![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/15044407/rectangle_large_type_2_21f4bacb79be021f689e323964e47197.png?width=1200)
Photo by
mana2518
理解される、理解しやすい、と心
こんにちは。まめのすけです。
社会貢献活動の場所に行くようになりました。
対岸の火事、自分と違うモチベーション
そう思っていたのですが、実際やってみると意外に自分の中の正義感がムクムクしてきます。
最近、障害がある方とお話する機会がありました。
マイノリティーだと、彼らは言いました。
確かに就労するにも、対話をするにも
人と出会うにも障害を意識せざるを得ない。
一方、彼らを知ろうと彼らのコミュニティーへ足を運びました。そこでは、私がマイノリティーでした。
「私達の気分がわかった?」
あれ?と感じました。違和感。自分がマジョリティーだと思ってなかったけど、相手からはマジョリティーに見られていたんだと。
私自身、病気で多少偏見を受けたり、職場が外資だったりと日本ではマイノリティーになることはまぁまぁあったのですが、そんな私も他人から見たらマジョリティーだった。
でもそんな中でも少しだけ私は彼らが「羨ましい」って思うのです。
一言で、自分のマイノリティーを示す言葉があるから。見たり接したりしたらわかるから。
結局そう思う私もマイノリティーとマジョリティーが自分基準であることや、マジョリティーを自負する方たちに、さらにマジョリティーを感じさせられたり、そして自分の感じるマイノリティーが理解されづらかったり、、
理解しやすいマイノリティー、それが理解されること、そしてそれを受け止める心
どれもがその人の生活が基盤になった、狭い範囲なんだなと改めて気づいた。
いいなと思ったら応援しよう!
![人生オタク りゅりおん](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/6563418/profile_ad2a8ad7c9fd519d61f0a3b48396c66b.jpg?width=600&crop=1:1,smart)