才能の壁に諦める壁の才能
103万円の壁はあるが、
才能の壁はない。
むしろ天才の方が、元々の才能でやってるものだから、才能の限界=壁に直面したら、壁を越えられない。
乗り越えられない壁なんかない。
ただし、天才と同じことをして、努力で乗り越えようとしたら乗り越えられない。
自分の才能の壁を感じたら、新しい乗り越え方を考えなければならない。
同じやり方で、つまり努力の量だけを増やしてもそれこそ壁があるので、新しいやり方を見いだす創意工夫が必要になる。
そしてどこかで、新しいやり方に開眼する。
ここで大きな問題が起こる。
新しいやり方でうまくいったものだから、それに集中することで失敗してくる。
物事は何でも複数のことが相互関係で連動しながら成り立つわけだから、ある1つの新しいことで全体がバランスが崩れていく。
だからといって元に戻してはいけない。
たいていはここで、開眼したのは見誤っていたと元に戻す見誤りをして、才能のせいにして壁の前で諦める。
新しいあり方の中で、新しいバランスの取り方を作っていく必要がある。
自分の中のバランスを崩すことで、無限の可能性を広げていく。
新たな自分になるから伸び代が生まれてる。
またここで大きな問題が起こる。
新しいやり方で失ったバランスを取り戻すために、別の新しいやり方を作り出すことを繰り返して、めちゃくちゃになってしまう。
一旦めちゃくちゃになったものは、何から手をつけていいか分からなくなる。
こうしてまた、才能のせいにして壁の前で諦める。
新しいやり方は、新しいやり方の迷子になり、探してるだけで何も探せない。
物事が複雑に連動するように、新しいやり方も連動する新しいやり方でなければいけない。
自分が見出した新しいやり方の根源的な概念を元に、連想させた新しいやり方であると連動する。
結局、外の誰かの新しいやり方をパッチワーク状に組み合わせても要素は拒絶反応起こして崩壊する。
しかし自分の中の新しいやり方を展開すると同時に根源的なものを探っていくと、相乗効果で新しい結果になる。
気づくと、最初の才能の壁なんて遥か下にあることに気づき、努力でもたどり着けなかった、天才にもたどり着けなかった、そういう領域があることに気づく。
多分、どんなジャンルでも共通することだと思う。
結局は、その壁を立ち尽くすか、何か綻びを探すか、そんな意識の差であり、だからこそ「意識で現実化ができる」という表現になるのかもしれない。
意識で何でも実現できるとは、思ってれば何でもできるという意味ではなく、何でも壁がないから何でも新しいやり方を無限に取り組む意識になる、という意味だと個人的に思う。
なぜなら先人たちはみんなそうだから。