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日本語方言の「核上下逆変換アクセント」とその混合系について;逆外輪式、型の少ない東京式、枕崎・種子島二型、都城一型


東京式アクセントと奈良田・蓮田アクセントの成立過程

拙稿(2022)「無アクセントの基層言語(固有起源)による「高低逆変換アクセント」の生成 —日本語方言東京式アクセント及び奈良田・蓮田アクセント形成に関する新仮説—」において、無アクセント話者が京阪式アクセントを習得する際に、高低逆変換により、外輪東京式アクセントなどが誕生したと述べた。また、拙稿(2023)「日本語方言の発音から見る4つの基層/上層言語 ーA)縄文語、B)裏日本ウラル語、D)日琉祖語、C)近畿シナ系言語ー」において、日琉祖語は無アクセントであり、京阪式アクセントをもたらしたのはシナ系言語の話者であることを推論した。

すなわち、日本語はもともと無アクセントであったところに、ヤマト王権(シナ系集団)が畿内に京阪式アクセントをもたらしたことで、無アクセントとの接触作用によって、アクセントの高低の逆変換が起こり、東京式アクセントが誕生したと考えることができる。近畿周辺では元来の無アクセント話者が京阪式(祖京阪式)の上げ核を高低逆に知覚したことで、下げ核体系の外輪東京式アクセントが生じたものと考えられる(図1)。

図1 無アクセント話者ののアクセント習得に伴う核の上下逆変換による、祖京阪式アクセントから外輪東京式アクセントの生成。
外輪東京式アクセントについては金田一(1997)、飯豊ほか(1982)等を参考。
祖京阪式アクセントの復元については別稿にて詳述予定。

その後、外輪東京式アクセントが分布を広げていくが、室町時代になると、外輪東京式アクセントと京阪式アクセントは相互の差異を埋めるようにグラデーション状に混合していき、中輪東京式、内輪東京式、垂井式の諸アクセントが成立したと考えられる(図2)。

図2 補忘記式アクセントと外輪東京式アクセントの中間形の諸アクセントの型。中輪東京式、内輪東京式、垂井式は、補忘記式アクセントと外輪東京式アクセントを端成分とする方言連続体として形成された。

そして、江戸時代になり、江戸に中輪東京式アクセントがもたらされ、東関東の無アクセント話者が中輪東京式アクセントの核をさらに上下逆に知覚して、上げ核弁別体系の奈良田や蓮田のアクセントを生じたと考えられる(図3)。

図3 無アクセント話者のアクセント習得に伴う核の上下逆変換による、中輪東京式アクセントから逆中輪式アクセント(奈良田型、蓮田型)の生成。
奈良田・蓮田のアクセントについては上野(1977)に基づく。

一連の概念図を書くと図4のようになる。

図4 東京式アクセントと逆中輪式アクセント(奈良田型・蓮田型)の成立イメージ図

型の少ない東京式アクセントと「逆外輪式」アクセント

型の少ない東京式アクセントとは

さて、東京式アクセントの中には、「型の少ない東京式アクセント」が存在する。大きく2種に大別でき、代表的なものが①静岡県湖西市新居、②静岡県川根本町水川・上長尾に分布するものである。

①新居では、2拍名詞1・2類が○●▼である点は外輪東京式アクセントと共通だが、4・5類も3類と同様に○●]▼になっており、②川根本町水川・上長尾では、2拍名詞1・2類は○●▼である点は外輪東京式アクセントと同様であるが、3・4・5類が●]○▽である(山口 2003a)(図5)。

図5 型の少ない東京式アクセントと外輪東京式(一般型)の型の比較

この2タイプのアクセントは、ともに型の区別が外輪東京式アクセントより少ないことから、無アクセントとの接触で生じたことは容易に推論できる(山口 2003a)。川根本方言は井川方言の無アクセント地帯と接しており、地理的にも、かつては無アクセントであり、外輪東京式アクセントとの接触で型の少ない東京式が誕生したことが推論される(注)。新居についても、古くは無アクセントであったと考えられる(山口 2003a)。すなわち、無アクセント話者が外輪東京式アクセントを習得する過程で、型の少ない東京式が誕生したものと考えられるが、山口(2003a)ではそのメカニズムまでには言及していない。

「逆外輪式アクセント」

この「型の少ない東京式アクセント」の成立過程に考察にあたっても、無アクセント話者による核の上下逆変換が鍵になる。

外輪東京式アクセントが無アクセントと接触していく過程においては、もともと無アクセントであったところに外輪東京式アクセントが広がっていき、無アクセント話者が外輪東京式アクセントを習得する過程が存在したはずである。その時、外輪東京式アクセントの上下が逆に変換されたアクセントが生成されたはずである。(無アクセント話者が中輪東京式アクセントを習得しようとして核が上下逆変換された奈良田・蓮田式アクセントが誕生したよのと同様。)この、外輪東京式アクセントの核が上下逆変換されたアクセントを「逆外輪式アクセント」と呼ぶことにする。逆外輪式アクセントの型は図6のようであったと推定される。

図6 無アクセント話者のアクセント習得に伴う核上下逆変換作用による、外輪東京式から「逆外輪式」アクセントの生成

逆外輪式アクセント、外輪東京式アクセント、そして、型の少ない東京式アクセントを比べてみると、型の少ない東京式アクセントは、逆外輪式アクセントと外輪東京式アクセントの類別混合によって誕生したことがわかる(図7)。これが、型の少ない東京式アクセントの生成メカニズムと考える。

図7 外輪東京式と逆外輪式の混合による、型の少ない東京式アクセントの生成

型の少ない東京式アクセントの分布

型の少ない東京式アクセントのうち、①新居タイプは、静岡県湖西市新居の他に、福島県南会津郡、宮城県北部・岩手県南部にも分布している(山口 2003a)(図8)。どちらも外輪東京式アクセントと無アクセントの接触地帯にあり(注1)、無アクセント話者が外輪東京式アクセントを習得しようして生じた「逆外輪アクセント」が外輪東京式アクセントに混合した形であると想定できる。 

図8 日本語方言アクセントの分布(本稿で取り上げるアクセントを赤文字で明示した)。
金田一(1997)の分布図を基に、山口(2003a)、上野(1977、1989)、北原(2002)を反映。出雲方言は筆者の分析により「型の少ない東京式の変化形」に分類しているが詳細は別稿にて説明予定。

特に、宮城県北部~山形県北東部では「逆外輪式アクセント」に近い状態が見られる。この地域のアクセントは、1・2類が無造作な発音では●○調であり(金田一 1977)、これは「逆外輪アクセント」の痕跡を強く留めているものである(図9)。

図9 宮城県北部の型の少ない東京式アクセントの生成過程。(アクセントの詳細は飯豊ほか(1982)、平山(1957)に基づく。)

また、出雲方言アクセントも「型の少ない東京式」の変化形であると筆者は考えているが、これについては長くなるので稿を改めたい。

以上、型の少ない東京式アクセントに至るアクセントの系譜を示すと、図10のようになる。

図10 型の少ない東京式アクセントの成立系図

枕崎・種子島二型と都城一型アクセント

枕崎・種子島二型アクセントの成立過程

九州西南部にはN型アクセントの1種である西南九州二型アクセントが分布している。西南九州二型アクセントは祖京阪式アクセントからの変化形であり、成立過程は図11のとおりと考えられる。

図11 祖京阪式アクセントから鹿児島二型アクセントの生成過程。(長崎二型、鹿児島二型アクセントは金田一(2005)、木部(2010)、平山ほか(1998)による。)
(※祖京阪式アクセントの復元については別稿にて詳述予定)

そのうち鹿児島県枕崎市のアクセントは鹿児島市とは高低が全く逆になっている。これはすなわち、枕崎には元々無アクセント話者がいたが、鹿児島市の二型アクセントを習得しようとする際に、核が上下逆変換されて、高低逆のアクセントを生成した、と考える必要がある(図12)。

拙稿(2024)「【備忘録】縄文語の発音 ーN型アクセントと昇り核アクセントー」では、N型アクセントは縄文語、無アクセントは日琉祖語の特徴である、と推論した。九州では、中部に無アクセント、南西部に二型アクセント(N型アクセント)が分布する。すなわち、中部は日琉祖語の影響が強かった一方で、鹿児島などの南西部では縄文語の基層が色濃く残っていると考えることができるが、枕崎市は、飛地的に日琉祖語(無アクセント)の話者が早くから移住してきて住んでいたのかもしれない。その後鹿児島二型アクセント(西南九州二型アクセント=シナ系集団がもたらした祖京阪式アクセントを縄文人が習得しようとしたことで誕生したアクセント)を習得しようとして、高低逆転した枕崎二型アクセントが誕生したのであろう。

枕崎市と同種のアクセントは種子島にも分布しており、こちらも成立過程は全く同様で、古くは無アクセントであり、後に鹿児島の二型アクセントを習得しようとして生じたものであろう。

図12 無アクセント話者のアクセント習得に伴う核上下逆変換作用による、鹿児島二型から枕崎・種子島二型アクセントの生成(枕崎・種子島二型アクセントは上野(2012),金田一(1977)による。)

都城一型アクセントの成立過程

都城を中心として、宮崎県南部には一型アクセントが分布している。これは、枕崎二型アクセントと、鹿児島二型アクセントが混合して一型化したものであると考えられる(図13)。

図13 鹿児島二型と枕崎・種子島二型の混合による都城一型アクセントの成立

以上、枕崎・種子島式アクセントと都城一型アクセントの系譜は図14のようになる。

図14 柏崎・種子島二型と都城一型アクセントの成立系図

まとめ

本稿では、祖京阪式アクセントから、無アクセント話者による高低逆変換で東京式アクセントが誕生し、さらに無アクセント話者による東京式アクセントの高低逆変換により「逆中輪式」や「逆外輪式」が成立、そして逆外輪式と外輪東京式の混合で「型の少ない東京式アクセント」が成立したことを示した。
また、祖京阪式アクセントからの音調模倣で生じた西南九州二型アクセントの鹿児島二型から、無アクセント話者の高低逆変換により枕崎・種子島二型アクセントが生じ、枕崎・種子島二型と鹿児島二型の混合で都城一型アクセントが生じたことを示した。
本見解は今後のアクセント史解明の土台となるであろう。

・静岡県東部・中部は中輪東京式アクセントが分布しているが、これは徳川家康の江戸入封により、西三河由来の中輪東京式アクセントが江戸から東海道に沿って広まったことによるもので、それまでは外輪東京式アクセントが分布していたものと考えられる(山口 2003b)。

文献

平山輝男(1957)「特殊音調Ⅱ」『日本語音調の研究』明治書院、pp.483-490.

平山輝男ほか編(1998)『日本のことばシリーズ 42 長崎県のことば』明治書院、13-14頁.

飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一(編)(1982)『講座方言学 4 北海道・東北地方の方言』東京:国書刊行会.

木部暢子(2010)「方言アクセントの誕生」『国語研プロジェクトレビュー』第2号、国立国語研究所、23-35頁、doi:10.15084/00000557ISSN 2185-0100NAID 110009576184

金田一春彦 (1977) 「アクセントの分布と変遷」大野晋・柴田武 (編)『岩波講座 日本語 11 方言』127-180. 東京:岩波書店.

金田一春彦(2005)「対馬・壱岐のアクセントの地位:九州諸方言のアクセントの対立はどうしてできたか」『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部(金田一(1995)『日本の方言:アクセントの変遷とその実相』を収録。)

北原保雄監修、江端義夫編集(2002)『朝倉日本語講座10 方言』朝倉書店、 64頁.

Pacificos(2022)「無アクセントの基層言語(固有起源)による「高低逆変換アクセント」の生成 —日本語方言東京式アクセント及び奈良田・蓮田アクセント形成に関する新仮説—

Pacificos(2023)「日本語方言の発音から見る4つの基層/上層言語 ーA)縄文語、B)裏日本ウラル語、D)日琉祖語、C)近畿シナ系言語ー

Pacificos(2024)「【備忘録】縄文語の発音 ーN型アクセントと昇り核アクセントー

上野善道(1977)「日本語のアクセント」『岩波講座 日本語5音韻』281-322.東京:岩波書店.

上野善道(1989)「日本語のアクセント」杉藤美代子編『講座日本語と日本語教育2 日本語の音声・音韻』明治書院

上野善道(2012)「N型アクセントとは何か(<特集>N型アクセント研究の現在)」『音声研究』第16巻第1号、日本音声学会、44-62頁、doi:10.24467/onseikenkyu.16.1_44ISSN 1342-8675NAID 110009479338

山口幸洋(2003a)「準二型アクセントについて」pp295-309.『日本語東京アクセントの成立』東京:巷の人.

山口幸洋(2003b)「まえがき アクセント・フェロモン説」pp1-8.『日本語東京アクセントの成立』東京:巷の人.





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