「どうでもいいこと」ほど重要で、「重要なこと」ほどどうでもいい。
どうでもいいことは大概、自分がどうでもいいと思っているよりも重要だ。
一方、重要だと思っていることは、さほど重要ではないことのほうが多い。
後から振り返ると「なんであんなことで悩んでいたんだろう?」と思うことが多いように。
実際、人生のほとんどは「どうでもいいこと」の寄せ集めだ。
本当に人生や自分にとって重要な問題なんてものは早々ないし、普通に生活していて重要な問題にぶち当たることもほとんどない。
そして大抵の「重要な問題」は、冷静に考えれば重要でもなんでもなく、「どうでもいいこと」に分類される出来事だったりする。
でも、人生のほとんどが「どうでもいいこと」の寄せ集めだとすれば、逆に「どうでもいいこと」が「重要なこと」だとも言える。
どうでもいいことが集まることで、どうでもいい出来事の集合体が出来上がり、それが重要な問題として1人ひとりの前に現れる。
スライムが合体してキングスライムになるようなイメージだ。
「どうでもいいこと=自分にはどうにもできないこと」
「どうでもいいこと」というのは、本当にどうでもいいことだ。
朝寝坊してしまっただとか、ニキビができてしまったとか、小指をテーブルにぶつけただとか、晩御飯のおかずで家族とケンカしただとか、そんなようなことだ。
どの程度のことまで「どうでもいい」と思えるかは人によっても異なるが、個人的にはほとんどすべての出来事がどうでもいい問題だと思っている。
だが、これは私の生き方や思考のデフォルトが「期待しない」に設定されているからだろう。
たとえば、私はフリーランスのライターとして仕事をしているが、明日いきなり仕事が突然なくなったとしても、私にとってはどうでもいい問題である。
仕事が継続的にもらえるかどうかは私にはどうにもできないことであり、日頃から一生懸命に仕事をしていれば、仕事が途切れたとしても後悔や取り乱したりすることがないからだ。
ほかにも、友達や知り合いといった人間関係が疎遠になったところで、特に寂しさを感じたり悲しくなったりもしない。
これも自分にとってはどうでもいいことだからだ。
友達や知り合いが私から離れるかどうかは相手の問題であり、自分は相手の選択を受け入れるだけである。
つまり、私の中では「どうでもいい問題=自分ではどうにもできない問題」なのだ。
これはある意味、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方とでもいえるだろう。
人生すらどうでもいいもの
昔恋人に別れを告げられたとき、特に引き止めたりもせず、ただ素直に「今までありがとう」と言って怒られたことがある。
どうやら彼女は寂しくて構ってほしくて駆け引きで別れを告げたようだが、私は昔から「去るもの追わず」スタイルで生きているので、そのまますんなりと別れて終わってしまった。
当時の彼女の気持ちを2年後に聞かされたとき、「あぁ、そういうことか」とはじめて女心がわかった気がした。
さきほども言ったように、私は「自分ではどうしようもできないことは、どうでもいい問題である」という考えで生きている。
仕事がなくなるかどうか、人間関係がどうなるか、将来がどうなるかは自分にはわからないし、どうしようもできない。
自分はただ運命の流れに従って生きるだけである。
もちろん、物事がいい方向へと向かうように最大限の努力はする。
でも、最終的な結末は「神のみぞ知る」だ。そこに私の意思は関係ない。
しかし、この考え方には大きな欠点がある。
というのも、人生で起こるほとんどすべての出来事が「どうでもいい問題」になってしまうのだ。
人生は本質的に予測がつかないものである。
予測がつかない以上、自分ではどうしようもできない。どうしようもできないならどうでもいい。
この考えが突き進む先は、人生そのものが「どうでもいいもの」という結論である。
どうでもいいと思うからこそ、人生が輝く
私は人生に執着していない。
極論を言えば、生きるか死ぬかもどうでもいいよく、ただ毎日自分ができること、やるべきことに最善を尽くして生きているだけである。
仕事にも他人にも自分にも人生にも期待しちゃいない。
でもそれは人生を「諦めている」わけではなく、人生とはそういうものだと「受け入れて」生きているのだ。
だからすべてがどうでもいいと思っていても、一日中部屋に閉じこもって暗い顔しながら仕事しているわけではない。
好きなことや楽しいことを思う存分享受しつつ、嬉しいことには喜び、楽しいことには笑い、それなりに充実した毎日を送っている。
逆説的ではあるが、これは人生の問題をどうでもいいと認識しているからこそ、一つひとつの物事を楽しめているのだと思う。
どうでもいいことしかない毎日でも、どうでもいいことが集まることで重要なこととして目の前に現れる。
重要なことは重要なことなので本気で向き合う。ということは、すべての出来事と本気で向き合うという意味にもなる。
そして、ここにこそ人生の生きがいがあるのだ。
どうでもいいことこそ、実は重要
「どうでもいいことが重要で、重要なことのほとんどはどうでもいい」というのはそういうことである。
すべてをどうでもいいと思うスタイルで生きているからこそ、人生に楽しさが生きがいが生まれる。
その意味では「どうでもいいこと」こそ「重要なこと」だと言えるだろう。
「どうでもいいこと」を「どうでもいい」と言葉どおりに受け取ってしまうと、人生は本当にどうでもいいものにしかならない。
仕事に嫌気が差し、人間関係にストレスを感じ、自分の将来も人生もすべてがどうでもよくなったとき、人は人生に絶望する。
そうではなく、人生のどうでもいい問題を積極的に受け入れ、「どうでもいいことこそ重要」なのだと理解することで、そこそこ楽しく人生を生きられる。
死が近くなると生を愛おしく思うように、どうでもいいことまみれな世界だからこそ、人間は充実した人生を歩めるのかもしれない。
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