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記憶収納術

 私の勉強法は、ズバリ「丸暗記」です。その究極が、定期テスト前の一夜漬けであり、ノートのコピー三昧による大学の試験でした。別に良い点数を取る意志などなく、赤点回避及び単位取得だけが目的でした。

 鮮烈な記憶があるのは、大学の「英文講読」の試験。進級条件となる試験でした。中央が広い通路になっている中教室で行われたのですが私は窓側の後ろ側の席にに座りました。Cでいいやというレディネスだったので、一夜漬けでした。まあ半分くらい書けたものの、後は授業の感想欄をお世辞満載で埋めました。

 もはやこれまでと、教室前方をぼんやり眺めていると、通路を隔てた向こう側で、紙が1枚回されているのを発見。カンニング・ペーパーです。ぎごちない動きがミエミエでした。しかし、試験時間は何もなく終わりました。

 後日、掲示板にこの試験を受けた者の氏名が30名ほど列挙され、「不正行為のため、退学処分とする」という学長印の押された文書が掲示されました。あの紙を回した連中でした。退学??ひどく驚きました。ある日、担当だった女性の先生とバッタリ会いました。ガラッパチ系の先生で、懇意にしてもらっていましたのでカンニングと判断した理由を聞きました。

 紙が回ったのは、見つけていなかったそうです。ただし、同じ正解を書き、全く同じ誤答を書いた集団がいたとのこと。それが、30人もいるのは、明らかに不正と判断したそうです。言い訳が通用しない状態だったというわけでした。「英語が看板のウチでするとはね」と、その先生は、冷笑していました。

 カンニングは退学だということは、入学時のオリエンテーションで言われていたことですが数万人規模の大学らしい脅し文句だろうと、高を括っていたのが、本当だなんて。そう思っていた私の成績はAA(ダブルエー)という信じられない結果でした。大学によっては、S(スペシャル)と表記する場合もあり、ちなみに不可はXX(ダブル・エックス)でした。

 その後、そのガラッパチ先生に出くわし、お礼を言うと「フフン」と笑っていました。もし私が、反対側に座ったら、間違いなく退学処分をくらっていました。世の中には、偶然のイタズラがあることを、大学1年生にもなって初めて知りました。ちなみに、2年生でも必修だった英文購読を同じ先生の授業で履修。堂々たるC(ギリギリセーフ)をいただきました。

 前置きが長くなりました。試験は、丸暗記が絶対必要です。英語のスペリングなど、覚え方なんて存在しません。せいぜい私流のオール・ローマ字で覚えるぐらいでしょう。例えば、センターを米国語では「center」と書くのに対して英国語では「centre」と書きます。「なぜ」という疑問は、要りません。理由もなくイギリスでは、「セントレ」と書くのです。

 暗記は、まず「疑問」を排除することが肝要です。邪魔な頭の動きだと、割り切るのです。暗記は、のんびりゆっくりする行為ではありません。「なぜ?」と立ち止まってしまうと、暗記は中断してしまいます。一定時間続けないとまとまった記憶は形成されません。砂を噛むような営みでも、素早く継続あるのみです。

 エビングハウスという心理学者は、「忘却曲線」という言葉を使い、復習の重要性を説いたそうです。しかし、私は信じません。一度覚えた記憶は、絶対に忘却しないという考えです。記憶は、どこに向かうのかというと、無限の広さ・深さの「無意識」という世界です。

 ただし、そこまで落ちてしまうと、再び拾い上げるのは無理になります。たまに眠っていて見る夢に出てくるのでは、忘れた状態と何ら変わりありません。暗記活動は覚醒状態の意識上で行われていきますが、いつまでも意識上に留めておけませんから、無意識へと落ちていきます。フロイトの考え方では、無意識に落ちる前に「前意識」と言われる領域があり、努力すれば記憶を呼び起こせる状態にあるそうです。

 すなわち、暗記した事を前意識に留めておくことにより、必要に応じて意識化できるということです。ここまで述べて、専門家たちの「何をたわけたことを」という声が出てきそうですが、私は本気で信じており、自分なりの成功例も少なくないのが、これを証明しています。

 記憶は、前意識に残ると仮定して、話を進めます。ただし、一夜漬け方式の記憶は、無意識に落ちていきます。本気で暗記した事は、前意識に残ります。もっと具体的に言えば、ばら撒かれます。つまり、前意識は記憶で散らかり放題なのです。使う時、手探りで拾い集めなければなりません。そこで「収納」が必須条件になります。上の写真のような引き出しのたくさんある収納家具を想像するといいでしょう。

 引き出し付きでなければ、記憶はこぼれ落ちてしまいます。ここからが、頭の使いよう。どんな分類で収納するかは、その人の能力次第です。上手に収納した記憶を、思うがままに取り出せる状態を「頭がいい」と言います。文系では、司法試験に合格した人が、その典型と言えるでしょうね。羨ましいことです。どんな分類法を駆使しているか、聞いてみたいものです。

 記憶はちゃんと整理整頓しないと、時に悪さをします。日常生活で、乱雑に物を放り込んだ引き出しが、中の何かが引っかかって開かなくなった経験があると思います。これこそ、せっかく覚えたのに使えない記憶です。また、長い間放っておいて開け閉めがキツくなり、遂には開かなくなる引き出しはないでしょうか。こうなると、無意識に落ちてしまった使えない記憶と同じになるのです。

 その開け閉めを潤滑にする方法があります。それは、「暗唱(暗誦)」です。無作為なアルファベットの羅列を100文字覚えられるでしょうか。さらに500文字は?相当苦しいことだと思います。では、『枕草子』の序文「春はあけぼの・・・・夏は夜・・・・秋は夕暮れ・・・・冬はつとめて・・・・」は、どうでしょう。それすら嫌がるようだと、勉強そのものを諦めるべきです。暗唱は、記憶の引き出しの潤滑油的作用があります。孔子の言葉や漢詩などがお勧めですが、元素記号「水平リーベ僕の船」などでもいいのです。特にジャンルは、問いません。

 入試でも資格試験でも、暗記から逃れることはできません。よく「暗記は苦手で、勉強の仕方がわからない」なんていう形式矛盾を平気で口にする人がいます。もし、自分のお子さんについて言う親御さんであったら、救いようがありません。誰でも無理矢理暗記しているという厳然たる事実を知らないとすれば、アドバイスなどできません。知識の詰め込みを否定する考え方に、大きな勘違いがあると思われます。

 私は、全盛期に「歩く国語辞典」「ワーディングの王者(略してワ王)」と、からかわれていました。30代の頃です。語彙が豊かだったのは、義務教育で学習する漢字と語句を、後の丸暗記によって全て使いこなせたからです。すなわち、基本的事項を単なる知識ではなく、基本ツールとして活用できたということです。

 基本を活用すれば、応用的分野に広がりますので、文字や言葉の連鎖が発生します。例えば同じ部首の字の知識を広げられます。また、語句の類義語や対義語及び例文まで一挙に覚えてしまうのも、極めて合理的手段と言えます。

 これは、日本語に限らず、英語習得においても役立ちます。言葉を「破片」として覚えるのは、愚の骨頂。文章の中で使えてこそ、生きた言語スキルになります。これは、駿台予備学校で学び、まさに「目から鱗」状態でした。

 こういう勉強の基本を語る時、幼い頃にテレビで見た手品のワンシーンを想起します。確かシルクハットの中から、万国旗が次々と引き出されて出てくるシーンです。暗記したことを1片だけつまみ上げると、それに関連した知見が次々と糸につながれて出てくる。そんな経験ができたら、向かう所敵なし状態ですね。

 さあ、暗記せよ!得意な人なんて、いるはずがありません。忘却など、あり得ません。覚える工夫をしましょう。蛍光マーカーは、最悪の方法だそうです。ノートにまとめるのではなく自分自身の頭脳をノートにするのです。

 やれば、誰でもできます。何事もチャレンジあるのみです!勉強の成否は、暗記にあり!!さあ、空っぽ頭に、どんどん詰め込めよ!

注)これは、IQが標準未満である私流です。


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