キトラ古墳と老子の繋がりをミーム視点で読み解きます
はじめに
休日に奈良県は明日香村のキトラ古墳へ行ってきました。
キトラ古墳には、道教的な文化が色濃くあるように感じ、
老子とキトラ古墳へと繋がる文脈に思いを巡らせました。
そこで、老子哲学をミーム(注)という視点から
大きな流れをみていこうという試みをしてみました。
老子・ミームなのか、タオ・ミームなのか、道徳経・ニームなのか迷いますが、
とにかく、老子の思想、哲学の流れが、このキトラ古墳へどのように流れてきたのかを考えてみます。
まずは、キトラ古墳とは?
キトラ古墳は、奈良県明日香村にある7世紀後半から8世紀初頭の古墳です。高松塚古墳とともに、日本を代表する壁画古墳として知られており、石室の壁には、鮮やかな色彩で四神や十二支、天文図などが描かれていて、当時の宇宙観や信仰を表しているのだそうです。これらの壁画は、東洋思想、特に中国の思想、そして、老子からの影響を受けているんですね。キトラ古墳は、古代日本の文化や思想を知る上で貴重な資料といえます。
そこで、キトラ古墳と老子どのようにつながっているか?
「老子の思想から道教が発展し、それが日本のキトラ古墳にまで陰陽五行思想として伝播した流れ」をミームとして説明できれば、文化的なアイデアや信念がどのように広がり、模倣され、進化していくかを理解できるのでは?という試みです。この流れを整理すると、次のようになります。
老子の思想(道)と道教の誕生:オリジナルのミーム
老子の教えは、自然に従う「道(タオ)」という哲学を中心にしており、調和、無為(なすがまま)、そして陰陽のバランスを重視します。この思想は後に道教として発展し、深く中国文化に根付いていきました。
ミームの生成:老子の思想(道)は、最初は彼の言葉や書物(『道徳経』)という形で伝えられ、その後、弟子たちや後の世代に模倣されて広がっていきました。(私もその一人ですね)
模倣と伝播:弟子たちが老子の教えを解釈し、その哲学や宗教的実践を広めたことで、道教が形成され、文化として中国全土に広がります。
陰陽五行思想との結びと進化:ミームの進化
老子の「道」の思想は、後に陰陽の概念や五行思想(木・火・土・金・水の五つの要素)が結びつき、より複雑な形で発展しました。陰陽五行は、中国古代の自然哲学であり、道教の実践や医療、占術などに影響を与えました。
ミームの融合と進化:陰陽五行の思想は、老子の道教と自然な形で結びつき、道教の中核的な理論となります。ここでは、二つの異なる文化的要素(道教と陰陽五行)が融合し、新たなミームとして進化しました。
日本への伝播:ミームの伝達
陰陽五行の思想は、6世紀ごろの仏教や儒教と共に日本に伝わりました。この過程で、道教や陰陽五行は日本の文化や信仰体系に組み込まれ、特に宮廷の儀式や暦、さらには陰陽師(おんみょうじ)という職業の誕生にも影響を与えました。しかし実際に伝えた人物とは誰だったのだろうか?ますます謎は深まるのですね。
ミームの伝播:道教や陰陽五行の思想が日本に伝わると、それは現地の信仰や文化に溶け込んでいきます。日本では独自の解釈や実践が生まれ、新たな形でミームが日本文化に定着しました。
キトラ古墳における陰陽五行:ミームの具体例
キトラ古墳(7世紀末から8世紀初頭にかけて作られた日本の古墳)には、天井画や壁画に陰陽五行思想が明確に表れています。例えば、古墳の壁画には四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)と呼ばれる東西南北の守護神が描かれ、これらは五行思想の象徴とされています。
ミームの具体化と視覚化:陰陽五行思想は、キトラ古墳の装飾や設計の中に取り入れられ、視覚的な形で現れました。これは、道教と陰陽五行の思想が、日本の文化的背景と結びつき、具体的なアートとして表現された例です。
老子・タオミームの流れ
老子のタオミームが誕生:道(タオ)、道徳経という思想が生成され、模倣される。
陰陽五行との融合:道教が陰陽五行思想と結びつき、進化して新たな文化ミームが形成。
日本への伝播:仏教や儒教とともに日本に伝わり、日本文化に定着。
キトラ古墳での具現化:陰陽五行が日本の古墳にまで影響し、視覚的なミーム、壁画として表現された。
ミームの重要性:
この過程全体は、文化的なアイデアが模倣を通じて伝わり、進化していく典型的な「ミーム」の流れです。特に道教や陰陽五行は、元々は老子の思想から始まり、次々と新たな要素が加わり、地域や時代を超えて広がっていきました。このようにして、最初のアイデアは他の文化的コンテクストと交わりながら変容し、日本のキトラ古墳のような形で新しい意味を持つ文化要素となっていったのです。
この観点から、老子の教えから道教、日本への陰陽五行の伝播という流れは、まさに「ミームの伝播と進化」のプロセスを示しているといえます。「老子の思想から道教が発展し、それが日本のキトラ古墳にまで陰陽五行思想として伝播した流れ」をミームとして説明することは、文化的なアイデアや信念がどのように広がり、模倣され、進化していくかを理解するのに役立ちますね。
おわりに
思うに、様々な文化は極東に位置する日本に輸入され、融合し、そのエッセンスが相乗効果を生み出し、新しい文化が創造されてきたと感じます。例えば、カレーパンや日本の国民食とも言えるラーメンといった食文化だけでなく、日本の仏教の多様性や神道の深い文化的背景も挙げられます。こうした多様な要素が、極東の日本で独自の形として花開いているのを感じます。
そして何より、日本人の寛容性が、こうした文化の受け入れと進化を可能にした重要な要素だと思います。この民族性があったからこそ、日本の文化はこれほどの深みを持ち、今もなお進展し続けているのです。その根底には、神道の象徴である天皇が、神官として国を祈りでまとめてきたことが大きく関わっているのではないでしょうか。歴史の中で様々な出来事があったとしても、大規模な文化破壊が起こらず、伝統が脈々と継承されてきたことは、まさに奇跡の極みだと思います。
日本に生まれたことを、心から誇りに思う瞬間です。キトラ古墳を通して、ここまで深く感じるとは思いませんでしたが、驚きと感謝の気持ちを噛みしめています。
お読みいただき ありがとう!