北海道胆振東部地震を震源地の厚真町長が振り返る(宮坂尚市朗・北海道厚真町長インタビュー)
地震、ブラックアウト、山体崩壊の複合災害
首長自ら災害法制を学び住民意識を高めるべし
―2018年の北海道胆振東部地震での厚真町の取り組みを紹介させていただきますので、よろしくお願いいたします。まずは町の概要、特徴などを教えてください。
宮坂尚市朗厚真町長(以下「宮坂」) 厚真町は、太平洋に面した町で、夕張山系に源を発した厚真川の周囲に田んぼが広がる一大穀倉地帯です。かつては薪炭業や鉱業が盛んで、原油が道内で一番採れていた頃もありました。他の純農村地帯とは成り立ちが違うという所は一つの特徴です。
山間部も多いのですが、海に面しては広大な平地が広がります。苫小牧港には東西二つの港があり、西港は苫小牧市、東港は厚真町にあります。この港から、北前船のように、秋田、新潟、敦賀へフェリーが就航しています。
胆振(北海道南西部)では珍しい穀倉地帯であり、ハスカップの生産地としてもアピールしています。安全安心な農産物を提供できる食糧生産基地です。
海からの恵み、大地からの恵み、そして開拓期を支えた林業を大切に、一次産業の町として、先人から受け継いだDNAを今後も引き継いでいきたいと思っています。
―実際来てみると雪が少ないということが分かり、それがまちづくりの武器になっているのだと感じます。舗装道路が雪に覆われていなかったので少し驚きました。
宮坂 雪深い北海道らしさを売り物にしている周りの町まちを少し羨ましく思いますが、雪が少ないことに可能性も感じています。
北海道胆振東部地震では、揺れにより影響を受けた地域が広範囲にありました。影響の伝搬の仕方を見ると、元々は海である石狩平野はそっくり繋がっていて、想像以上に遠い所まで、お互いに「隣近所」なんだと改めて思いました。
震度7の地震発生。その時活きた3・11の教訓とは?
―北海道胆振東部地震では震度7ということで相当な被害が出ました。
宮坂 発生が午前3時7分59秒ということで、激しい揺れに叩き起こされました。妻を守るために「倒れてくるタンスを受け止めなければ」と無意識に手を上げました。タンスが手に触れた感触が今でも記憶に残っています。食器が割れ、本棚が倒れ、パソコンや周辺機器が机から落ちたりと、家じゅうでガチャガチャ音が鳴っているのを聞きました。
よくお話するのは、ちゃんと枕元にスリッパと懐中電灯だけは置いておくことです。住民の皆さんを守るためにも、自分が脱出する際の怪我を避けなければなりません。以前は素足で生活していましたが、東日本大震災、3・11以後は家の中では必ずスリッパを履いて生活するように切り替えていました。懐中電灯も同様です。
割れたガラスを踏みながら着替え、大きなガラスを踏み越えて玄関を出て、家屋の倒壊などの被害を想像しながら車に飛び乗りました。周囲は電気が点いたり消えたりしており、完全なブラックアウトの寸前でした。
その内に街灯も全部消えて、真っ暗になりました。車のヘッドライトの範囲で家々の様子を見ると、騒いでいるような様子もありません。大きな被害は無いかもしれないと思いつつ、築70年という倒壊のリスクが一番高い役場のことが気がかりでした。
発生から約30分後に役場にたどり着き、非常用自家発電機が稼働して煌々と明かりが点いていたのでほっとしたのを記憶しています。その時には、職員の約3分の1が集まっていました。副町長が先頭となり、災害対策本部を立ち上げて初動体制を整えていた所に私が登庁できました。
3時半から4時ぐらいまでの間に全職員が集まり、各地域での避難所の開設とパトロールを行う体制を整えることにしました。
地区がまるごと土砂の下に。夜明けとともに見えてきた想像を超える被害・・・
宮坂 職員を各地域に送り出した後、北部方面から道が塞がって前進できないという話が飛び込みました。建物や木が倒れたり、盛り上がったり崩れたりして道路を塞いでいるというのが第一報でした。
先ほども紹介したとおり、厚真川に沿って町は形成されています。夕張山地側に行くと沢がたくさん走っていて、そこに大きな集落が形成されています。そちらに向かう人員が全く進めないという状況でした。
―陸の孤島という状況がたくさんあったということですね。
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