他人と比較せず、自分に本当に必要なものを見極める。
社会では「自分の頭で考えること」が大事だと言われている。
他人の意見や考えに従うのではなく、何事も自分の頭で考え、自分の意見を持つことが大切だと言われる。
たとえば、仕事の選択にしても他人に「この仕事は給料も高いし将来性もあるし安定もしてるからおすすめだよ」と言われ、そのまま何も考えずにその仕事に就くのは、何一つ自分の頭で考えちゃいない。
趣味や恋人、休日の過ごし方から毎日の生活習慣といった部分でも、他人の考えや意見に従って決めるのは、自分の頭で考えることを放棄し、楽な選択肢に飛びついているだけである。
最近はSNSなどで他人のライフスタイルが目に見えるようになっているため、どうしても他人と自分を比較してしまう。
他人の趣味と自分の趣味、他人の恋人と自分の恋人、他人の休日と自分の休日、他人の生活習慣と自分の生活習慣。
現代社会では比べなくてもいい部分においても、他人と自分という枠組みの中で物事を考えてしまう。
他人と自分を比較する
他人と自分を比較するのがダメだとよく言われるののは、1人ひとりの趣味や嗜好、感性や価値観、性格や生き方といったものが異なっているからだ。
私たちは「人間」という生物種においては同類かもしれないが、「1人の人間」として捉えれば1人ひとりまったく別人である。
にも関わらず、他人と自分を比較するというのは、野球選手とサッカー選手のどちらが優れているかを比較しているようなものだ。
こんなバカバカしい比較はないだろう。
他人と自分を比較するのがダメな点はもう一つある。それは、他人は必ず自分が持っていないものを持っていることだ。
人は1人ひとり生き方が違うのだから、それまでの人生で手にしてきたものも当然違う。
友達や恋人、お金や車、学歴や専門スキルといった、自分が持っていないものをたくさん持っている人もいる。
他人と自分を比較してしまうと、否が応でも、他人が持っていて自分が持っていないものに目が向いてしまう。
そうなると、自分の人生には必要がないものであっても、抑えきれない羨望によって、あたかもそれを手にすれば今よりも充実した生活が送れると思い込んでしまう。
お金や恋人はその典型例である。
それは本当に必要なものなのか?
実際、自分の価値観やライフスタイルを理解している人の多くは、自分の人生にそこまでお金は必要ないと気づいている。
「お金はあるほどいい」「稼ぐのが正義」だと思っている人は、無意識のうちに他人と自分を比較し、他人が持っていて自分が持っていないものを手にするためにお金を必要としている場合がほとんどだ。
あれこれ物欲が刺激され、たくさん物を買い漁ってしまうのも、他人と自分を比較しているからこその行動である。
もちろん、本当に必要で物を買うケースもあるだろうが、多くの人たちが好きで買っていると思っている物のほとんどは、実際には他人の存在があるからこそ買っているに過ぎない。
つまり、本当は自分の人生には必要ないものを、他人と自分の枠組みで考えて購入してしまっているのだ。
試しに思考実験してみよう。
「もし、この世に自分だけしか存在していないとしたら、あなたは今欲しいと思っているものを購入するだろうか?」
この問いの答えがYESなのであれば、それはあなたの人生に必要なものである可能性が高い。
逆にNOであるならば、それはあなたの人生には必要ないものである。
なぜなら、それは他人と自分を比較して物欲が刺激されているだけに過ぎないからだ。
現代は他人との競争社会
冒頭で述べた「自分の頭で考える」というのは、他人と自分の比較のパラダイムから脱却するという意味でもある。
他人の意見や考えに従ってしまうのは、他人と自分を比較しているからにほかならない。
他人のほうが自分に持っていないものを多くもっている、だから他人の価値観や生き方を見習って生きれば、自分もその多くを手にできる。そんな風に思ってしまうのだ。
でもさきほど述べたように、自分が今求めているものが、本当に自分の人生に必要だとは限らない。
それは他人との比較の上で生じた欲求かもしれないし、ただ他人に羨望して生まれた物欲かもしれないのだ。
お分かりのとおり、そんな物を手にしてもあなたの人生はまったく充実しない。本当に必要なものがズレているからだ。
自分の生活や人生に必要のないものをそろえるのは、サイズの合っていないスーツを着ているようなものであり、それらはあなたの人生をみずぼらしくする。
現代社会はどうしても他人との比較や競走を意識してしまう側面がある。
誰々がいくら稼いでいるだとか、友達の恋人が理想的だとか、同僚が充実した休日を送っているだとか。そんなことばかり目についてしまう。
自分の人生に集中すべきだと頭でわかっていたとしても、私たちは中々そのようには生きられない。
社会という枠組みの中で生きている限り、他人の存在を一切消すことはできないのだ。
競争に参加しない生き方
でも、何か行動を起こすときに、意識的に自分の頭で考える癖をつければ、ある程度は競走社会や比較社会から抜け出すことができる。
イソップ童話の「酸っぱいブドウ」という話では、高い木についているブドウをキツネが取ろうとするのだが、自分のジャンプ力では届かないからと、「あのブドウは酸っぱくてマズイに決まってる」と負け惜しみを述べて去っていく。
この話の教訓は、「自分の実力のなさを認める」ではなく「はじめからブドウなんて欲しがらない」である。
つまり、他人が欲しがっているものに盲目的に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、自分の人生に必要ないと思ったものは欲しがらない。
最初から競走社会や比較社会に参加しなければ、自分自身に劣等感を感じることもないだろう。
他人と自分を比べて落ち込む人は多いが、そんなこと気にする必要はない。
私たちは、本当に自分に必要なものだけを追い求めればいいのだ。考えることを放棄しちゃいけない。
たとえわからなくても、考え続けることで自分にとって本当に大切なもの、必要なものが見えてくるのだから。
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