『死』があるから輝く『命』
本日は土曜日ということで、平日できないことをやろうと思った。
そしたら子供から電話がかかってきた。
「リュウソウジャーのお姉ちゃんが死んじゃった。」
息子が大好きな日曜朝の戦隊シリーズ。東京に来る前はよく一緒に早起きして見たものだ。
また、私が幼かった頃にテレビの向こう側で活躍していた方々が亡くなったり、引退したりといった話をこのところよく目にする。
人生一度きり、その時間を無駄にしないよう今日は生きることについてあらためて向き合ってみることにした。
生き急ぐ街、TOKYO
東京に来て数年、最も印象深いのは「この街の人々は生き急いでいるな」と知人が放った一言である。
確かに…
それは良い意味でも悪い意味でもなく、友人にとっては率直な感想だったのだろう。
自身の夢を叶えるために上京する人、流れついて来た人、特に目的もなく毎日を消化している人など本当にたくさんの人が毎日当たり前のように何十人、何百人と私の前を通り過ぎていく。
だからこそ、そんな中で出会えたご縁は地方での確率とは比にならないくらい貴重なのかもしれない。
一方で、地方の暮らしを経験しているからこそ地方の良さがわかる自分もいる。
よく言えば暖かく、悪く言えば恩着せがましい集落での数十年間の生活はそれほど悪いものではなかったが、自身を成長させる機会は圧倒的に少なかったように思う。もしくはそれを言い訳にして成長しようとしていない私が存在していたのかもしれない。
どちらにせよ「生きている」という実感を日々感じるには、私にとっては少し物足りない部分があった。
では東京出身の人が輝いているかと言われればそうでもない。私に足りなかったのは自身でそれを求めること、得ようとするための努力であったのかもしれないと今では考えている。
そもそも日本は生活に対する当たり前の基準値が高すぎて、それらを実感する機会が他国に比べると圧倒的に少ないのかもしれない。
それでは一度の人生を謳歌することは難しい。
いつか死ぬと決まっているからこそ
不老不死などというものは存在しない。だからこそ命は尊く、懸命に生きる姿は美しいのだということを最近ようやく理解してきた。
年齢を重ねるごとに失うものが増えていく。だからこそ命の限りを実感できるようになっていく。
その中で自分自身を輝かせることに意図的に取り組み始めるのが早い人ほど、何かしらの成果をあげていることが多い気がしている。
私の知人は数ヶ月前に癌でこの世を去った。
病気が発覚したのは5年ほど前だ。だがそこからの彼の活躍は目を疑うようであった。
当時勤務していた会社を辞め、自分で店をやり始めた。本人曰く『限られた時間の中で一人でも多くの人の記憶に自分の存在を残したい』と感じたことがきっかけらしい。
不思議なことにぶっきら棒だった友人は病気が発覚してからの方が圧倒的に笑うことが多くなった。
笑っている姿を覚えておいて欲しいのだそうだ。
よく雑誌やメディアなどでいう『まさに命の炎を燃やして』とはこのことだった。
自分のために生きよう
私はそんな彼の姿を見て上京を決心した。
自分に残された時間にも限りがある。家族と過ごす時間は幸せだけど、死ぬまでに私も何かでもう一花咲かせたいという気持ちが強くなった。
そんな勝手を許してくれた家族には本当に感謝している。
そして、少なくとも私にとっては地元では出会うことのできなかったたくさんのことに囲まれて自身を磨きながら毎日を過ごすことができている。
だからこそ毎日をいい加減に過ごしている同僚に対して苛立ちを覚えることもあった。
でも最近感じるのは、人は経験したこと以上のことはできないってことで、それは当然人によって差があるものだ。
それに気づいた時に他人に対して何も感じなくなってしまった。その時間をもっと自分の時間に使おうと振り切ることができた。
勘違いしないでください、同僚とは仲良く楽しく仕事している。そういう人もいるよねって寛大になれたよって話。笑
仕事とは形にすること。それが正しかろうが間違っていようがとにかくまず形にすること。そういう意味でいくと日本人は圧倒的に『評論家』が多い。
そしてその評論とやらは他人を傷つけることがほとんどだ。
私たちに与えられた時間は生まれた瞬間に決まっている。それをどのように活用し、死ぬ寸前に笑えるかどうかがその人の生き様なのかもしれない。
そんなことを考えさせられた土曜日でした✨