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なんだかんだでやっぱり嬉しい

承認欲求は薄いほうだと思っていました。
noteをはじめるまでは。




十数年前のSNS

20代半ば
友だちに誘われて登録した、とあるSNS
自己顕示欲が無いに等しかった私は
正直、めんどくさいなぁと思いながら
何人かのほかの友だちとも繋がり
日々それらしい活動をしていました。
(いいね、コメント、シェア、投稿)

誰かの誕生日がSNS上でお知らせされたら
お祝いコメントを送ったり
わりと真面目にお付き合いしていたと思います。


SNS疲れ

何を投稿していたかは全く覚えていないのですが
私の投稿がよほどつまらなかったのか
反応してくれる人はいませんでした。

誕生日にメッセージをくれる人もいません。
私をそのSNSに誘った友だちですら、です。
(実は嫌われていたのでしょうか?)

私は誰からも見えていないのか
とてつもない孤独感に襲われ、退会しました。


発信しない生活

LINE、X、Instagram、Facebook、TikTok・・・
SNSってたくさんあるんですね。
連絡手段や情報収集のために
アカウントを持っているものはありますが
自分が何かを発信することはありません。

ふと見上げた空がどんなに美しくても
どんなに美味しそうな料理が運ばれてきても
写真すら撮りません。

傍観者を決め込んでいたのです。

noteをはじめるまでは・・・


期待してはいけない

十数年前の苦い記憶があったので
noteをはじめても「反応してもらうこと」に
重きを置かないようにしようと思いました。

1日に何千何万という記事が流れていく中で
私の記事に目を留めてくれる人なんていないかもしれない。

備忘録でいい。
ひとりごとでいい。

「一万円選書」に当選したはなし
不思議なめぐり合わせ
読書記録『楽園のカンヴァス』
この3つの記事を書ききることができれば。


「反応」してくれる人がいた

ところがどうしたことか
初投稿・初日にもかかわらず
想像以上に立ち寄ってくれる人たちがいて
さらには「スキ」までいただいたのです。

衝撃でした。

つたない文章には違いありません。
気の利いたことも書いてありません。

それでも、「反応」してくれる人たちはいたのです。


なんだかんだでやっぱり嬉しい

嬉しかった。

あの時の孤独が溶けていくような。

他のクリエイターさんたちの足元にも及びません。
ですが、「誰か」が記事を読んでくれて、共感してくれる。
それはとても、とても励みになります。

だから、また書きたい。
読んでもらいたい。
承認欲求の芽が出かけている私です。

欲張ってあれもこれも、とは多分ならないけれど
共感してくれる「誰か」に届くように
また自分の頭と心の整理整頓のために

自分のペースで書くことを続けていきたい。

そう思ったのでした。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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