【勝訴】対ツイ廃伊東麻紀の名誉毀損裁判における原告本人陳述書
これは、先日勝訴した対ツイ廃伊東麻紀の名誉毀損裁判において、原告(李琴峰)側が提出した本人陳述書です。弁護士ではなく、私本人が執筆したものです。
残念ながら、本件は被告が「自分はもう小説を書いていない」などと虚偽の主張をしていたこともあり、「被告は社会的影響力のある人物ではない」という判断をされ、慰謝料が少額にとどまりました。
しかし本陳述書を読むと、誹謗中傷や提訴に至る経緯、誹謗中傷の被害状況、そして被告・ツイ廃伊東麻紀の人間性がよく分かると思います。
どうぞご一読ください。
陳述書
2023年7月13日
一、私の経歴について
私は1989年に台湾で生まれた、台湾出身の作家(小説家)です。2013年に来日し、以来、日本で約10年間にわたり生活し、日本の永住資格も取得しています。2017年に「群像新人文学賞」を受賞してから、作家として活動しています。2021年には第71回芸術選奨文部科学大臣新人賞、ならびに第165回芥川龍之介賞を受賞しました。台湾籍の芥川賞受賞者は私が初めてなので、「史上初の台湾籍芥川賞作家」としても知られています。また、日本語を母語としない作家としては史上二人目の芥川賞受賞者です。
私は日本語と無縁の家系で生まれました。両親はもちろん、交流のある親戚の中でも日本人や、日本語ができる人は一人もいませんでした。家は田舎なので、通える日本語学校も近くにはありませんでした。そんな私が日本語を独学し始めたのは十五歳のことですが、学び始めると、すぐ日本語の美しさに魅了されました。以降十数年にわたり、私は日本語を学習し続け、ようやく日本語を自分のものにしました。さらにはたった一人で日本へ渡り、母語ではない日本語で小説を書き、芥川賞を受賞するに至りました。母語でない言語でこれほどの栄誉を手にするのはどれほど難しいことか、どれほど努力を要することかは、想像すれば分かると思います。私が十数年の歳月をかけて培ってきた日本語能力と、日本語で書いてきた数々の著作こそが、私にとって最大の誇り(プライド)の在り処なのです。
二、私の作品と活動について
私は女性を恋愛対象とする女性、つまりレズビアンです。デビュー以来、私は一貫してLGBTなど性的少数者を作品に描いてきました。デビュー作『独り舞』は台湾で生まれ、日本に移り住んだレズビアンが主人公です。芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した『ポラリスが降り注ぐ夜』では、新宿二丁目を舞台に様々な性的少数者の女性の生き様を描いています。本件訴訟の被告が「パクリ」と誹謗中傷した『生を祝う』という小説も、やはりレズビアンカップルが主人公です。
私は、作家にはある程度の社会的責任があると考えます。作品で性的少数者を扱っている以上、現実社会に生きる性的少数者に対しても何らかの責任を負うと考えます。したがって、私は同性婚法制化やLGBT権利回復運動を応援しているし、自らの言論活動でもLGBTについて積極的な発信を行っています。当然ながら、LGBTへの差別には断固反対という立場を取っています。
そして、言うまでもありませんが、私の名前で発表された作品は、全て、例外なく、私が一文字一文字、自らの指でキーボードを叩き、書き上げたものです。
三、私に対するネット上の誹謗中傷について
2021年7月芥川賞受賞後、私の国籍と政治信条が原因で、ネット上では私に対して夥しい数の誹謗中傷が行われました。〈パヨク芸人〉〈ビジネス左翼〉〈反日台湾人〉〈反日ゴキブリ〉〈どアホ〉〈小汚い小便物書き〉〈ブス〉〈バカ〉〈コネ受賞〉〈台湾に帰れ〉――私という人間をまったく知らず、私が書いたことも恐らく読んだことがないような人たちが、匿名をいいことに、そんなおぞましく差別的・侮蔑的な言葉の数々を、私に対して投げつけてきたのです。
最初の頃、私はこれらの攻撃者と対話を試みようとしました。私は日本という国を愛しているし、自らの努力で日本語という言語を身につけ、栄誉を掴んだ作家です。断じて〈反日〉でも〈コネ受賞〉でもありません。しかしながら、私はすぐそうした対話が徒労であることを知りました。説明すればするほど、釈明すればするほど、揚げ足を取られ、攻撃が激化する一途でした。見ず知らずの人による誹謗中傷から身を守るために、ブロックし、相手にしないのが最善の策だと、私は学びました。
私への誹謗中傷は長く続き、今でも散発的ではありますが続いています。誹謗中傷をする人はいわゆる「ネット右翼」や、LGBT、とりわけT(トランスジェンダー)に対して差別意識や憎悪感情を抱いている人が多いようです。
誹謗中傷の程度は激しく、しばらくの間、私は不眠や眩暈など心身の不調に苛まれていました。上階の生活音や床の軋みが伝わってくるたびに、誰かが自分を殺しに来たのではないかとおののいたくらいです。いっそのこと自死して解放されるほうが楽なのではと考えたこともありました。心療内科を受診し、抗不安薬を飲み、長い時間をかけてようやく通常通りの生活ができるようになりましたが、それでも私は今も、講演や対談など人前に出る仕事をする時、聴衆の中に攻撃者と誹謗中傷者が潜んでいるのではないかという恐怖に苛まれます。
四、本件被告による誹謗中傷について
本件被告も、そんな誹謗中傷者の一人です。
2021年12月、私は作家・笙野頼子氏が「日本文藝家協会」の会報で発表した恐怖扇動の文章を読み、Twitterでその内容について疑問を呈しました(なお、原告第1準備書面でも述べていますが、笙野氏の文章は独自の世界観に基づいた意味不明な陰謀論というほかありません)。笙野氏は私が尊敬していた先輩作家で、芥川賞受賞作家でもあります。よりによって彼女がそんな陰謀論に基づく恐怖扇動の文章を書いたのだから、私は深い悲しみを覚えました。Twitterの投稿で、私は自分の悲しみについて綴りました。
すると直後、被告から〈小学生の読書感想文かよ〉という攻撃的なコメントが飛んできました。
被告は私にとって一面識もない人物であり、いわば赤の他人です。そんな赤の他人から、いきなりこんな礼儀知らずの、攻撃的なコメントが飛んできたのです。当然、私は傷つき、自分を守るために被告をブロックしました。
しかし、被告はブロックされた後、自らの無礼を反省するどころか、むしろ逆上し、私に対して九か月にわたり、粘着的な誹謗中傷を続けました。〈ヘタレ〉〈流行りものに乗っかって売名を図る計算高い人〉〈プロパガンダに乗せられた人なのか、あるいは乗せる方の人なのか〉〈イカフェミ〉〈インチキ芥川賞作家〉。
被告によるこれらの投稿は意見論評の域を遥かに超えた、事実に基づかない誹謗中傷・名誉毀損であり、決して許されるものではないのは言うまでもありませんが、それでも私はずっと我慢していました。自らの心身の不調に耐えつつ、そのうち攻撃がやむのを期待していました。
しかし、被告は攻撃をやめませんでした。それどころか、時が下るにつれ、床が抜けるように激しくなっていきました。2022年7月7日、被告はあろうことか、私の著作『生を祝う』について「パクリ」だと投稿したのです。
前述の通り、私が一文字一文字自らの手で書いてきた著作こそが、私の誇りの在り処です。言うまでもありませんが、私は「パク」ってなどいません。もしプロの作家が誰かの作品を「パクった=盗作・剽窃した」のなら、その作家は間違いなく職業人生を断たれることになるでしょう。作家にとって「パクリ」というのはそれだけ重い指摘なのです。一人の作家にとって、それも芥川賞の栄誉を得た作家にとって、「パクリ」はおよそ考えられうる最上級の誹謗中傷であり、今後の職業人生を丸ごと破壊しかねないような名誉毀損・名誉感情侵害なのです。
しかも、被告は私の作品を読んですらいないのに、あろうことか「パクリ」などと指弾したのです。それだけでなく、〈全部事実なので誹謗中傷じゃないよ〉とまで付言しています。これは到底看過できない名誉毀損です。
私はここで、被告に対して法的措置を取る決意をしました。
五、被告とのメールのやり取りについて
法的措置を取る決意をしたからといって、私はすぐ提訴したわけではありません。前述の通り、私は被告から、一方的かつ長期的な誹謗中傷を受けてきました。それでも私は被告の善性を信じることにしました。被告も作家の肩書を持っている人物だから、対話は可能かもしれないと考えたのです。
私は被告が著作を出版している出版社「アドレナライズ」を通して、被告に連絡を取りました。
私からの連絡を受け取った被告は、誹謗中傷投稿のごく一部を削除しました。全て削除したわけではないが、同業者と争うのは本意ではないため、私はとりあえずよしとしました。被告宛ての2022年7月20日付のメールで、私はこう書きました。
私としては、最大限の誠意を尽くしたつもりです。自分の小説はパクリではないことを証明するために、一方的かつ長期的に私を誹謗中傷してきた人物に対して、私は自腹で献本をするとまで言っているのです。
ところが、被告からは一切返信が来ませんでした。謝罪もありませんでした。
確かに私はこのメールの文面で謝罪を求めてはいません。しかし、かような卑劣な誹謗中傷を繰り返し、相手から警告を受け取った場合、自らの非を反省し、一言謝罪するのが社会人としての最低限の常識であり、良識というものでしょう。
残念ながら、被告は私の二倍くらい歳を取っているにもかかわらず、そんな常識・良識がまったくないようでした。
六、被告による再度の誹謗中傷行為について
被告から謝罪はありませんでしたが、それでも私はひとまずよしとしました。繰り返しになりますが、同業者と争うのは私の本意ではありません。
ところが、2022年9月、被告はあろうことか、私に対する誹謗中傷投稿をリツイート(=同じ内容を再投稿すること)し、私への誹謗中傷を続行しました。私が誹謗中傷をやめるようにと警告したにもかかわらず、です。
被告が自ら投稿してはいないものの、他者による誹謗中傷投稿をリツイートしたのは紛れもない事実です。まさか被告は、「自分で書き込みしなければいい、他の人が書き込んだ内容に便乗すれば責任を問われまい」などと姑息なことを考えているのではないでしょうか? 被告の卑怯な行為に、私は強い憤りを覚え、警告通り、法的措置を取ることにしました。
七、被告からの「逆ギレ」メール
2022年9月、私は弁護士に依頼し、法的手続きにのっとり、被告の実名と住所を特定しました。すると10月4日に、被告から「逆ギレ」としか言えない内容のメールが届きました。
私は唖然としました。見ず知らずの人を九か月にわたり誹謗中傷し続けたにもかかわらず、法的措置を取られた途端、この被害者面! 〈私の口を塞げれば満足なのですか〉って、この歪んだ被害者意識は一体どこから来たのでしょうか?
言うまでもありませんが、私は何も被告の「口を塞ぐ」ことを目的としているわけではありません。被告に、自らの不法行為に対して、法的責任を取ってほしいと考えただけです。被告に、社会人として、人間として最低限の良識と常識を見せてほしいと、そう考えただけです。
それでも、私は被告の善性を信じたかったのです。訴状が届いたら、自らの過ちを反省し、きちんと謝罪して責任を取ることを、期待していたのです。
にもかかわらず、被告から一切謝罪がありませんでした。それどころか、被告から出てきた準備書面は「トランスジェンダリズム」だとか「ツイ廃」だとか「義憤」「危機感」だとか、意味不明としか言いようのない主張ばかりでした。
私は被告の人間性に徹底的に失望しました。かくなるうえは、司法に頼るしかありません。納得のいく判決が下ることを願うばかりです。
八、被告の動機について
自らの不法行為の責任を軽くするために、被告は準備書面で、誹謗中傷の動機は「義憤」「危機感」だと主張しています。もちろん、仮にそうだったとしても、それは誤った情報と認識に基づく誤った義憤と危機感であり、不法行為の責任をほんの僅かでも軽くできるものではないのは言うまでもありません。しかし私は、被告の動機はそもそも義憤や危機感ではないと考えています。
明らかに、被告は作家として劣等感を抱いています。これは被告が過去に自分のことを〈売れない作家〉〈底辺作家〉〈取るに足らない作家〉と自嘲し、私のことを〈人気作家〉と皮肉り、〈ツイッターに張りついてないで小説を書けばいいのに〉と嫌味を言っていることからも窺えます(なお、当然のことながら、私はちゃんと小説を書いています。被告のような輩が誹謗中傷をしなければ、私はもっと小説に集中できます)。
作家としての劣等感をこじらせた結果、被告は過去に度々、自分より社会的評価が高い作家に絡み、的外れな批判や攻撃的なコメント、嫌がらせを繰り返してきました。
例えば被告は小野美由紀氏について、〈中二病作家の書いたポルノもどき〉〈ヘタレ〉〈子供〉〈思慮の浅いお子様〉〈軽薄なお嬢ちゃん〉〈いっちょかみしてくる人間〉などと侮辱しています。(一部割愛)
以上の事実を踏まえると、被告はいわば嫌がらせの常習犯と言えます。私に対する本件誹謗中傷も、劣等感からくる一方的な憎悪に基づく誹謗中傷行為の一つであると考えています。
さらに、被告は明らかにトランスジェンダーや性的少数者に対して偏見や差別感情、少なくとも誤った認識を持っています。これは被告の準備書面にあった「トランスジェンダリズム」云々の陰謀論的主張からも窺えます。
近年、ネット上ではトランスジェンダーの人たちに対する差別言説・人身攻撃が激化しています。2023年6月に「LGBT理解増進法」が議論された時も、「トランス女性は女を自称する男だ」「理解増進法が通れば自称女の男が女湯に入りたい放題」といったデマや誤った認識が広く流布されました。被告の過去の投稿や準備書面からも、被告が同じような誤った認識を抱いていることが分かります。
作家としての劣等感、そしてトランスジェンダーに対する誤った認識により、被告はあろうことか〈私は今日からトランスベストセラー作家でトランスセレブ〉といった荒唐無稽でみっともない主張までしています。
また、被告は自らの誹謗中傷行為については「固有名詞を出さなければ誹謗にも中傷にも当たらない」という甘い認識しか持っていないようです。司法についても「裁判って非常識な人間の方が勝ちやすい」などと発言し、あたかも誹謗中傷行為を繰り返してきた自身こそが常識的な人間かのような物言いをしています。
要するに、被告の誹謗中傷等の行為の行動原理は「義憤」や「危機感」とは程遠く、無知や、歪んだ劣等感、偏見、憎悪感情、差別感情に基づくものであると考えたほうが適切で、実情に近いでしょう。
九、慰謝料の額について
本件訴訟のため、私は裁判費用や弁護士費用など、計60万円近く負担する見込みです。つまり、認容される慰謝料等の額がこの額を下回った場合、私にとっては赤字になります。九か月にわたり一方的かつ悪質な誹謗中傷被害を受けたあげく、自らの権利救済と名誉回復のためにさらに経済的損失まで被るのは、到底納得がいきません。これほど理不尽なことがあるのでしょうか。
加えて、前述のように、本件誹謗中傷において、
被告は長期的かつ一方的に誹謗中傷を繰り返し、その行状は極めて悪質であること
「パクリ」「インチキ芥川賞作家」といった、作家にとって最大級の名誉毀損の文言を使用していること
そのため、私が多大な精神的苦痛を負い、名誉を著しく損害されたこと
私は「史上初の台湾籍芥川賞作家」として知られるなど社会的評価が高いため、私への名誉毀損はなおさら程度が重いこと
被告は私から警告を受けても謝罪をせず、反省の意が皆無であったこと
被告は私から警告を受けた後も、姑息で卑怯な手段で誹謗中傷を続行したこと
被告は住所を特定された後も反省・謝罪せず、「逆ギレ」メールを送ってきたこと
誹謗中傷の動機は歪んだ劣等感と差別意識に基づいているということ
被告は誹謗中傷の常習犯であり、温情や情状酌量の余地がないこと
などの事情も、慰謝料等の額を算定する際に考慮されるべきです。
そのため、本件訴訟において被告は私に対し、最低でも300万円の慰謝料を支払わなければならないと考えます。
十、結び
本陳述書を執筆している最中、2023年7月中旬に、タレントのryuchell氏の訃報が報じられました。現場の状況から判断して自殺の可能性が高いとのことです。
もちろん、氏の自殺の動機について、現段階ではまだ何も分かっていませんが、氏に対する誹謗中傷が一年弱にわたり、SNSに溢れていたことは事実です。それが自殺につながった一因である可能性が高いでしょう。
過去の事例を見ても、日本の司法は誹謗中傷に対して、慰謝料の額を低く見積もる傾向が見られます。しかしながら、誹謗中傷により自死念慮を抱いたことのある一人の人間として、誹謗中傷は人を殺す、文字通り死に追いやるということを、私は知っています。
たかが誹謗中傷、されど誹謗中傷。司法には、ネット環境に蔓延る誹謗中傷問題と真剣に向き合い、重く受け止めることを私は願います。被告のような卑怯な誹謗中傷を繰り返してきた常習犯に対しては、法と正義に基づき、然るべき制裁が下ることを願って、本陳述書の結びといたします。
以上
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