Li Kong

Li Kongと申します。書いているうちにどんどん楽しくなるような気分になれれば占めたものなのですが、そうならないことも多いため、そうなるようになるといいなと思っています。

Li Kong

Li Kongと申します。書いているうちにどんどん楽しくなるような気分になれれば占めたものなのですが、そうならないことも多いため、そうなるようになるといいなと思っています。

最近の記事

  • 固定された記事

私にとって恋愛とは

私にとって恋愛とは、アンデス山脈で採れる塩のようなものである。あったなら、料理(人生?)がより美味しくなる(気がする)が、無くても支障は無い。別に伯方の塩でもいいのである。伯方の塩もとても美味しいし。私は料理することが好きでも嫌いでもないというような人間であり、材料にこだわっているというわけでもない人間なので、わざわざアンデス山脈で採れる塩を色々なスーパーを巡って探し歩くことはしない。だが、もし無料でアンデス山脈で採れる塩がもらえるならば、もらいに行くかもしれない。そんな程度

    • こんにちは、おばかさん①

       二日間の旅行。私はもう二度と温泉旅行には行かないと誓うだろう。だってつまらないから。本当におばあさんとおじいさんしかいなかったし、ほんとうに寂れている。かといって、若者が多いとされている新宿や渋谷が楽しいかというとそう簡単に楽しさに直結するわけではない。単純なことではないのだ。私たちは「旅行し」ているのではなくて、「旅行させられ」ているのではないかという可能性をもう少し考える必要があるように思う。考えることはとてもめんどうくさいが、思考停止のまま活動する気持ち悪さに私は耐え

      • 「ChatGBT」に「君」をつけたくなってしまう話

        あなたは「ChatGBT」を呼び捨てにできるだろうか。 私はできない。「君」をつけてしまう。

        ¥100
        • 頭が狂いそうな話(私にとって)

          結婚式は女をだます儀式だ。 結婚式は盛大にやってあげてくれと思う。なぜなら女はこれから約50年もの間、無償で奴隷となるのだから。だから奴隷契約の儀式は、できるだけその臭いを消して、神聖に執り行うべきである。 最も不思議なのは、その奴隷契約の儀式を、女が喜んでしたがるということである。これは、決して進んで奴隷になろうとしているということではないだろうから、その臭いがきれいに拭われた結果だといえよう。多くの女と男にとって、その状況は決して悪くないだろうが、困るのはその「多く」

        • 固定された記事

        私にとって恋愛とは

          台湾ドラマ(を見て自分)で学んだ、恋愛にがつがつしなくても(別に)いい(んじゃね)という心の持ち方

          恋愛にがつがつできない。 別に明日会えなくてもいいと思ってしまう。 私はそんな人間だった。私が今まで付き合ってきた男たちは、自分が与えた愛に対して、相手(つまり私)からの愛が足りないとする男たちだった。 「好きだよ」って言われても、正直「ふ~ん」って感じなのはまずいのか?! 「好きだよ」と言われたら、「私も好きだよ」と言わなきゃいけないことはわかっているのだが、好きじゃないから言えねえ!っていうか、そんなセリフくさすぎていえねえ!っていうか、こうやって二人で言葉の交換を

          台湾ドラマ(を見て自分)で学んだ、恋愛にがつがつしなくても(別に)いい(んじゃね)という心の持ち方

          旅をするときには。

          ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 こんにちは。Li Kongです。如何お過ごしでしょうか。 今回は旅の極意について書き記したいと思います。 一つ、「予定」を立てろ。 二つ、考えるな。 三つ、調べすぎるな。 いい旅とわるい旅の両方をしてきた私にとって、この三つは絶対に外せない極意となっております。 一つ、「予定」を立てろ、についての解説。 これはすなわち、「予定」を立てろ、ということでございます。 気になるお店とその場所を手帳にでも記しておく。行きた

          旅をするときには。

          こういう気持ちを作品にするのがnote人なんじゃないのか。

          いらつく。めちゃくちゃいらつく。 いらつくし、とても厭だ。 私は日韓ワールドカップの年に生まれた(望んでないけど)。だから単純に計算して、もう20歳なんだが、そんな私が「早っ!」って思った出来事がある。 結婚 である。 結婚 なのである。 「Liちゃんが結婚するまで生きなきゃいけないからね!」 ごめん、おばあちゃん、だったら不死の身体を手に入れなきゃ(手に入れることを検討しなきゃ)だね。 ついに来たか、と思った。 こうやって、最終的には「孫の顔が見たい」ってセ

          こういう気持ちを作品にするのがnote人なんじゃないのか。

          研究者たるもの・・・・・・

           私は男研究者だ。私は男について研究している。彼氏は要らないが、常に男を観察対象として見ていたい。それをする際は、男のコミュニティに入ることでぐんと効率が良くなる。世の中ではこういった女のことを「ビッチ」というらしいが、私にはその自覚はない。私はただ、純粋で真面目な研究者なのだ。だからこそ、男を見たら話しかけ(まくる)し、連絡先を交換しようとするのだ。あらゆる年代の、様々な地域の、言い換えれば古今東西の男たちと、人生の中でいかに多く知り合い、いかに多くの関係を結び、いかに多く

          研究者たるもの・・・・・・

          健康診断という液体で浮かび上がるヴァギナという文字に関する何か。

          本題 健康診断があった。 私の所属している組織(こう言うと怪しいが、決して怪しいものではない)は、決して小さくはないので、健康診断は流れ作業のようである。 私が人生の中で、自分が女であることを最も認識させられる瞬間は、鏡の前でセックスをするときと健康診断の時である。 まず健康診断では、女と男に分けられる。生年月日などを専用の用紙に記入する場所は、女と男が一緒なのだが、その記入が終わると、女はエスカレーターで二つ上のフロアへ、男は階段で一つ上のフロアへ行けと言われる。用紙

          健康診断という液体で浮かび上がるヴァギナという文字に関する何か。

          スムージーを飲む女たちと白子を食べる色物としての女

          素敵な男の人を見たとき、「素敵!」ってなる(ことよりも)のと同時に、ああ、男になりたい!って感じるのは異常だろうか。男に生まれていたら、金玉が私にあったなら!身長が高かったなら!(身長が高くない男の人もいるが) 最近、本気でちんこのことを考えている。普通に性的に考えることもあるのだが、最近はもっとマクロに考えるようになったのだ。なぜ生物学上の性別(セックス)は、人間において2種類だけなのだろう。もし2種類でなかったら、何らかの不都合があるから2種類なのだと思うが、不都合とは

          スムージーを飲む女たちと白子を食べる色物としての女

          万年中腰女

          私は万年中腰女(まんねんちゅうごしおんな)だ。写真を撮るときはいつも中腰だ。中腰でマヌケに顔をカメラに向ける。正面から見るとそうでもないのだが、横から見ると、中腰女たちが地面から90度顔を上げてにやついている光景は心底マヌケである。 そんな万年中腰女、自分の本名が嫌いである。いかにもノリでつけられたという名前が嫌いである。 私の周りには「しっかりとした」名前が多い。実例ではないが、例えばさとこ、みなこ、さくらこなど〇〇子系、ゆみ、ひかり、ふうかなどの王道系が多い。注目して

          万年中腰女

          一言よろしいですか、私トイプードル大嫌いですよ。

          トイプードルが嫌いだ。とても、嫌いだ。全部嫌いだ。白い部分のない目、どこまで皮膚があるのか分からない耳、黒豆のような鼻、円を描くように走り回るその動作、不必要なほど厚いふわふわの毛、飛び跳ねるように走るその走り方、耳をつんざくような鳴き声、なかでも、自然界にぶち込んだら、一瞬で殺されそうなところが一番憎い。 嫌いすぎて、トリミングの動画や、シャンプー中におねんねしそうな動画を見ている。 今、嫌いなのにもかかわらずトイプードルの販売サイトを見ているが、これ、トイプードルと人

          一言よろしいですか、私トイプードル大嫌いですよ。

          愛用しているメガネを無くした。

          愛用しているメガネを無くした。

          安かろう悪かろうが分からない奴

          安かろう悪かろうが分からない奴それは私だ。 紛れもなく私だ。 目先の得に囚われ、長期的な得を見逃す大馬鹿者。 不要敬意最近私は、敬わないでくれ、と思う。 日本語にうるさい、のかもしれないが、いちいち気にしてしまう。 例えば「失礼します」という言葉。 こんなクソみたいな人間に礼を欠いて詫びるなんてことしなくていいんですよ、ってマジで言いたくなる。 洗脳「髪は女の命」 そんで、この間テレビを見ていてむかついたのが「化粧ポーチは女性の命ですが、見せても大丈夫なのかあ・・・

          安かろう悪かろうが分からない奴

          これぞ義理!

          「あんだけタダ飯食っといて、ごめんなさいはないだろう。」  そのとおりである。母親の言う通りである。二十歳の誕生日を十二月に迎えた私は、いつものようにくだらない恋愛相談を母親にしていた。困った、と思った。さっきまで私は銀座のカフェにいて、そこで「友人」に「君のことが好きみたい」だと言われてしまったのだ。ピンチの時――主に恋愛的な――私はとぼけたことを言う癖がある。適当に話をごまかし、とりあえずいったん家に帰ってこれに対する回答を「作る」時間をもらった。正直、まんざらではなかっ

          これぞ義理!

          嫌なものには嫌と言える鈍感な力を

          嫌なものには嫌と言える鈍感な力を。 嫌なものを本能で避けられる鋭敏な感性を。 嫌なものを純粋に忌避する子どものような心を。 好奇心というのは恐ろしい。好奇心など早く棄ててしまわれるべきものだ。 大人になると好奇心が失われてしまうとか嘆く人がいるが、それで良いのである。そうあるべきなのである。というか、その方が人生が楽だ。 好奇心は恐ろしい。毎日を単調に生きるべきである。人生に色彩など要らない。毎日同じ時間に起きて、同じ時間に寝ればよい。自分のオーガズムなど知らなくてよい。

          嫌なものには嫌と言える鈍感な力を