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Vol.28 Sex Pistols

70年代をぶっ壊せ

77年にたった1枚のアルバムを出しただけで解散してしまったにも関わらずパンクロックの代名詞あるいは始祖として知られているバンドです。
70年代はハードロックやプログレッシブ・ロックなどテクニカルで重厚なサウンドが主流で、かつてのようなティーンエージャー向けのロックンロールは下火になりつつありました。
そんな中ニューヨークとロンドンでほぼ同時にパンクロックが生まれます。
ややこしいアレンジや技巧性をとことん排除、スピード感のあるビートにキャッチーかつメッセージ性のある過激な歌詞を乗せ、吐き捨てるようにシャウトする。
そういった破壊衝動とすらいえる既存ロックへの(あるいはオトナ社会への)アンチテーゼは若者の心をガッチリとつかみました。

そして最も重要かつ後世に影響を与えたのはそのビジュアルでした。
ラモーンズがライダースジャケットとジーンズをユニフォームにしたクールな不良チームを演出した一方、セックス・ピストルズは「破壊」をテーマにした過激なスタイルを押し出しました。
髪を染めて逆立て、安全ピンやガーゼシャツなどのアイテムを生み出し、その「パンク・ファッション」は80年代のニューウエーブにも引き継がれていきました。
80年代の日本のバンドシーンでもパンクはひとつのメインストリームでした。
そんなピストルズ・チルドレンがのちのちにハード・コア方向やビジュアル系など多様なカタチに発展していったのです。
王道パンクのアナーキーはもちろん、ビジュアル系の元祖でもあるBoowyやBuck-Tick、和製ニューウエーブやナゴムレコードもピストルズなくしては生まれていないはずです。

仕掛け人とカリスマ

ピストルズの成功には仕掛け人の存在がありました。
マルコム・マクラーレンというブティックオーナー(ヴィヴィアン・ウエストウッドとの共同経営)がいわばプロデューサーであり発起人となり、店に出入りする(ビジュアルの良さげな)不良少年をつかってバンドを作ります。
そしてフロントマンとなるボーカリストにジョニー・ロットンを抜擢、このどこからみても不良少年なルックスがピストルズのコンセプトと見事にシンクロすることになります。
さらにシド・ビシャスといういまでは伝説となっているパンクロッカーがベーシストとして加入することでスター性は更にアップします。
マルコムの経営手腕にこの奇跡的な素材が組み合わさったことでピストルズは爆発的なヒットとなります。
まさにロックシーンの革命であり、70年代の幕引きと80年代という新しい時代へのキックオフという現象となりました。

商売人マルコム・マクラーレンのブランディングが成功したと言ってしまえばそれまでですが、彼もここまで世界規模のロック革命になるとは予想していなかったはずです。
彼の仕掛けに時代性がブーストをかけ本人にも止められない暴走状態になっていたように思います。

ピストルズ解散後にマルコムが嫌がるシド・ビシャスに無理やり歌わせた「マイウェイ」を貼っておきます。
そもそもちょっとした悪ふざけであって音楽的完成度を云々するものではありませんが、パンクの文化遺産といえる作品です。
このシドを観てパンクに導かれた若者は多いはず。
これもまたオトナの計算違いによる奇跡のひとつだと思います。



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