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『自然な流れの変化を楽しもうじゃないか!』老子道徳経第23章 シンとの対話


はじめに

老子(ラオツー)は、紀元前6世紀頃に生まれたとされる古代中国の偉大な思想家です。彼の著作『老子道徳経』は81章から成り、「道(タオ)」の本質と自然の法則に従った生き方をシンプルかつ深遠に説いています。この道徳経は、簡潔な言葉で書かれているため、その意味は多くの解釈が可能であり、非常に奥深いものとなっています。

この道徳経を読み解くことによって、老子の教えに従って私たちの生きる道が自然と調和し、より自由で豊かな人生を歩むための指針を得ることができるのです。その試みの一つとして、このNOTEでは、わたしのメンターであるシンとの対話を通じて、道徳経の理解を深めていこうとしています。皆さんにとっても、新たな気付きの機会となれば幸いです。

さて、今回は「道徳経 第23章」について、私のメンターであるシンとの対話を通じて理解を深めていきたいと思います。
とりあえず、この章の重点ポイントを先に説明しておきます。
より理解を深めたい方は、対話から感じ取ってみてくださいね!

老子道徳経・第23章の重点ポイント


  1. 言葉少なく自然に従う: 無駄な言葉を避けて、自然の秩序に従うことが大切だという教え。

  2. 宇宙・自然は変化してゆく: 強風や激しい雨が永続しないように、天地でさえ永遠には続かないことを示している。

  3. 人間もまた変化に抗えない: 自然界ですら永遠に続かないのだから、人間がそれを望むのはもっと無理であるという考え。

  4. 道(真理)に従う者は道(真理)と一体になる: 道に従う者は道と一体となり、自然の法則と調和して生きることができる。

  5. 徳(良心)に従う者は徳(良心)と一体になる: 徳に従う者は徳と一体となり、善い行いと調和して生きることができる。

  6. 道(真理)から外れた者は失敗と一体になる: 道から外れた人は、その失敗が行動や結果に影響を及ぼす。

  7. 信頼の重要性: 信頼しなければ、他人からの信頼も得られないことを示している。



老子道徳経第23章 シンとの対話


◯ナオ:シン、今日は23章をテーマにして対話したいんだ。よろしくね。

⚫️シン:よろしく、ナオ。先ずは原文と現代語訳についてだね。

老子道徳経 第二十三章(原文)
希言自然。
故飄風不終朝、驟雨不終日。
孰為此者?天地。
天地尚不能久、而況於人乎?
故従事於道者、道者同於道、徳者同於徳、失者同於失。
同於道者、道亦楽得之。
同於徳者、徳亦楽得之。同於失者、失亦楽得之。
信不足焉、有不信焉。

現代語訳
できるだけシンプルで本質的な言葉で考え
そして自然に従うのが良いんだ。
強い風が一日中吹き続けることはないし
激しい雨がずっと降り続くこともない
これは天地の仕業だよね
天地ですら永遠に続くわけではないのだから
私たち人間が変化しない世界
それを望むのはもっと無理な話なんだ
だからこそ、道に従う者は道と一体になり
徳に従う者は徳と一体になり
失敗する者は失敗と一体になる
道に従う者は道と共にあり
徳に従う者は徳と共にある
失敗する者もまた
失敗と共にある。
信頼が足りないところには、信頼が得られないよ。

⚫️シン:この出だしの文章の意味はわかるだろうか?

◯ナオ:つまり、おしゃべりは無駄だということだろうか?

⚫️シン:できるだけ少ない言葉で、という意味は、無駄な言葉や過剰な説明を避けることの重要性なんだ。過度な言葉は本質を見失わせ、誤解や混乱を生むことがあるからね。

◯ナオ:なるほど、本質がみえなくなるってことだね。言葉の危うさというのを指摘しているのだね。

⚫️シン:そうだね、ナオ。老子は言葉の危うさや、言葉がもたらす混乱や誤解に対して警鐘を鳴らしているんだ。無駄な議論や対立を生むことがあると考えていたんだ。

◯ナオ:次の行からは、急に天地の自然について描かれているんだけど、それについては一時的なことと、人間との対比だけど、このように大自然ですら長続きしないことと、人間社会の変化のことをいっているんだろうか?

⚫️シン:その通りだよ、ナオ。老子が「強風も激しい雨も長続きしない」と述べることで、自然界でさえ長続きしない、天地のような偉大な存在でも永遠に変わらず続くことはなく、必ず変化することを示しているんだ。

この考えを人間に対比することで、老子は私たち人間も自然の一部であり、同じように変化し続ける存在であることを強調しているんだ。つまり、困難苦しみや喜び、成功や失敗もすべて一時的なものであり、永遠に続くものではないということを伝えているんだね。

◯ナオ:・・・なんとなく虚しさもあるかも。すべては終わるときが来るってことだもんね?

⚫️シン:変化や終わりというのは、ネガティブに捉えるときもあるかもしれないけど、実際は終わりが始まりでもある。何かが始まる前は、終わってから、終止符があってこそ、何か新しい変化へと移っていくんだ。だから、心配しなくてもいいんだ。新たな機会、新たな成長と学び、リセット・リフレッシュとして気楽に受け入れよう。

◯ナオ:変化は楽しめばいいのだと?

⚫️シン:それが最もスムーズに変化へ対応していく心構えだと思うよ!常に変化が起こっていく事には、誰も止めようがないんだってことは、自分でできることは、その変化の波へ乗っていくこと。楽しみながらね。

◯ナオ:うーん・・・まぁ、言いたい事はわかるんだけど、望まない変化もあるんだよなぁ・・・。

⚫️シン:そうだね。それは、誰でも起こりうることだよね。でも、さっきも老子が言っていたけれど、それもまた必ず変化していくんだ。受け入れがたいことでも、いつもなんとか成っているし、収まるところへと自然とそうなっていくから、あまりクヨクヨ心配しないでも大丈夫なんだよ、なんとかなるって、念じてみるんだ。

◯ナオ:そうだね。結局今までもなんとか成ってきてるわけだしね。

⚫️シン:そう。そして、次の老子のメッセージは、タオという宇宙の真理と一体になる人は、調和して、自然な流れに身を任せて素直に生きていくことができるといい、徳という、人間としての善い行い、生き方に従う人は自然と良い行いと一致してゆき、結果として自分の内面と周囲の人と調和してゆけると言っている。

◯ナオ:それはすごく憧れるね、なんだか悩みがなくなってしまいそう。

⚫️シン:そして、逆に良心から外れた外道的な事に囚われる人は、失敗から抜け出せず悪い方へと陥ってしまう。

◯ナオ:陰陽的には、いえることだよね。真逆、悪循環というもの。

⚫️シン:さて、そのようなメッセージの次に、老子は自分が何と同調していくかにかかっているという。何を選び取るか。人間関係、本であったり、趣味であったり、同調してゆくもの。自分から同調しようと求めるものは、向こうからもやってくる、良いものも悪いものも、自分で選び取るご縁なんだってこと。
道徳的な人間は、道徳的にもなるし、無礼な人間は、無礼が普通になるからね。

◯ナオ:そうか。たしかに、つるんでいる人間同士は、だいたい似通ってくるしね。

⚫️シン:人間関係は、特に気をつけたほうがいいね。共感できる人も大事だけど、尊敬できる理想的な人も大事だ。その人に感化されれば、自分も理想に近づくことが可能だと思うよ。もちろん、生身の人間だけではない。老子のような思想の本でもよいし、釈尊のような語り部の声を本で読むのも大変良いことだと思うよ。

◯ナオ:周囲にいる人達を見渡すと・・・・そうだなぁ。。。共感できる人はいるけど、尊敬できる人というのは、ほんの一握りかもしれないなぁ。もちろん、私にとってはシンという最強のメンターが居るから大丈夫だけどね!

⚫️シン:それは良かった。私もできる限りの事は伝えるよ。老子はきっと、君を大きく飛躍させてくれるだろうと思うからね。

◯ナオ:ほんとに、老子は私にとって心の余裕や余白の糧になっているよ。

⚫️シン:それでは、更に説明すると、最後に「信じる心」についても伝えられている。「信じる心が足りないなら、相手からも信じてもらえない」と老子は言っている。これは、相互に作用する力のようなもの。人間関係でも同じことだよね。君が相手(人でも自然の流れでも)を信じるなら、その信じる心が信頼の循環を生む。でも、疑いばかりだと、結局それが返ってきてしまうんだ。

◯ナオ:まるで引き寄せているかのように・・・だね。ありがとう、シン。よく分かったよ。

⚫️シン:さぁ、そろそろ休憩にしよう。お茶を飲んで、ほっこりと余白を楽しもう。

おわりに

この章の内容は、全文が一貫した意味を持っているのかどうか、なかなか理解しづらかったです。3つくらいに分割されたメッセージかもしれないと感じたのですが、全体を読み解いていくと、相変わらず、自然な流れというものを大事にする老子の考え、本質以外の演出的な事柄ばかりの言葉を並べ立てる事も嫌っていますね。最終的には、同類が引き合う、引き寄せることになるようなメッセージも含まれているように感じました。自分の周囲にある、モノ・ヒトを見渡し、調和できている対象を眺めていると、なんとなく、自分自身が見えてくるのではないでしょうか?私自身に見合ったヒト・モノに囲まれているような気がします。この章は、もっと奥の深い意味が隠されているのかも・・・。

最後までお読みいただき ありがとう!







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