感傷の押し売り、優秀の叩き売り
災害や被害などのニュース記事で、以下のような表現があります。
「彼らの命が永遠に私たちの心の中に生き続けます」
「我々は決して希望を失わず、困難を乗り越えてます」
「彼らの犠牲は私たちに勇気と希望を与え、再生の光を照らしてくれます」
見ている読んでいる方の感情を勝手に決めないでいただきたいと思います。
書き手は事実や情報を伝えて、それでどのような感情になるかは読み手の自由なはずです。
この手の自己アピールは邪魔くさいです。
就職面接の時に「私は優秀です」と言う人は優秀ではないです。
優秀だと思わせるエピソードを伝えて、面接官が「この人は優秀だ」と決めるのです。
女性を口説くときに「俺はイイ男だ」と言う人はイイ男ではないです。
イイ男だと思ってもらえる言葉や行動をすることで、女性が「この人はイイ男だわ、ウフ♡」と思ってもらえるのです。
優しいかは人が決めるもので自分で決めない。
高次元かは人が決めるもので自分で決めない。
自称の人が多いです。決めるのは他者です。
それとも、「この記事は素晴らしい。この記事は素晴らしい。この記事は素晴らしい。この記事は素晴らしい。この記事は素晴らしい。この記事は素晴らしい。・・・」と埋めたら、スキボタンがポチポチ押されるのでしょうか。
誰かやってみてください。
「100人の死亡者」
「100人もの尊い犠牲者」
「二度と戻らない100人の尊い命」
「100人ですんだ」
「たった100人だけで残念」
ライターや記者の書き方で印象が変わります。
ニュースやドキュメンタリーは、事実ではなくて伝える側の意図が入るのは無能だと感じます。
優秀だと感じる記事は、事実と、あっちの見解と、それに反対する見解を載せ、感情や判断は読み手に委ねる表現のものです。
一般の人がコメントとかつぶやきで勝手に感想述べるのはいいんですよ。ただメディアの人間が自己主張してくんなよと思うんです。
そういえば数ヶ月前に起きた事件で、漫画をドラマ化した際に、原作から逸脱した仕上がりになったことに苦悩した原作者が自殺したことがありました。
私は詳細は全く知らないので憶測で言うのですが、どうせメディアの方のドラマ制作者の誰かが、もっと面白くしてやろうと自己主張したんでしょうと思うのです。
マスメディアの人間は漫画家を下に見てます。同時に漫画家の方が自己表現できて、俺の方が優秀なはずなのに無名のまま自分の表現が制約されていると不満に思っています。
だから自分の演出の方が上だとアピールが入り、原作を崩したドラマにしたのでしょう。
ただの憶測ですよ。しかしメディアの人間は俺は優秀だとのアピールが大いにあります。何人も見てきました。
大抵は自己演出がいいだけで、演出した制作物はたいしたことないです。
話を戻しまして、災害などで「尊い命」などと表現するから「もっと死ね」という歪んだ人が出てくるのでしょう。
感傷の押し売りの反発ですね。
隠し味ぐらいの方が感傷的になります。
現場からは以上です。