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白血病になった日 #2
|前回までのあらすじ
病院中を歩き回ってたくさんの検査をしたはずなのに、まだ昼過ぎだった。
検査を終えたあとも、やることは山積みだった。
ヘモグロビンが異常に不足しているため輸血を、
そして輸血をしながら骨髄検査も行うとのことだった。
ベッドに横になり輸血が始まる。
すると間もなくして骨髄検査の準備が始まった。
何をされるのか全くわからない私は戸惑いしかなかった。
急に医師・看護師数人に囲まれ、見たことのない医療器具が並ぶカートが運ばれ、一体これから自分の身に何が起きるのかと恐怖を感じた。
うつ伏せになって、スカートを腰くらいまで下ろした。
いくら検査とはいえ人前でお尻が少し見えるくらいまで履き物を下げるのは、惨めな気持ちになった。
こんな思いをしてまで立ち向かわなくてはいけないのか、と。
うつ伏せになると何も見えないので余計に怖い。
血が飛び散るからシートをかけると言われたり、なんだか骨の硬い部分にマークを描かれたりと恐ろしいことこの上ない。
そして麻酔が打たれる。
痛い。
今までに感じたことのない痛みだった。
色んな感情が混ざった涙が溢れた。
本当は苦しさやつらさ、今日ずっと我慢していたものが溢れたのだけれど、痛みで泣いているんだとごまかした。
歯を食いしばって必死に耐えながら静かに泣いた。
自分がこれから立ち向かっていくものがどういうものなのか
少しわかった気がした。
骨髄検査が終わり、輸血が終わるまであと1時間。
一息つける安堵感と同時に
急に静かな時間が訪れると余計なことを考えてしまう。
そんな時、駆けつけた親戚とようやく面会した。
これまで保ってきたわずかな理性が崩れた瞬間だった。
見知った顔を前にして、初めて孤独が怖いと思った。
自分は弱くて無力だ、と。
誰かに助けてほしかった。
まともに話せずただ泣くしかできなかったけど、それを許してくれた。
ありがたかった。
親戚が母と電話を繋いでくれた。
電話口の母は言葉が出ないほど泣き崩れていた。
誰も悪くないのに「ごめんね」とたくさん謝っていた。
悲しませたくないのに、泣かせたくないのに、母は泣きながら謝っていた。
泣きたいのはこっちだよなんて言えない。
自分のことも信じられないのに、母を安心させたくて「大丈夫だよ」と声をかけ続けた。
輸血が終わり、自宅へ荷物を取りに行くため診察室を出ると急いで駆けつけてくれた上司がいた。
「少しでも良いから会いたかった、大丈夫だからね」と言ってくれた。
まさか来るとは思っていなかったので驚いたけど、私は職場の人が大好きなので本当に嬉しかったし心強かった。
あなたは孤独じゃないよと伝えにきてくれたように感じた。
そして、車で送迎してくれる知人と合流した。
ずっと泣いている私に彼らは
「大丈夫だよ、いいお薬たくさんあるから!今は治る病気って言われてるんだよ。だから泣かない!」と言った。
その言葉は力強くて、底なしに明るくて、不思議なほど大きな安心感を与えてくれた。その言葉をかけられた瞬間から、私は前を向くことができた。
家に着き荷物をとりあえず手当たり次第に詰め込んで病院に戻ったら
もう診察は終わって、病院は静かになっていた。
気づけばこんなに時間が経っていたんだ。
車椅子で隔離病棟に案内され、親戚と別れる。
外が暗くなってきたせいで寂しさと孤独感がまた湧いてきてしまう。
急な不自由さに悔しさやもどかしさもあったが、受け入れるしかないと諦めた。
その日案内された部屋は大部屋だったが、患者は私一人しかいなかった。
看護師さんが「今日はお一人なので、ゆっくり過ごしてください。好きなだけ電話しても大丈夫ですからね。」と声をかけてくれた。
その日の夜は友人とたくさん話した。
泣きながら励まし合った。
絶望しきっていたけど、心強い言葉をたくさんもらったから
笑えるようになっていた。
自分は幸せものだと感じた。
こうして長い1日が終わった。
|おまけ
目が眩むような1日でした。
私があっちこっちやってる間に看護師さんたちはスケジュールを立ててくださって、次はこれやるからねと誘導してくれました。
輸血が届くまでの間に検査を全て終える必要があったので、検査の根回し?がされていたのか、非常にスムーズでした。検査受付したらすぐ呼ばれました。ありがたかったです。
当たり前ですが、この日はずっとあれこれ色んな不安が行ったり来たりしてました。
白血病には骨髄性とリンパ性の2種類があり、それぞれ検知されるマーカーに特徴があるのでそれでどちらなのか判断するらしく、どちらもの特徴が同時に出ることはないそう。※うろ覚えです
なのに私の場合は、"どちらも"検知されていました。
骨髄性とリンパ性では治療法も違うので、早く判断しなくてはいけないのに希望が感じられませんでしたね笑
あとは
自宅に荷物を取りに行ったらもうこの家に二度と帰って来れないのでは、と思ってしまって怖かったです。
荷物を取りに行くということは、入院するということ。
帰りたいけど、帰れない。帰るためじゃなくて、入院するために帰る。
この矛盾と葛藤について自分の中で落とし所を見つけるのが時間かかりました。
この日に限らず、これまでも今も多くの方にたくさん支えていただいているのですが、やっぱり知人が言ってくれた「大丈夫だよ!」の言葉が何よりも大きかったです。視界がひらけてキラキラしたのを覚えています。
"大丈夫"って便利だけど難しい言葉だなと思うんです。
一歩間違えれば恨まれてしまうような、そんな言葉だなって。
あなたに何がわかるんだ、何ができるんだ、責任も取れないくせに。って思われてしまう可能性がある。
でもそんなの一切感じさせないほどの、いい意味での"根拠のない自信"に溢れた「大丈夫だよ!」だったんですよ。この人がそう言うなら大丈夫なんだ!って心から思えた瞬間でした。
あの一言がなかったら今も私は絶望していたかもしれない。
感謝しかないです。