見出し画像

オレ流も徹底すれば

 私は、いわゆる「ガラ携」でテキスト入力をしたことがありません。一応、緊急時のみプリペイド携帯は持っていましたが、せいぜい通話相手をテキトーに入力したことがあるだけで、メール等はPCを使っていました。それも、ローマ字入力ではなくカナ入力でした。昔のワープロの名残りです。

 それを右手のみで高速入力するのですから、見た人は皆、驚きました。ワープロ・ソフトは純国産「一太郎」、表計算ソフトは「ロータス1-2-3」と来たもんだ!その前は、ミノルタやSANYOの縦書き入力可能なブラウン管ディスプレイのワープロを愛用していました。

 それをローマ字入力に変えたのが、還暦を過ぎてからという、「日本語は、ひらがなで書かないと、ろくな文章は考えられない」教の教祖様。信者0名という、誰もが認める徹底的な変わり者でした。自分以外の人たちが、どんな手段で入力しているのか全く興味がなく、しかも他人のアドバイス徹底無視という姿勢が、もたらした結果なのです。

 当初、ローマ字入力した文章は、スピリットが込められない英語の翻訳文のように感じました。文と文とが有機的につながらず、カナ入力の頃のような思い入れができなくなりました。ワープロは事務的な仕事用で、おたよりのような自分の思いを伝える手段は、手書きにこだわっていたこともありました。ただでさえ、活字はもっともらしくて、手書きとの温度差があるのにローマ字入力では、覚めきった状態になったような思いをしたものです。

 現在、こうした記事作成には12年前に買ったMacBookと、iPhone15を使っています。MacBookは、当然キーボードです。iPhoneには「あかさたなはまやらわ」のカナ入力がありますが、この機能では日本語文章の作成はできません。上の写真モードに人差し指1本で入力しています。やはり、キー配列でなければ、モチベーションを維持できません。スキマ時間利用には、やはりiPhoneです。99%はiPhoneで書いています。

 さて、「オレ流」と言えば、プロ野球3冠王&元中日監督の落合博満さんがオリジナル。密かに敬愛する人物です。彼の生き方には、「長いものには巻かれるな」というスピリットを感じます。人と「ツルむ」のが大嫌い。ゴマすりなどしたことがない、私の考え方と共通点を感じます。人の先に立ちたいけれど、偉くはなりたくないというアイデンティティと自分勝手を混在する偏屈極まりない人間です。

 また、人真似は嫌いオリジナリティを好みます。例えば、白いワイシャツは、儀式の時以外には、絶対に着ません。主にサックスのボタンダウンシャツを着ます。イヤなのは、黒っぽい糸で縫い付けてあるボタンダウンシャツです。実に珍妙です。独自のドレスコードに反するからです。また、スラックスの裾は、必ずダブルです。ネクタイは、主としてレジメンタル。ネクタイピンなど、不要。とにかく、トラディショナルにこだわります。

 次は、大好きなクルマです。もちろん、自分の好みの世界ですから、選ぶのは自由です。ただし、こだわり尽くしたことがあります。自分が乗っているクルマと全く同じ車種の同じ色とすれ違わないこと。それだけです。いつだったか、国産の高価な大型ミニバンのそっくりさんが3台連ねて走って行くのを見ました。なんとナンバーは「・・・1」「77−77」「88−88」でした。アル何とかというデカイのでしたが、見ていて恥ずかしかったです。私自身は、今のところ、幸い1回も経験することなく過ごしています。

 オレ流のほんの一部を述べましたが、そんなことで済む私ではありません。長年、教員として生きてきました。いわゆる「デモシカ」として始めた仕事なので、今も自分のキャラに合っていないと自覚して勤務しています。転職のため、52歳で辞めました。昇任試験を勧められても応じないままヒラのままでしたが、国語教師としての自分にとっては、正解だったと思っています。

 もしも管理職なんぞになれば、自己意識はとてつもなく歪んだことでしょう。また、これ以上性格がひん曲がったら、別人28号になっていたかと思うと、恐ろしいです。また、部下に向かって「子どもたちのために」などと大ウソを唱えて平気な人間になるのも絶対に嫌です。教員という言葉には元々「子どもたちのための仕事」という意味が含まれれているのに、「昔の武士の侍」的発言をするお偉いさんは、ただの愚か者だからです。

 更に、カウンセラー・ライセンスを有する者として、失格者にならずに済んだこともあります。「頑張れ」という言葉の及ぼすところは、励ましなんかではないということを知っているでしょうか。この言葉は、生徒たちの心に刺さるプレッシャー語として、禁句にすべきなのです。また、意外に思われるかもしれませんが、部活動以外で、私は生徒を呼び捨てで呼んだことがありません。単に、デモシカ教師の負い目が、消えなかったからですが。

 また、コロナ禍で言語化された「ソーシャルディスタンス」ですが、私が長年気をつけてきたのは、物理的な距離ではなく「心理的距離」です。教師と生徒間の距離感として、心理学者により明確な定義づけされている概念です。同僚の名言「人間は平等である、しかし立場が違う」に基づいた言い方をするならば、「つかず離れず」の距離感をもつことです。教師と生徒は同じ人間。それゆえ、マッチングの問題から逃れることはできません。

 これが、なかなか難しい。「合う生徒」とは距離感は縮まり、その逆も起こります。平等に扱うべき集団にデコボコが生じると、やがては「不信感」に至るのは、当然でしょう。これが上手にできる人が向いている教師で、私は向いてない方でした。そのため「誰にでもおっかなくて、ちょっと優しい」センセを演じました。結果として、350人の学年に2人だけ、私のファンの女子生徒がいました。主に憎まれ役を演じた私としては、嬉しいことでした。中学生をナメるなかれ。教員という単純な人種を、ちゃんと見抜く生徒がいるということです。

 現在、よく聞く言葉が「働き方改革」「教員の多忙化軽減」なんていう言葉です。何を今さらと思います。2004年、私は勤務する学校を二学期制にする仕掛け人でした。アイディアを出して、管理規則改正したのは、町の教育長さんでした。4月〜9月を「前期」、10月〜3月を「後期」としたのでした。当時、学校現場を知らぬ学者などが、授業時数の確保なんていう大ウソを述べていましたが、実際は実質2ヶ月余りしかない3学期の問題と間延びするほど長ったらしい2学期の問題を改善することが現場の実態に即した、本来の目的でした。

 しかし、スケジューラーとしての私の意図は何よりも教員の多忙化解消でした。それまで、中学校において7月は「魔の月」でした。期末テスト作成に採点、全県総合体育大会、通知表作成に終業式、それに三者面談と、息つく暇がありませんでした。終業式が終われば、夏季休業。学校は一時停止します。「海の日」が邪魔で仕方がないという状態でした。特に、宿泊を伴う全県総体の場合、間に合っていない通知表を持って宿泊地に行ったこともありました。

 期末テストと通知表をなくしました。その分のエネルギーは、一時停止ではなくなった夏季休業の活用準備に向けられ、結果的に「学びの継続」につながっていきました。授業日にはできなかった学習指導が、余裕をもって可能となったのです。その方が、生徒のためになることは、明白でした。教員に余裕があると、生徒に好影響を与えるのは当然です。

 夏季休業期間は、各県によって異なります。当時、山形県などは、お盆開けには、夏休み終了だったと聞きました。こちらでは、8月下旬で終了。そして授業開始でした。それから、クリスマスまで2学期なのです。感覚的には、夏の終わりから冬までという、長い月日に感じられたものでした。

 ちょうど大きな変革があった年だと記憶しています。相対評価から絶対評価、評価基準から評価規準へという面倒な言葉が、学校業界に持ち込まれたのです。簡単に言えば、5〜1などの「評定」はなしというタテマエです。つまり「順位」という概念が否定されたのです、今は何となく曖昧にされているようですが。

 一応、保護者サービス的な意味で、定期テストは続けられました。数学と英語の進度に合わせて、年間3回にしました。以前は、そんな配慮もなく、中間・期末と実施されていたのですが、発想を逆転。時数計算に基づく合理的な考え方で行われ、焦る必要などなくなったのでした。だだし、単元別評価は重視されました。

 体育の日が、10月第2週の月曜日というところに目を付けて、最長5日間の「秋休み」を設定。これを7日間にしようとしたら、地域から文句を言われたそうで、町教委から叱られました。この学校では、文化祭を廃止して「学習発表会」にしたり、修学旅行を東京から沖縄にしたりと、オレ流は全開しました。年度終わりには、「ああ、おもしろかった」と、呟きました。やりがいのある仕事だったからです。

 さて、落合監督も「オレ流」を散々批判されつつ、中日優勝チームにして、口だけ人間をやり込めました。私も小さなことながら、オレ流に自己満足している次第です。これが、自分らしさだったと、今言うことができます。今でも「あーあっ、楽しかった!」と言える仕事だったと思います。以上、オレ流てき仕事術でしたが、どう思われるでしょうか?まあ、思うがまま、自分勝手にやったということでした。






いいなと思ったら応援しよう!