研究者たるもの・・・・・・
私は男研究者だ。私は男について研究している。彼氏は要らないが、常に男を観察対象として見ていたい。それをする際は、男のコミュニティに入ることでぐんと効率が良くなる。世の中ではこういった女のことを「ビッチ」というらしいが、私にはその自覚はない。私はただ、純粋で真面目な研究者なのだ。だからこそ、男を見たら話しかけ(まくる)し、連絡先を交換しようとするのだ。あらゆる年代の、様々な地域の、言い換えれば古今東西の男たちと、人生の中でいかに多く知り合い、いかに多くの関係を結び、いかに多くのデータを収集するかが本当に重要な問題になってくる。だが、研究対象の都合上、気をつけなければいけないことが複数ある。一つは、自身の恋愛を公にしないことだ。過去の体験から気がついたことがある。それは研究をすすめる上で、私自身の恋愛についてのあれこれは決して口にしないほうがいいということだ。私が恋愛について語ると、研究対象である男たちがそろりそろりと後ずさりしていって、ついにはいなくなってしまう、そんな感覚をおぼえたのだ。だから、男を研究していく上で、恋愛の話は御法度だ。男を研究していく上で、男と交流することは必須なのだから、私は常に恋愛について口を閉ざさなくてはいけない。イメージとしては「マドンナ」である。研究する都合上、男に接近はするが、形而上学的には一歩引いた立場から、あくまで研究をすすめる。さて、「マドンナ」と言われても具体的なイメージをもてない読者もあろうから、少し紙幅をとって説明しよう。
其壱 マドンナたるもの、特定の男子を好きになるべからず
其弐 マドンナたるもの、すべての男子にあまねく愛を与え、その愛はエロス的ではなくアガペー的でなくてはならない
其参 マドンナたるもの、男子の前では、決して男子の話はするべからず
以上の条文は私が考案したもので、敢て名をつけるとすれば「マドンナ道」とでもいこうか。つまり、そういうことなのである。男研究者たるものは、同時にマドンナ道の精神も持ち合わせていなくてはならないのだ。
以上、最近発掘した日記帳の中の、一部抜粋でした。最近、ペニス型のイヤリングやネックレスがとても欲しい。クリトリス型のネックレスは持っているが、ペニスのある身体のどこか一部をかたどったアクセサリーはない。どこを探してもない。いや、多分ある(と信じたい)のだが、私が未だ見つけられていないだけだ。