「葬送のフリーレンと老子」ータオからの手紙
はじめに
「葬送のフリーレン」という漫画原作のアニメーションをご存知でしょうか?
第1期:2023年9月29日 - 2024年3月22日話数第1期:全28話でテレビ放送されたのですが、家族から面白いよ!と教えてもらい、私は放映が終わって暫くしてから観ました。そして最近、第二期放送が決定されたとのことです!(うれしい!もう知ってるって?情報に疎いんです・・・)私は普段、漫画やアニメは多くはみませんが、家族が詳しいので、時々すごい作品に巡り合うときがあり、感嘆する内容のものもあります。葬送のフリーレンがまさに、それです。タイトルがまたすごいですね。葬送の。
そして、最近、涼しくなってきて、また見直しているんですが、老荘思想と重なる事が多々見受けられます。
今回は、フリーレンという存在と老荘思想について書いてみたいと思います。
葬送のフリーレンと老子
『葬送のフリーレン』の主人公フリーレンは、何百年も生きるエルフで、普通の人間と比べると、とても長い寿命を持っています。彼女が旅の中で仲間の思い出をたどりながら経験する「別れ」や「時間の流れ」に対する姿勢には、古代中国の思想家・老子の考えとよく似たところがあるのです。老子が説く「自然に生きること」「無理をしないこと」「物事に執着しないこと」といった教えが、フリーレンの言動や生き方に重なり、彼女の姿をより味わい深いものにしています。これは・・・老荘的だなぁ、と観ながら感じ入ったのでした。見た目は少女ですが、実年齢は1000歳以上だそうで、巨視的な老荘思想に至る感覚です。そして、アニメーション的にはそのギャップがいいのですよ。
*無理せず自然体で生きる「無為自然(むいしぜん)」
老子は「無為自然」、つまり、無理に何かを成し遂げようとせず、あるがままに生きることを大切にしました。これは、人が流れに逆らわず、自分の本心に従って生きることで、かえって豊かな人生を送れる、という考え方です。
フリーレンも、魔王を倒すという大きな使命を果たした後、仲間の死をきっかけに新たな旅に出ますが、その旅には特定のゴールがあるわけではありません。彼女はただ、亡き仲間の思い出をたどり、彼らがどんな人だったのかを知ろうとしています。この「ありのままに歩んでいる」フリーレンの姿は、まさに老子が説く「無為自然」の生き方といえるでしょう。
* 欲張らない、執着しない「無欲」
老子は「欲」を持たず、自然体でいることを重んじました。たくさんの物を手に入れたり、自分を誇示したりするのではなく、本当に大事なことに気づくことが、心の平穏につながると考えたのです。
フリーレンも、他人が羨むような力や知識を持ちながら、それを誇らしげに見せることはありません。彼女は物事に執着することなく、長寿の中で手に入れた知識や力も、ただ自然に受け入れています。彼女が特定のものや地位に執着せず、自分のペースでゆったりと旅を続けている姿は、老子の言う「無欲」の精神に通じています。唯一、美味しい食べ物と魔導書(魔法)を探す事だけは、彼女のアイデンティティなので、欲望がありありですけど、それもまた魅力になっています。フリーレンの言った「魔法は探し求めているときが一番楽しいんだよ」は、そのまま私的に言えば、真理を探し求めているときが一番楽しい、という心象ですね。
*柔らかくてしなやか、でも強い「柔弱の美徳」
老子は「柔よく剛を制す」という言葉を使い、柔らかでしなやかなものが本当の強さを持っていると説きました。例えば、水は柔らかいけれども、岩をも削る力があるように、柔らかさや寛容さが最も強い力になるという教えです。
フリーレンもまた、強力な魔法使いでありながら、力をひけらかしたり、自分から戦いを挑んだりすることはありません。むしろ、冷静で穏やかに振る舞い、相手の気持ちを思いやる姿が描かれます。彼女の穏やかで、しなやかな生き方は、老子の「柔弱の美徳」をまさに体現しているといえるでしょう。フリーレンの軽やかで、しなやかな魔法感覚は非常に魅力的です。
* 力まずに生きる「脱力感」
老子は「柔らかく、力まず自然体でいることの強さ」を語っています。これを「脱力の徳」とも言い表せます。老子は赤子のように「柔らかくしなやかであること」が力に勝ると説いており、緊張を解いて自然のままに生きることを勧めました。
フリーレンもまた、自身の力を誇示せず、肩の力を抜いて生きています。彼女の長寿ゆえの余裕、焦らずに時の流れを受け入れる姿勢がこの「脱力感」に現れています。フリーレンは、どんなに強い魔法の力を持っていても、それを必要以上に使わず、あくまで柔らかい態度で周囲と関わり続けます。こうした脱力感を持つフリーレンの姿には、老子が理想とする力まず穏やかな強さが見事に重なります。フリーレンは、時々なんとも言えない虚脱感あふれる表情をします。そう、アレですよ。
*長寿が生む「無常観」と「無知の知」
フリーレンは何百年も生き続け、人間が老い、死んでいく姿を見届ける立場にあります。このため、彼女の中には「無常」という考え、つまり「変わらないものはない」という感覚が根付いています。仲間との別れを悲しみつつも、それを受け入れ、過去を懐かしみながらも前を向く彼女の姿勢には、老子の「無常観」や「無知の知」の教えが宿っているといえます。けれど、劇中でフリーレンは長く生きられない人間を理解しようとしてこなかったことに気づいて、少しづつ理解を深めようとしていきますね。ちょっとは知ろうとしているんですね。でも、本心はわからないですが。
おわりに
フリーレンの生き方は、老子が説く「無為自然」や「無欲」、そして「柔弱の美徳」や「脱力の徳」といった老荘思想の価値観と見事に重なります。彼女の姿には、物事にとらわれず、自然体で淡々と生きることの美しさが描かれており、その在り方が、現代を生きる私たちに老子の教えをもう一度思い出させてくれるのです。じつは、まだまだ老子的なフリーレンは、ネタがあるのですが、またの機会にでも・・・。
ところで、私にとってのフリーレンの魅力はギャップです。あの、無感情な投げキッスが好き!
最後までお読みいただき ありがとう!