リベラルアーツ

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バルト テクストを考察する

テクストとは? バルトが書いた『テクストの快楽』という本があります。そもそもテクストとは何でしょう?端的に文章のことだと考えましょう。私達はいつもテクストを理解するとき、テクストの中に隠された意味を汲み取ろうとします。学校の読書感想文などで苦労するのはこの部分ですよね。この行為は「解釈」です。私達は日々、すべてのコミュニケーション上で「解釈」を当然のように行っています。しかし、解釈という作業はとてもユニーク。何故なら、テクストを解釈するためには別のテクストにしなければならな

    • 坂口安吾 堕落を考察する

      人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。坂口安吾『堕落論 新装版』角川文庫 118頁 戦後間もない1946年4月、こう語る『堕落論』を上梓したのは、無頼派の作家として知られる坂口安吾である。この評論文は、戦争による喪失感や虚無感で混迷していた社会に、新しい指標を与えるものとして、当時の若者を中心に絶大な支持を得た。 新たな指標とは、上記

      • シェークスピア お気に召すままを考察する

        こんなあらすじ 兄の扱いに不満を抱いているオーランドは、自分の運を試そうと、公爵の御前で行われるレスリングの試合に出る決意をします。そのレスリングの試合を、追放された父を忘れられず沈んでいたロザリンドが、たまたま見かけ、それが縁でふたりはすぐさま恋に落ちるのです。これから恋が芽生えるというところで、フレデリック公爵に突然、追放を命じられたロザリンドは、現公爵の娘シーリアと道化を連れてアーデンの森へと逃れます。一方、オーランドも、レスリングの勝利をねたむ兄にいのちをねらわれ、

        • ガブリエル・ガルシア=マルケス エレンディラを考察する

          ガブリエル・ホセ・デ・ラ・コンコルディア・ガルシア・マルケスは、コロンビアの作家・小説家。架空の都市マコンドを舞台にした作品を中心に魔術的リアリズムの旗手として数々の作家に多大な影響を与える。1982年にノーベル文学賞受賞。 あらすじ エレンディラは祖母と暮らしている14歳の娘です。白鯨のような身体を持つ祖母、そして他に行き場のないエレンディラは祖母の身の回りの世話をしています。ある日、エレンディラは不注意から家に火事を起こして全焼させてしいます。激怒した祖母はエレンディラ

          プラトン ~絶対~ を考察する

          抽象思考が真の知識である。 人間の知識は4つのレベルがある。 1、影、反射 2、物体 3、下位の範疇 4、上位の範疇(イデア) 人は、馬の影を見る。そしてサラブレットと認識、しかしそれは「馬」というカテゴリーに当てはまる。 現象・具体から形・抽象への昇華がプラトニズムの真髄である。 たとえば、ハンバーガーを例に取ろう。さまざまな種類のハンバーガーが存在するが、なぜハンバーガーと人は認識するのか?それは万物共通のハンバーガーの形があるからだ。その究極のイデアが、現実界に

          プラトン ~絶対~ を考察する

          ニーチェを考察する

          善悪の彼岸にたつ哲人 「おもてなし」とニーチェ 主人道徳と奴隷道徳 主人道徳=ギリシャ的 奴隷道徳=近代的、キリスト的 奴隷道徳は、見返りを求める。真のホスピタリティは見返りを求めない、「贈与」である。いわゆる経済的交換でなく、社会的交換。リベラリティ=気前の良さ。一方的にあげれば、主人道徳になる。相手の為ではなく、自分満足のためにやっている、という論理が成りたつ。 たとえば福祉の現場。介護士と被介護者は完全なる奴隷関係。サービスはサーバント(奴隷)を意味するので奴隷化の

          ニーチェを考察する

          エレンディラ 自由を考察する

          ガブリエル・ホセ・デ・ラ・コンコルディア・ガルシア・マルケスは、コロンビアの作家・小説家。架空の都市マコンドを舞台にした作品を中心に魔術的リアリズムの旗手として数々の作家に多大な影響を与える。1982年にノーベル文学賞受賞。 あらすじ エレンディラは祖母と暮らしている14歳の娘です。白鯨のような身体を持つ祖母、そして他に行き場のないエレンディラは祖母の身の回りの世話をしています。ある日、エレンディラは不注意から家に火事を起こして全焼させてしいます。激怒した祖母はエレンディラ

          エレンディラ 自由を考察する

          J.S バッハ(1685-1750) を考察する

          普遍  バッハJohann Sebastian Bach(1685-1750)の音楽は二百年を経た今日においても、広く愛されている。今、この時も世界のどこかで彼の音楽が演奏され、誰かが彼の音楽に耳を傾けているのは疑いない。ベートーベンはBachを小川でなく、大河であると表した。バッハは後の音楽家に多大な影響を及ぼした。哲学において「カント以前の哲学はカントへ流れ込み、カント以後の哲学はカントから流れ出た」。と言われるのはそのまま音楽に於けるバッハの影響に重ね合わせることが出

          J.S バッハ(1685-1750) を考察する

          マルクス を考察する

          20世紀最も影響力のある思想家といえる。 マルクスは、哲学者であり経済学者ではなかった。哲学はヘーゲルで博士号、弁証法を援用して「唯物史観」を確立。 21世紀は自由主義の敗北の時代? 金融問題、貧困、格差など暗いニュースが世界を覆う、その反面新興国はまたバブルの気配。規制緩和が至上命題化し、企業は成果報酬や持ち株を与えるなど経済的インセンティブが主流だったが、これも限界なのか? では資本主義とは何か? 1、貨幣経済 2、サラリーマンの存在 3、市場の存在 これが資本主義の

          マルクス を考察する

          デカルト-近代の誕生-

          科学的手法について 第一は、私が明証的に真であると認めたうえでなくてはいかなるものも真として受け入れないこと。言い換えれば、注意深く速断と偏見とを避けること。そして、私がそれを疑ういかなる理由も持たないほど、明晰にかつ判明に、私の精神に現れるもの以外の何ものをも、私の判断のうちに取り入れないこと。(明証) 

第二、私が吟味する問題の各々を、できる限り多くの、しかもその問題を最もよく解くために必要なだけの数の、小部分に分かつこと。(分析) 

第三、私の思想を順序に従っ

          デカルト-近代の誕生-

          青山二郎を考察する

          眼の哲学 青山の弟子:白洲正子、中原中也、小林秀雄、宇野千代、永井龍雄、柳宗悦、大岡昇平など。 青山の信仰とは、知識に依らず、眼を頭から切り離して、純粋に眼に映ったものだけを信じるという「眼の哲学」であった。やきものから学んだ眼力によって、骨董はもちろん、人間の真贋から社会批評まで、ズバリとその本質を言い当てる。青山の文章は、独特な比喩とともに難解なところもあるが、知識ばかりが横溢する現在、もっとも辛辣な文明批評となっている。 人は眼玉で見たものを頭で判断し過ぎる。眼玉で

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          仮想通貨大国・マルタについて考える

          仮想通貨大国・マルタ 昨今マルタと言う南欧の小さな島が仮想通貨の世界で注目を集めています。マルタは 1.仮想通貨関連企業が相次いでマルタ島へ移転
2.理由は進んだ法整備と税率の低さ
3.今後も関連企業のマルタ進出が進む見通し となっています。 マルタ共和国こと通称マルタは、ヨーロッパの南に位置する共和制国家で、公用語はマルタ語と英語となっています。通貨はユーロで、国土は316km2(東京23区の半分)とかなり小さな島国です。先日世界最大手の仮想通貨取引所であるBinance

          仮想通貨大国・マルタについて考える

          「蜘蛛の糸」 芥川龍之介を考察する

          1.最初に気になるのが「話者」は誰かということだ。この話者はまるで遥かな宇宙から極楽と地獄を覗いているみたいだ。それは人間なのだろうか。お釈迦様(極楽の主は阿弥陀様である)のことを尊敬語で書いているから、どうやら我々と同じ眼である。
  「話者」って作者じゃないかと思われるかもしれない。でも、作者は物語を書く時にどういう視点から書こうか考える。カンダタの視点から書こうか、お釈迦様の視点から書こうかと。ところが作者は地獄でもない極楽でもない全く別の視点から書いている。それは極

          「蜘蛛の糸」 芥川龍之介を考察する

          菊池寛 父帰る を考察する

          共同体について この戯曲は芥川龍之介はじめ、一般市民から知識人、文豪までその結末に涙を流した名作と言われている。これを小林秀雄は、「一般人も、知識人も同化し一般大衆の一員となった」と書いたくらいだ。 菊地寛のテキストは「共同体」(運命共同体)の要素が色濃いことが特徴。父帰るでは、長男が父を最後に呼び戻すところが物議を醸す。父子の世代的な闘争の不徹底(マルクス主義者の議論)。しかし、家庭のような共同体では話が異なる。 学歴が賢一郎の重となる。学歴の低さが彼の出世の妨げとな

          菊池寛 父帰る を考察する

          宮沢賢治 オツベルと象を考察する

          マルクス主義小説? 工場労働者としての百姓、工場経営者としてのオツベル。 この関係が山から出てきた白い象によって「権力構造」があぶり出される。 白象は純粋無垢な心を持っていた。「ぶらつと森を出て、ただなにとなく」オツベルの工場へ行き、騙されているとも知らずに働くことの楽しさに酔っている。籾がパチパチ当たるのを「ああ、だめだ」と言いながら笑っていたり、「お筆も紙もありませんよう」と泣いたりするところを見ると、まだ子どもなのだろう。この作品の中心は、子どもが生来の純粋無垢な心

          宮沢賢治 オツベルと象を考察する

          チェスタトン 見えない男 を考察する

          このトリックがなりたつのは犯人が「現実的な人物」だからなのだろうか。こ
の「見えない男」が存在しうるのは、あくまで本格推理小説のワク内だけなのだろうか。
チェスタトンはその当時のイギリスに「見えない」人々が蔓延しているのを現実の問題としてとらえていた。この作品は一面では、今もなお続く英国社会の宿痾、階級社会の弊害を暗に告発したものだったのである。  イングランドは、太古以来、ヨーロッパ大陸側から幾度もの征服の波が押し寄せ、その度に支配者がいれかわることで形成されてきた国であ

          チェスタトン 見えない男 を考察する