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甲状線乳頭がんと診断されました

2020年9月、アメリカ赴任中に甲状腺乳頭がんになりました。

11月にアメリカで甲状腺の摘出手術をする予定です。同じ病気のひとや、家族やお友だちがこの病気になってしまった人に、私の経験をシェアできればと思います。そして、自分のための備忘録として書きます。

1. 甲状腺がんとわかるまで

2020年4月末。喉が猛烈に痛くて、鏡をみて喉を確認すると、今までみたことない腫れとその周りに気持ち悪い白い点(?)を発見し、次の日急いでクリニックへ。診断名は「扁桃炎」。抗生物質を10日間飲んでねーと言われ、薬のおかげで痛みも白い点もなくなったものの、なんとなく喉の違和感を感じて再びクリニックへ行き、追加の薬をもらう。そして、「念のために」ということで、総合病院で超音波検査の予約のための紹介状をもらう。

コロナウイルスのせいで、超音波検査をしてくれる病院があいてなかったり、なかなか予約がとれず、ようやく検査ができたのは7月。そして、その結果をもって、また別のクリニックへ行き、血液検査を行い、「専門医に見てもらったほうがいいですね~」とイケメンの先生に言われる。この先生が担当じゃないのか。残念。

血液検査の結果は問題なし。そして、専門医の予約もすぐに取れ、アメリカ人なのに苗字がドイツという先生が担当医になった。どうでもいいけど、学生時代はドイツ語は全然できないのに、ドイツ人の留学生たちと仲良くなり、ゼミにもドイツ人留学生がおり、2回遊びにいった。何かと「ドイツ」にご縁のある人生。

診察は首元に触れて、風邪のときのように口腔内も検査し、また超音波で検査。しこりが見つかり、その場で先生が注射器でしこりをブスッ!しかも、細胞をとるから、予防接種のようにすぐに終わらず、痛い。痛そうな顔をしていたのがバレて、先生は「ごめんね~」と言ってくれた。

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そして、一週間後。先生が結果の書かれた診断書をもっていて、「悪性」であることを告げた。つまり、がんであると。

精密検査をしている時点で、がんの下調べをしていたこと、術後の経過は年齢的に問題ないだろうといわれたことから、ドラマのように泣きじゃくったりはしなかった。手術を決めるまでに先生に時間をもらうことをお願いした。

そのあと、家族に連絡した。日本時間は深夜だったけど、すぐに返事がきた。様子の分からない遠く離れたアメリカで、娘ががんになったから、たぶん私よりも家族のほうがショックだったと思う。

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