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クリスマスツリーを飾りながら想うこと


今年もクリスマスツリーを飾った。

我が家は50代の夫婦と愛犬、というより息子のような存在のゆきまるの3人という家族構成。小さな子どもがいるわけではないけれど、毎年、クリスマスツリーを飾っている。

3年前、結婚5年目の木婚式の時に(再婚同士の夫婦なので、今年は8年目)生のもみの木をお迎えしたのだけれど、残念ながら夏の暑さで枯れてしまい、昨年、高さ180センチの〝まるで本物“というキャッチフレーズに惹かれた作り物のクリスマスツリーを購入した。

まずはクリスマスソングをかけて、大きなツリーを組み立て、オーナメントを飾り始める。
以前は毎年テーマカラーを決めてオーナメントの色を変えていたけれど、最近は赤と白、ゴールドの3色に落ち着いている。飾り付けていると、だんだんクリスマス気分が盛り上がってきて、大人になってもやっぱりワクワクする時間♪

最後にLEDのイルミネーションライトを巻き付ける段になって、昨年も犯した過ちに気付く…。ライトを巻き付ける時に、せっかく飾ったオーナメントがポロポロと落ちてしまう…。それを拾ってまた飾り…などとやっていたら、結局1時間近くかかってしまった。
来年こそ忘れずに、まずはライトを巻き付けよう!と思ったのだけれど、また忘れるかしら。

ライトを巻き付ける段取りは忘れるのだけれど、ツリーを飾る度に、毎年同じことを思い出し、同じことを想う。

毎年、思い出すのは、子どもの頃のクリスマスイブの情景。
中華料理店を営んでいた両親は、クリスマスなど関係なく夜8時まで店を開き、片付けが終わるのは夜9時近かった。
その日は店が混んでいたのか?サンタさんに良い子であることを見せたかったのか?小学生だった私たち姉妹は、皿洗いなど店の手伝いをしていた。

そろそろ閉店という時間
「もう手伝いはいいよ。ありがとう。そろそろサンタさんが来ているかもしれないよ。」という父の言葉に、妹と階段を駆け上がりベランダに面した部屋に飛び込んだ。
「あった!サンタさん、もう来たんだねー」 
その年、私は、おもちゃ屋さんの折込チラシにあった世界の国の国旗を覚えられるボードオモチャをお願いしていたのだけれど、それが届いたことが嬉しくて、まだ店で片付けをしていた両親に見せに行ったのを覚えている。

若くして結婚した両親は喧嘩も多く、職人気質の短気な父は、普段、私にとって怖くて厄介な存在で、長女の私は、今振り返ると完全なるアダルトチルドレンだった。

でも、誕生日やクリスマス、季節のイベントなどの行事には、料理人の父が特別なメニューのご飯を作ってくれた。誕生日には、くす玉まで作ってくれたこともある。
そして、あのクリスマスイブの夜、父も母も忙しい合間をぬって、私たちに分からないようにクリスマスイブの夜を演出してくれたのだろう。

成長した私は、“父のようではない人”と24歳で結婚し、2人の子どもを授かった。そして私自身も、そんな風に子どもたちのクリスマスを演出する日々が続くと思っていた。

けれど残念ながら、子どもたちが4歳と2歳の時に離婚し、不本意な形で子どもたちと別れて暮らすことになってしまった。そしてそれ以降、子どもたちと一緒に家でクリスマスを過ごすことは無かった。

北欧に住むサンタさんから手紙が届くように手配したり、プレゼントを送ったり、時にはクリスマス前後に外で会えたりもしたけれど、家で一緒に過ごすクリスマスは失われてしまった。

そんな胸がチクンとする記憶もセットではあるけれど、クリスマスツリーを飾ることは、私にとって今の暮らしとこれまでの人生を愛おしく抱きしめるような時間だ。飾り終えると、ライトを点けてひとしきり眺める。
飾らなくても何も困らない。年末の忙しい時に、片付けにもまた時間がかかる。
けれど、私にとっての豊かな暮らし、そして人生は、手間はかかるけれど愛おしい、こんな時間の積み重ねなのだと思う。

吉川美有紀の自己紹介とLIFE STORYはこちら

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