~100年の時を越えて~女性たちの想いのバトン

バタフライエフェクト

という言葉を知っていますか?

気象学者のエドワード・ローレンツによる「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という問い掛けと研究からの提言に由来し、一人のささやかな営みが、時に世界を動かすことがあるという比喩として使われている言葉とのこと。

私は、つい先日、Rosa Mare企画運営メンバーのFuyoちゃんからこの言葉と、この言葉をタイトルとしたNHKのとある番組を教えてもらい知りました。

女性たちの100年のリレー

その番組は、ヒラリー・クリントンをはじめとして多くの女性たちに影響を与え、2020年に亡くなったアメリカの連邦最高裁判事のR・B・G (ルース・ベイダー・キンズバーグ)にフォーカスしながら、100年に渡り、女性の自由と平等を求めて想いのバトンがリレーされてきたことが描かれていました。

始まりは、100年前のイギリス。
女性参政権を求めて行動を起こしたエミリー・デイヴィソンは、その活動のため、9回も投獄され、投獄中は、ハンガーストライキで抵抗すると、鼻から胃にチューブを入れられて強制摂食をされるという拷問を49回も受けても、決して屈することなく、最後は人々が注目するダービーで『女性に参政権を!』と書かれたスカーフを持ち、国王の馬の前に飛び出して亡くなりました。そんな彼女への尊敬と敬愛の念を込めて、女性たちは、牢獄をモチーフとしたバッジを贈ったそうです。
その想いは、時を超えて、海を越えて、多くの女性たちの人生に影響を与え、その灯がリレーされ、今に繋がっているということが、とてもよくわかる番組でした。

たおやかに世界を変える

私は今、Rosa Mareという女性のためのコミュニティ&支え合いの仕組みをどうにか花咲かせるように育てるため、仲間の女性たちと手を携えて奮闘しています。
女性のための、とうたっているRosa Mareですが、女性の権利や平等を訴えるフェミニズム運動をしたいわけではなく、そのために戦いたいわけでもないのです。
ジェンダーレス社会の実現に向けて、さまざまな取り組みがされている今の時代に『女性』と限定すること自体が、時代遅れであり、逆差別ではないか?という声もあります。

では、なぜ女性なのか?
その背景にあるのは、私自身の人生のストーリーにおける痛みや、後悔、気付きであり、一人ひとりが、本来の自分を幸せに生きることからすべては始まるという思いです。

だから、Rosa Mareは、人生のどこを切り取っても、わたしを生きている実感に満ちる人生を支え合うことを通して、一人ひとりの女性が輝きを発揮して、 “たおやかに”世界を(より良く)変えることを目指しています。

辞書を引くと、“たおやかに”とは、上品で優美なさま。「たおやか」は姿や動作などがほっそりしており、しなやかであるさま とあります。
そう、戦うのではなく、権利を主張するのではなく、本来の自分を生きることで、優しく、しなやかに、芯の強さを持ちながら、周りにその輝き、光を届けていくようなイメージなのです。
だから、ウーマンリブ運動の方向性には、違和感があり、違うと感じてきました。

先人の女性たちへの感謝と想いのバトン

でも、この番組を観て、今、私が戦うのではなく、たおやかに、と思えるのも、戦わざるを得なかった先人の女性たちが、決して諦めることなく、戦ってでも自由と平等を求め、行動し続けてくれたおかげなのだと実感しました。

番組の終わりに、女性参政権を求めて活動を続けたエミリー・デイヴィソンの言葉が紹介されました。

「私たちが求めてきたことは、
 決して男性をおとしめるものではありません。
 ただ、誰もがより良く生きられる未来を願ってのものなのです。」

そう、彼女も、本当は戦いたかったわけではなく、誰もがより良く生きられる未来を願っていただけだったのだと思うと、涙が溢れました。

そして、エミリー・デイヴィソンが亡くなってから100年余年後、
87歳で亡くなるまで、法廷に立ち続けたアメリカの連邦最高裁判事のR・B・G (ルース・ベイダー・キンズバーグ)の言葉

「社会における真の変化は、一歩ずつ起こるものです。
 たとえ私が生きているうちに、それらが実現しなくても、私は希望を持ち続けます。」

私自身、この番組を通して、先人の女性たちからバトン受け取ったような気持ちになりました。
一人ひとりの女性が、本来の自分らしく、まずは自分自身が幸せに生きること、そして、蝶のように、時も海もわたり、自由に可能性を発揮して羽ばたいていくサポートをすることで、Rosa Mareが、世界をより良くたおやかに変えていく源となっていけますようにと、その想いを強くしています。

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