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無責任党選挙公報?

 このお話はフィクションであり、事実を無理矢理誇張したり、優れた点を削ぎ落とした内容ばかりであったり、かけがえのない自然美を意図的に話題にしなかったりしております。哀れな場所だという同情をもって読まれると絶望しますので、厳にお慎み願います。

 私の住む某県某市は、THK 地方の中で東京との時間的距離が最も遠い「日本のチベット」と言われています。先日の報道によると、最低賃金が日本一低く、かつて自殺者数が全国1位で、県全体の人口は既に90万人を割っている「限界集落」ならぬ「限界自治体」なのです。

 とにかく、お金がない超貧乏県なのです。これは、今も昔も変わっていません。以前、関東から遊びに来た友人が「ずいぶん空が低いね」と呟きました。1年中晴れの日が、極端に少ないのです。その影響か、Uターン組にとってはジメジメした人間関係が、鬱陶しいのです。

 県内には、1県1大学設置する国の方針のおかげで、国立大学が1校だけあります。また、経済・法科の私立大学が1校だけ。いずれもFランク大学です。人口も少ない上に、大学進学率も低かったので、それで間に合っていたのでしょう。そして大学を卒業しても、就職先は限定されていました。

 国立大学の卒業生の大部分は、公立学校の教員か県の職員。それがダメなら市役所・町村役場の職員。つまり、薄給の地方公務員になるか地元の銀行等の金融機関に勤めるか。それが経済的・学力的に無理な場合は、高卒で農協関係に就職するか、大企業のサテライト工業会社の工員になるのが一般的でした。世間では「農業県」と言われるものの、それだけでは生活していけないという現実があります。

 実に寂しい現実ですが、貧しさを苦にしない県民性があったように思います。当然のことながら、そんな生活を打破しようとする強い意志をもつ者は、当然のことながら、首都圏に目を向けます。しかし、都会が地元の国立大学を出て通用する世界ではないことは、明白です。また、東京の大学を出て、都内に就職した友人たちも、次々と地元に戻っていきました。

 私は、大学入試センターの「共通一次」の第2期生に当たります。地元の国立大学は、医学部を除くと、1000点満点の650点程度が目安となっていて、二次試験は小論文のみだったはずです。つまり、マークシートのテストの6割5分ぐらい取れば、合格という具合。確か320人程度の100人は合格圏内。3人に1人が入るという、安直な地元大学入試でした。

 しかし当時は、県外の大学でも戦えるレベルでした。理系では、行きたい学科がないという理由で東大を蹴っ飛ばしたH君。学校推薦枠で上智大学外国語学部に入り、三井物産海外駐在員を長く務めたF君や筑波大学に入って考古学を専攻したIさん。一般入試で、早稲田の商学部に現役合格したT君。一浪して、早稲田政経合格のY君や東北大学法学部合格のS君など、今では考えられない結果でした。

 毎年、春になると多くの人々が脱出していきます。すぐ近くの某国のように感じます。市の広報では、お誕生おめでとう欄とおくやみ欄が同じページに掲載されていますが、何だか自虐ネタのように見えるのは、私だけでしょうか。大合併前の某町が、1年間に1人だけしか生まれなかったとか。その子は、7年後に、たった1人の小学1年生になるかもしれません。

 現在、J2のサッカーチームのスタジアム建設が大問題になっています。総工費90億だそうですが、県も市も食い違う意見を出しては引っ込め右往左往してきたのは、建設場所をどこにするかにぼやかされて、結局は貧乏ゆえのお金の問題のようです。現在は、大昔に建てた陸上競技場を名前だけ変えてホームスタジアムとしていますが、かつてJ3からJ2昇格を施設が基準に満たないということで、阻まれた過去があります。そんな恥さらしの過去を払拭してさっさと建設すればいいのに、まだ建設場所すら決まっていません。

 どうも、この地のお偉いさんたちには、妙なこだわりがあるようです。それは、北朝鮮と新潟港を行き来した「万景峰号(マンギョンボンごう)」と似ています。この船の実態をご存じでしょうか?新潟港に入港する時、わざと船体を横向きにして着けるのです。そして、荷物を下ろして出港する時もそのまま横向きを保ち、沖合にまで離れていくのです。この動きは、非効率極まりなく、明らかに不自然でした。

 その様子が、テレビのワイドショーで連日放映されていました。そんな動きをする理由は、新潟港から見える部分は白色のきれいな塗装が成され、その裏は手入れもされず、老朽化したままの錆だらけだったからです。つまり、見られる部分のみ体裁を整えていたわけです。我が県のお偉いさんの、臭い物には蓋をして、見た目だけ良くするこだわりと、よく似ています。現在、スタジアム建設の案は、県庁及び市役所近くの運動公園が、有力視されています。

 陸上競技場、野球スタジアム、ラグビーコート、県立体育館が並ぶ土地にサッカースタジアムを建設すると言うのです。大昔、この前の道には、遠く離れた国鉄の駅から、路面電車が走っていました。そのため当時の都市計画は路面電車を前提にして、次々と官公庁が建設されたのです。そのお膝元に運動公園が位置づけられ迫力ある建造物が林立する「中心部」になりました。運動公園は狭く、駐車スペースもごくわずかしかありません。例えば、高校野球と何かの大会が行われたら、駐車場所はアウトです。

 本県では、駐車場をケチる風潮が蔓延しています。これは、私の住む街でも同様。先日、反田恭平さんとジャパン・ナショナル・オーケストラの公演が、1110人収容できる音楽ホールで行われました。全席指定8,000円という、いい値段にも関わらず、ほぼ満員状態でした。この施設の駐車場は、何台分あるでしょうか。たったの200台余りなのです。あぶれた人たちは、それなりにドレスアップして、長い距離を歩いて行かなければなりません。ですから、開館以来、有名アーティストの公演など、ごくわずか。けっこういい音響設備の大ホールは、主に吹奏楽部の定期演奏会や合唱コンクール、保育園フェスティバルなどで、利用日が埋められています。料金は、減免のはずです。

 ろくな公共交通機関がないので、完全なるクルマ社会。その実態に対して駐車場は無駄だという発想は、愚の骨頂に他なりません。1台もクルマが駐まっていない広大な場所に対して、アレルギー反応でも起こしているかのように見えます。例のサッカー・スタジアムを運動公園内に建設したらどうなるか。それをシュミレートすることは、おそらくタブー化されているのでしょう。県知事や市長になると、まるで自分が王様になったかのように、部下の誰もがイエスマンになり、自分の名前を歴史に残す欲求を抑えられなくなる。これは、某市の元市長さんから、酒を飲みつつ直接聞いた話です。

 彼は、「知事や市長の権限は国会議員にもない、小さな国の大統領」と言いました。今年はアメリカ大統領選挙があります。元大統領の彼の発想そのものと考えられます。たとえ国家というスケールの大きな問題でも、議員さんに権限など期待できないことは、おわかりでしょうか。日本という民主主義国家は、たとえ総理大臣でも自分勝手はダメです。しかし、地方自治体の長には、勝手にできる権限があるのです。

 駐車場アレルギーのお年寄りには、退場していただくに限ります。県の中核市と言っても、人口は30万人を切っています。市街地など限られており周辺はだだっ広い農地や耕作放棄地が広がっています。他県では当たり前とされていますが、スポーツイベント会場は郊外に建設し、広大な駐車場をセットにすべきです。

 現に、東京ディズニーランドは、東京湾の埋め立てスペースに広大な駐車場を確保したアミューズメント施設を建設し、その後から浦安の住宅地が整備されていったのです。私は、国鉄浦安駅から土ぼこりがもうもうと立ちこめる道をひた走るバスに乗り、ずっと向こうにシンデレラ城の輪郭を見た、オープン前のプレビュー客の1人でした。千葉県でもできたことなのに土地だけは有り余る当県で、なぜできないのでしょうか。これを老害と称します。

 頭が化石化している人は、「コンパクト・シティ」などの屁理屈をこねて重い腰を上げるはずなどありません。また、お役人たちは財政難ばかり主張して、現状維持を最も尊ぶことでしょう。いずれも頼りになど、なり得ません。

 ここで、提案があります。この限界自治体を若者たちに丸投げするのです。これからの未来を、若者たちだけで決めてもらうのです。こうなったら、成人しても、こんな県に残ってくれている優秀な若者たちに、全てを預けていいのではないでしょうか?

 間もなく、衆議院選挙があります。比例代表の投票用紙には、ぜひとも我が「無責任党」と書いていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。無責任党総裁 “Usotsuki”でした。





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