりと握っておかなければならない。欲求は競走馬であり、騎手は自分自身だ。放っておけば欲求は暴走し、自分自身を破滅させかねない。

欲求という暴れ馬の手綱を握るためには、今の自分に満足することが大事だ。現状に満足しつつ、自己実現を果たせずに思い悩むのではなく、自己実現を追える環境にいることがいかに恵まれているかを理解する。

そして、昨日の自分よりほんの少し成長できればいいと考えること。そうすれば、際限のない承認欲求と自己実現欲求に苦しめられることもなく、程よく自己実現を目指しながら生きていける。

人間の欲求には終わりがない。一度満たされても、人は「もっと、もっと」と際限なく欲求を満たそうとする。まだ使えるのに新しいスマホに買い替えたり、お腹がいっぱいなのにさらに食べようとしたり、物欲や食欲などはもっともわかりやすい例である。


欲求を満たし続けても幸せにはなれない

ハッキリ言うが、承認欲求と自己実現欲求が強すぎる人は、決して幸せにはなれない。

一つの幸せを手にしても、またすぐに新たな幸せが顔を出し、幸せのトレッドミルマシンに乗っているかのように死ぬまで走り続ける羽目になる。走っても走ってもあなたの心が満たされることはない。

競争の中で生きるのが好きな人であれば、欲求や欲望を追い求める生き方もいいかもしれない。情熱や熱意が強い人は他人と競争するのが生きがいであり、他人がいるからこそ成長し続けられる、そういう人がいるのも事実だ。

しかし、ただ「幸せになりたい」「楽しく生きたい」「満たされた気持ちで毎日生きたい」と思うのであれば、欲求や欲望を追い求めて生きるのはやめたほうがいい。

承認欲求と自己実現欲求は大切だとしても、多くの人たちは自分の欲求と欲望を満たし続けられるほど強くはない。それに、欲求を満たした瞬間は幸せでも、その幸せには持続力がないため、またすぐに欲求が湧いてくる。

私自身、そうした欲求のいたちごっこに嫌気が差した1人だ。


欲求に振り回されない生き方

自己実現欲求と承認欲求は時にあなたを苦しめる。

頑張らなければいけない、努力しなければいけない、専門的なスキルを身につけなければならない。もっと魅力的な人間になって、もっと人生を楽しいものにしなければならない。現代人はまるで幸せの競争をしているかのようだ。

それはすべて人間に備わった欲求の働きによるものであり、承認欲求と自己実現欲求は大黒柱的存在である。私たちが考えるべきは、欲求を失くすことではなく、どうすれば欲求に振り回されずにいられるかである。


気楽に生きよう

他人よりどれだけ多くのお金を持っているか、どれだけたくさんのモノを持っているか、どれだけ幸せを感じているか。SNSで他人の生活を見ると羨ましい感情が湧き、他人と比べて自分には何もないと落ち込む。

昔と比べて豊かになったにも関わらず、現代人の心はちっとも豊かになってはいない。近年、社会や時代は少しずつ変化し、仕事や働き方なども昔と比べて多様化している。

そうした時代に生きている私たちは、承認欲求や自己実現欲求を持つこと、スキルを身につけることや専門的な知識を持つことに専心する。自己実現を願って努力することや、承認欲求を満たすことを追い求めている。

「一生懸命頑張る」ことが普遍的な人間の価値だと思われているのだ。でもそれは間違いである。人間の価値なんてそんなところにはありはしない。

頑張ることを賛美するのは、努力でしか人間の価値を判断できない意識高い系の輩が言うことだ。そんな意見なんてゴミ箱に捨ててしまおう。私たちはもっと気楽に生きるべきである。


生き方は自分で決めろ

現代社会はとにかく行動しろ、行動しろと追い立てる。フォロワーが数万人いるインフルエンサーをはじめ、成功者と言われているビジネスマンもSNSで「行動しろ」と述べている。

現状に満足することは後退だと揶揄し、自己実現のない人間には未来がないと語る。だが、本当に大切なのは行動することではない。大事なのは、1日1日をどう感じるか、身の周りのものから何を感じられるかだ。

行動を起こそうが、何もせずに過ごそうが、生きていて幸せを感じているのであれば、それだけで人生は大成功である。

勘違いしてほしくないのが、ここで述べているのはあくまでも私個人の意見であり、第三者に押し付けようと思っているわけでも、自分の考えが正しいとも思っちゃいない。

私がメッセージを伝えているのは、「欲求を満たし続けること、欲求に振り回されること、現代社会で生きづらさを感じている人」たちである。競争が大好きで「Jasu do it」が座右の銘となっている人たちはそのまま生きていけばいい。生き方はほかの誰でもなく、自分で決めるものである。

私は承認欲求と自己実現欲求に振り回されて生きづらさを感じた。そこから得た経験をこうして発信しているだけである。


私たちには何もなくたっていい

承認欲求と自己実現欲求に取り憑かれた意識高い系には本当に大切なものが見えていない。今ここにある幸せさえも。

自分を傷つける自傷行為はリストカットだけではない。欲求に取り憑かれた人間は、自分の心にズタズタに切り刻んでいる。当の本人は気づいていないかもしれないが、気がついたときには心が悲鳴を上げて手遅れになっているだろう。

何度も言うように、欲求は常に手網を握っておかなければならない。どんなに必要な欲求でも、強すぎる欲求は必ず身を滅ぼす。現代人に必要なのは、「足るを知る」ことであり、今に満足することなのではないだろうか。

目標を持ち、理想の自分になるために自己実現を求めるのも大切だ。他人から求められ、自分の価値を実感するために承認欲求を満たすのも大事ではある。でも、それは必ずしも自己実現欲求や承認欲求を持たなければいけないわけではない。

私たちには、何もなくたっていいのだ。

頑張る自分も、頑張らない自分も人間としての価値は変わらない。能力やスキルによって人間の価値に差が出るわけではない。自己実現と承認欲求を求めて生きづらさを感じているのであれば、一度欲求をすべて手放してみてはどうだろうか。

素直に心を開放し、ありのままの自分を認めることで、今より生きやすくなるだろう。


欲求と欲望の断捨離

断捨離は何もモノだけに限ったことではない。自分の人生に必要のない欲求や欲望、感情やプライドといったものを手放すのも断捨離の側面だ。

現代人は、感情や欲望なども、着ない服と同じぐらい過剰に抱え込んでいる。昔からの固定観念はそう簡単に捨て去ることはできないだろうが、人はいつだって変われる。

私自身、昔は欲求や欲望を満たすためだけに生きていたが、今では欲求を手懐け、自分にとってちょうどいい欲求を満たしながら生きている。何が人を変えるきっかけとなるかはそれぞれ異なっているが、変わるのに遅すぎることはない。

私の場合は、本との出会いが人生を大きく変えてくれた。人生にはガムシャラに頑張る時期が必要なのも事実だが、疲れたときは一度自分の心と対話してみよう。

きっと、必要のないものまで抱え込み、自分で自分を追い詰めていることに気付けるはずだ。

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