良寛さんと老荘 ータオからの手紙
はじめに
良寛さんと老荘思想について。タオから手紙が届きました。
道家の思想に基づいた生き方を体現した人として、良寛さん抜きには語れないでしょう。
良寛さんは道家の大家である荘子を愛読していました。
禅宗のお坊さんですが、禅宗そのものが老荘思想の影響を多く受けているため荘子を学ぶのは自然だったのかもしれません。
良寛さんの事を知らない方は下にプロフィールをご参考ください。
良寛さんのプロフィール
生年:1758年(宝暦8年)、越後国(現・新潟県出雲崎)に生まれる。
出家と修行:18歳頃に出家し、諸国を巡りながら修行を積む。比叡山延暦寺や備中(現・岡山県)の宝珠山円通寺で厳しい修行を行い、その後、故郷へ戻る。
隠遁生活:越後に戻ってからは山中の庵に住んだり、村人の家に泊まったりしながら、質素な隠遁生活を送る
人物像と特徴
無欲・無私:良寛さんは物欲や名誉心にとらわれず、極めてシンプルな生活を好みました。食べ物や衣類を分け与え、人々と何も隔てなく接する姿勢で、慈悲を体現しました。
子供好き:良寛さんは子供たちと一緒に遊び、詩や書で「無邪気な心」を表現しました。その姿は「道家の仙人」のような、自由で純粋な存在とされています。
詩と書:彼の詩は平易な言葉で自然や人間の情感を表現しており、難解な表現を避けたものが多いです。書もまた独特で、素朴で力強く、心のままに筆を走らせたような「良寛体」と呼ばれる個性的な書風が特徴です。
思想
禅と道家思想:禅の修行を積みながらも、老荘思想に通じる無為自然の生き方を重んじました。「無用の用」や「無為自然」を体現し、人の評価や世俗的な価値から離れて自由に生きる姿勢は、まさに老荘思想そのものです。
慈悲と愛:良寛さんの教えは人々に深い優しさと慈愛をもたらし、「何も持たずに与える」生き方を貫きました。彼の行動は、仏教の慈悲と道教の無為自然の両方に根ざしたものでした。
死と遺言
良寛さんは、1831年(天保2年)に亡くなりました。彼の遺言はなく、華やかな葬儀も拒否しました。代わりに、彼の生き方や詩、書がその後も人々の心に残り、多くの人に愛されています。
良寛さんは、禅僧としての厳しさを持ちながらも、自然で優しい心で人と接し、子供のように無邪気に生きることで知られました。彼の生き方は、今もなお「あるがまま」の大切さを教えてくれます。
良寛さんのエピソード
さて、良寛さんの生きたエピソードを交えて、
その老荘の理想を生きている感を味わってみてください。
子供たちと遊ぶ
良寛さんは子供たちとよく遊び、かくれんぼしたり、まりつきしたりしていました。この無邪気で自由な姿は、老荘思想の「無為自然」の精神を思わせます。何の作為もなく、ただ目の前の楽しさに身を任せることが、道家思想の「自然に従う」生き方を体現していると言えます。
雨漏りする庵の生活
良寛さんは貧しい庵で生活していましたが、雨漏りを気にせず、そのままの状態で過ごしていました。これは、老子が説く「無欲無為」の精神に通じるエピソードです。物事を変えようとするのではなく、自然のままに受け入れる良寛の姿勢は、無理なく自然と共生する道家思想そのものです。
乞食と一緒に酒を飲む
良寛さんは乞食や一般の人々と分け隔てなく接し、ときには一緒に酒を酌み交わしました。これは、荘子の「万物斉同」(全てのものが平等である)という思想を実践しているように見えます。身分や地位にとらわれず、誰に対しても分け隔てなく接する彼の姿勢は、道家の「虚心」の精神に通じています。
自分の死に対する軽やかさ
良寛さんは死を間近にしても恐れず、むしろ穏やかに迎え入れる姿勢を見せました。彼は「自分はどこかに旅立つだけだ」と淡々としていましたが、これは老子の「帰根」(人が死ぬことは自然に還ること)に似ています。死を恐れるのではなく、自然の摂理として受け入れる姿勢は、老荘の生死観と一致しています。
盗賊に感謝の気持ちさえ示したエピソード
良寛さんが住む庵に盗賊が入った時、良寛は何も抵抗せず、「何もお渡しできるものがなくて申し訳ない」と盗賊に謝り、感謝の気持ちさえ述べたと言われます。これは、荘子の「無用の用」や老子の「柔弱は強いに勝る」という考えに通じます。抵抗せず、むしろ相手を受け入れる柔軟さが、逆に状況を和らげ、平和な結果をもたらすのです。
布団を人に譲る
寒い冬の夜、良寛さんが一晩泊めてもらった庵で、彼は布団を貸してくれた人が風邪をひかないよう、何も言わずに布団を自分で外し、夜通し起きて過ごしたとされています。これは老荘思想における「自己を忘れ、他人のために生きる」という考えに似ています。無理に人に恩を返そうとするのではなく、自然にできることで人に優しさを示すことが、彼の「道」に従った行動でした。
名前を刻まない
良寛さんは、どんなに人から評価されても、自分の名前を墓や建物に刻むことを嫌いました。名誉や評価を求めない「無名」の姿勢は、老子の教えに通じます。老子は「自分の功績を誇ることなく、目立つことを避ける」ことが大切だと説いており、良寛もまた、名声や地位にとらわれず生きたのです。
言葉を残さない詩人
良寛さんは、形式にとらわれない詩を数多く残しましたが、そこには一貫して自然体の心が現れています。荘子が言う「言葉は指月の指(方向を指し示すもの)にすぎず、真理ではない」という考えと同じように、良寛の詩は、真理を伝えるというよりも、無理なく生きる感覚そのものを表現しているのです。
このようなエピソードからみても、まったくもって控えめで自然であって
物欲も名誉欲もいっさいないのです。
かなりの極貧生活を送っていたのだそうです。しかし、良寛さんの生き方はかえって人々の心に深く残り、多くの人を魅了し続けており今現代もなお、良寛さんをリスペクトする人は多いですね!
おわりに
さて、季節は今、秋です。
紅葉が綺麗に映える季節でもあります。
良寛さんが詠んだとされる辞世の句
この一文の中に彼のすべてが凝縮されている気がします。
紅葉に、ありのままの姿をみている。
枯れて散りゆく命をみている。
人生の終わりの姿をみている。
無常と自然との調和をみている。
良いことも悪いことも、すべて調和して存在してあることをみている。
良寛さんの無為自然に生きた姿があります。
最後までお読みいただき ありがとう!