カッときて「一言いってやりたい!」時にこそ忘れちゃいけない大切なこと
先日子どもを乗せて自転車で図書館に向かおうとしていた時のこと。
家の近所の大通りを横断するのに信号待ちしていたのだが、2車線×3車線の大きな交差点で、休日だったこともあり、こちら側も向こう側も結構な人数が集まってきた。
信号が青に変わり、人が動き出す。
人の波をさけるように自転車専用レーンをそろりそろりと走り始めたが、人が多すぎて私の右隣すれすれのところで人が歩いている。
息子よ、体を揺らしてくれるなよ・・・!
まっすぐ走ることに意識を集中していたが、ふと気づいて青ざめた。
向こうからすごいスピードで自転車が2台近づいてくる!!!
お友達同士なのだろう、高校生くらいの女の子たちがふたり、隣を走りながら楽しそうにお喋りしている。しかし悪いことに、お友達のうち、私に近い側の彼女は、ずっとスマホをみていてこちらに気づいていない。
彼女たちとは逆の右側によけたいが、人がいて動けない。後ろからも人の波が押し寄せていて止まれない。ゆっくりスピードを落とすが向こうはまだ気づかない。
あーぶつかる・・・!
ギリギリのところでこちらに気づいてくれ、事なきを得た。
あのスピードでぶつかっていたら、私たち親子が倒れるのはもちろん、相手も、そして周囲を歩いていた人たちも巻き添えをくらったことだろう。
さて、この時の私の心情はこうだった。
「ごるぁ!!!前見て自転車こがんかい!!!!!!!!!」
その時はそんな言葉出てこなかったが、何事もなかったかのように楽しそうに自転車に乗って通り過ぎて行った彼女に向いたのは怒りの感情だった。
その後、ゆるゆると自転車をこぎながらも私のなかではぐつぐつとした黒いものが煮えたぎっていた。そこで息子(5歳)に聞いてみた。
私「ねえ、さっき他の自転車とぶつかりそうだったじゃない?あれどう思った?」
子「あー、こっち側の人、携帯みてたよね」
私「そう。もう少しでぶつかりそうで怖かったんだよね。」
子「そうだね」
私「・・・・・ママさ、今もあのぶつかりそうになった人に怒った気持ちなの。前見てよ!って一言いってやればよかった!って思ってる。でも、言ったところであんまり意味ないかもしれない。息子くんはどう思う?」
子「あ~・・・僕だったら言わないかな~。知らない人には、怒らないかなぁ~。いうんだったら警察に電話するわ」
5歳児の回答を受けて、しばし考え込んでしまった。
多分、私のこの「怒り」って、その場でかっと来た感情であって、ただそれを発散させて自分がすっきりしたいだけなんだろう。
それを正当化するのは簡単だ。
「危ない行為を注意して今後同じようなことが起きないようにする」
ためとかいえば、なんとなく真っ当な意見として通せる気がする。
でも、なんかそれももやもやするのだ。
ちょうど最近この本を読み直していた。
今回ぶつかりそうになった自転車の彼女は「職場のアホ」ではないが、この本に書かれていること、その学びはうまく活用できることに気づいた。
それは「自分が本当に達成したいことを忘れない」ことだ。
私が本当に大切にしたいことは、あの場においては「自分と息子の安全・幸せ」だ。誰かにそれを脅かされたかもしれないが、その人を責めることにエネルギーを注ぐのはもったいない。
それならば、何事もなかった=安全を確保できたことを喜び、どこの誰だかもわからない人に向け続けてしまっている負の感情のほうではなく、愛する息子と過ごすこの瞬間にエネルギーを向けるべき。そう思い直すことができた。
自分のエネルギーは有限。子育てしたり、仕事をしていると簡単に枯渇する。だから、何に自分の注意を払うか、そして何に意識を向けるかは、丁寧に選んでいく必要がある。
その積み重ねが、日々を作っていくのだと改めて実感する出来事だった。