ジャニーズ性加害報道に思う事
連日のジャニーズ性加害報道で、遂にジュリー社長の退任要求とマスコミの沈黙について指摘があった。
退任どころか会社は潰す以外にないし、マスコミの件は今更過ぎる。
ここに至ってNHKがしたり顔で「マスメディアが報道しなかったことも問題視されています」と原稿を読み上げているが、その筆頭はお前だろうという感が否めない。
本当にこいつら始め他局も、「(自分は除く)マスメディアは忖度ばかりして悪い奴らだ」と言わんばかりで反吐が出る。
しかし、真面目にヤフコメを書く者がいる一方で、殆どのテレビの前の視聴者の気持ちは以下のようなものではないだろうか。
すなわち、
「気持ち悪い」
そしてチャンネルを変える。
勿論、口が裂けてもそんな事は言わない。言えるわけがない。
ジャニー喜多川の悪口は言えても、まさか「気持ち悪い」の対象にジャニーの毒牙にかかった者たちが含まれているなどとは、到底口外出来ないだろう。
しかし、おそらくは大体の視聴者にとって、被害者も含めて嫌悪感を抱いているというのは共感を得るところなのだろうと推測する。
なぜなら、男の性被害など聞いた事がないからである。
フィクションの世界では衆道などと言ってある程度は「知識」として容認していても、盛んな報道でLGBTの存在は「把握」していても、自分の身の回りでそんな事があるとは夢にも思っていないのである。
男どころか、女であっても性被害に遭ったと言えばまず「疑う」。
一旦は話を聞いてあげるふりをしても、次の言葉は「あなたにも落ち度があったんじゃないの」、だ。
とにかく端から信じる気がない。
勿論当人に「そんなつもりはない」が、いかんせん想像力が追い付かないのだ。
そのせいで二次被害を生む。
ムカつくがよくある話である。
で、今回の件。
半世紀近くにわたって犯罪が野放しにされてきた。
加害者はとっくに死んでいて、盛大な葬儀まで行われている。
「功績」は讃えられ、タブーはタブーのまま闇に葬り去られた、はずだった。
「功罪」の「罪」がようやく地上波に出るようになって、あまりのおぞましさに身の毛がよだつ。
怪物だ。
化け物なのだ。
現実にこんなおぞましい化け物が存在する(した)なんて到底信じがたい、信じがたいが事実なのだ。
もう知らぬ存ぜぬで押し通せるものではない。
ここにきてようやく日本のメディアもトピックとして取り上げるようになったのである。
が、果たして悪はメディアだけなのか?
ジャニー喜多川が巨悪であるのは間違いがなく、それについてはもはや何の説明も必要ない。
マスメディアも沈黙というかたちで加害を担っていたというが、その原因は何だったのか?
スポンサーへの配慮、俳優たちへの気遣い、悪評が出て出演番組がおじゃんになるのを恐れたからだろうか?
それもあろうが、おそらく彼らが考えたのは、「こんな気色の悪い話題、わざわざ誰も聞きたくない」ではなかろうか。
そこには視聴率低下への恐れも含まれるだろうが、メディアは民衆のニーズを熟知していたのではないだろうか。
そして、きっと物凄く的確だったのだ。
性犯罪というのはつくづく加害者が得をするような性質を持った犯罪だと思う。
された側は被害者なのに、なぜか周りから責められる、あるいは距離を置かれてしまう。
関わらないでおこうという気持ちがありありと感じられる。
そうして被害者が孤立して、被害届やら立証やら裁判やら、何もかもやられた側が頑張りまくってようやく事が動く。
なぜか「あの人、そんなに性的に魅力的なの?」という見世物のような視線すらある中で、とことん理不尽と戦わなければならない。
現実にはそこまで強い人はほんの一握りしかいない。
大抵は泣き寝入りで、犯人は自分が捕まらない事に味を占め、また同じことを繰り返すのである。
ジャニーは化物だった。
しかし、それを野放しにして、調子づかせたのも事実だろう。
「既に故人だから」というのは、これで話を終わりにする口実には決してなりえない。
墓を掘り起こしてメチャクチャにして、骨なんかその辺に捨てるべきである。
死んだ人を貴ぶのは、その価値がある人間に対してのみ適用すべきで、死者の冒涜と言うならば生前に散々他人の人生を踏みにじってきたこの男の所業はどうなのだ?
常日頃、因果応報だとか日本は加害者に優しすぎるだとか、目には目をだとか勇ましい事を言うくせに、なぜ急に芋を引くのか?
既にいないからこそ、人間の世はこんな怪物を受け入れないという事を態度として表すべきなのである。
お行儀よく物分かりの良いフリをしたところで何の慰めにもならない。
むしろ、正義はあると思える世の中である事が、彼らや同じ境遇の人間たちの心をほんの少しでも勇気づけるのではないだろうか。
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