他人の子を育児放棄、神が決めない子育て
NHK番組には、たま〜〜に良い情報があります。
子育てを科学的な切り口からの話です。
視床下部の1部に子育てする喜びや欲求が活性化する部分があるそうです。
この親性脳は、血のつながりも性別も関係なく全員に存在し、育児経験を持たない成人男性でも実験で育児をさせると活性化するそうです。
私も特に育児をしまくった父親としては、よくわかります。
特に男の子なんかは、子供の頃に虫やトカゲを飼って世話してるのが多いでしょう。私も。
ときメモとか、たまごっちとかの育成ゲーム、さらにシムシティとかマイクラとか育てていくゲームなど、「育てる、世話をする」喜びというものは大きくあるのは想像つきます。
え?、子育てを虫やゲームとかと一緒にするな?
私からするとゲームなんかの方が、画面だけに向かって何の発展もないのに、長時間に渡って無駄な行為を繰り返してる方が大変に感じます。
育てる喜びは同じです。ペットを育てるのも同じでしょう?
もちろん子育ては地獄のような大変さですよ。
同時に、自分が生まれてきた理由がわかるほど喜びを感じました。
つまり、母性どころか、父性まで超えて、自分の子がいない人でさえ親性があるのです。
女性も、子供が生まれた瞬間に母性が生まれるわけではなく、子を育てながら母性まで育てているのです。この世の全員で、親性を活性化し、みんなで子供を育てている感覚があるといいんじゃないでしょうか。
私たちは全員で全員の子育てしているんです。
他人の子に無関心なのは育児放棄です。
昔は集落でも長屋でも、周りの大人が他人の子の世話をしました。
自然の動物の中でも同じような現象は色々あります。それを共同養育というそうです。
猿の群れの中でも、リカオンやハイエナなど犬科の群れの中でも、1部の哺乳類で例があります。オスも自分の遺伝子ではない子供を、他人の母親の代わりに世話をします。
熊やライオンなどの他人の子殺しするオスは、子育てに参加しないオスです。子育てに参加したオスや男は、親性が活性化します。
私は他人の子とたくさん遊びましたけど、同時に他人の子を何回も注意しました。社会は色々なので、慎重に状況を見てですけどね。
感情に気をつけ、私は他人の子に介入します。
子供にとっても、他人の大人に相手されたり叱られたりするのは良い経験だと思うからです。
だからといって、何でもいいわけじゃないです。
電車の中で騒ぎ泣きわめく子供などに遭遇した時、その時の感情が、自分の子育ての感情のまんまだと思います。
たまにジジイで「うるさい!」と怒鳴るクソジジイ、じゃなかった年配の紳士がいるそうですが、多分自分の子供の時もうるさいと怒鳴って子育てなんて妻に丸投げだったのじゃないでしょうか。強制的に育児参加させられているようなサラリーマンの人は、気遣っているような感じもします。
動物の世界でも共同養育もありますが、反面、育児放棄する動物もたくさんいます。
子供を虐待する母親動物もたくさんいます。
それぐらい自然の動物としても、子育ては大変なのです。
また、肉食動物に襲われてる草食動物は、よく子供が狙われます。母親は子供を助けますが、ある程度の段階で諦めます。
「自分の命を投げ出してでも我が子を助ける」、そんなふうに考える、むしろ人間の母親の方が偉いです。一方、これは社会が植え付けた強制道徳なのかもしれません。
「母親なら必ず子供を育てなきゃいけない、自分を犠牲にしてでも子供を愛さなくてはいけない」。この社会道徳も母親に負担をかけているかもしれません。
社会道徳ですよ、神は決めてませんよ。
モーセの十戒も、父母を敬えとは言っても、母親は子供を育てろとは言ってません。
ブッダなんかは、妻や息子を捨てて出家しちゃいました。育児放棄どころか養育放棄です。
つまり、母親が子供を世話するのは、絶対正義では無いのです。
子育ては大変だから、母親にだけに押し付ける、それを正義のように考えるから、おかしなことになってるんです。
しかし、政府が子育てしたら共産主義になってしまいます。
母親の周りをカバーする社会全体が理想なのかもしれません。
少なくとも、育児放棄や虐待まで至るならば、親の責任ばっかり追求しないで、社会が子供を育ててもいいと思います。
まあそんなカバーする社会だったら、誰も育児放棄や虐待なぞしないでしょうね。
ウチの子も、外の子も、あの子もその子も、みんなで世話する感覚がいいですね。
具体的なサポートはケースバイケースとなって後からついてきます。