犬を連れた奥さん アントン・チェーホフを考察する



不倫文学:アンナカレーニナ 極彩色の絵巻物
     犬を連れた奥さん 水彩画

アンナは自殺をして物語が終わる。チェ―ホフは結論を明示せず。
二人とも主人公の名前はアンナ。チェーホフのトルストイに対するアンチテーゼ。二人の対照的な女の生き方。

描写力

ノックすらない、書き始め。「海岸通りに新人が現れたという噂だった。犬を連れた奥さんだと言う」。いきなり物語に吸い込まれる。
グーロフの細君:わざと長い名前で呼ぶ。しかめっ面で勿体ぶった感じ。これは女性解放思想などに影響を受けている女性の象徴だが、これを旦那は嫌っている。
「当時のロシア生活の驚異的な万華鏡」である。

「海の水は非常に柔らかく。。。」この描写力はヤルタに住んだ人ならわかる書き方。さらに奥さんの描写:よわよわしい首筋、灰色の眼などの表現が男の言葉から間接的に読者に伝えると言う手法を取っている。主人公の想像力が媒体という変わった方法である。ヤルタは欧州人の憧れの土地。豊かさの象徴、ブルジョア。

スイカの一節の描写もリアルである。

「もう少しで解決の道が見つかり。。。ようやく始まったばかりだった」

①自然な語り口で力みがない。(トルストイの真逆)でゆっくりと途切れず、抑えて話す。

②性格描写が微細だが、特徴的に選んでいる。説明過多を避けて、繰り返しや強調も抑えている。「細部は背景全体を明らかにする」という哲学こそがチェーホフである。あらゆる人物描写が簡潔で冷徹。

③思想伝達小説の否定:主張も道徳もない。トルストイはこの作品に「善悪を区別するはっきりした世界観をもっていない連中」と不満をもらしたという。だが、トルストイが初めから放り出してかえりみないような人間にもチェーホフは深い信頼を寄せたのである。

④波動小説 ゴーリキーやトルストイなどが思想がぶつかり合う「物質粒子」であればチェーホフは「波動小説」。流れる如く、連鎖していくが終わりがない。

⑤結末の否定:人間が生きる以上悩み、夢、望みには終わりがない。少なくとも明確な結論がない。

⑥本筋と瑣末の関係 例えば劇場の中学生が立ち聞きし、噂が広まる。インクの壺から手紙に話が移る。瑣末はエピソードが話しの転換点を生み出し、流れを生む。細部は無意味、故に邪魔せず本筋の本来の意味を際立たせるテクニックを使っている。

真の幸福を探しながらもそれがどこにあるのか、たどり着かない姿を哀愁と滑稽さで語るチェーホフ。鋭い視線と率直な語り、自己の価値観の押しつけを避けている。グーロフを俗物から人間へと解放したのは、アンナとの出会いであった。だが、それは同時に、俗世間において虚偽と真実との「二つの生活」を生きねばならぬという現実でもある。グーロフの悲劇は私たちの生活の質を問いなおさせる力をもつのである。そして結末を明示しない。それがかえって物語に深みを与えているのだ。

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