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星丘公園、交流棟の屋上にて。

自分が住んでいる和歌山の最高気温が今日(9日)、30度を下回った。パッと調べたら7月27日に夏日を記録してから昨日までずっと最高気温が30度を超える日々が続いていたという事になる。そりゃそやろ、8月クソみたいに暑かったもん。じゃあ夏日の連続記録が終われば夏も終わりか、と言われると季節とはそう単純なものでもないのだろう。

季節感、を大事にするような環境で育ってきたように思う。実家の庭には桜の木があり、春には庭でお花見をした。夏はごく小さい集落のお祭りでも各集落がメンツを張り合うように町中で花火が打ちあがる。秋は当たり前のように食卓に栗ご飯が並び、冬は祖父が立派な門松を作り、祖母が餅をついたり年越しそばを作ったり、おせちを用意しながら新年を迎える。四季を身近に感じながら過ごしていたから、季節に関しては自ずと敏感になる。

じゃあ人一倍季節に敏感なあなたが選ぶ、好きな季節は何ですか?と聞かれると答えに困る。どの季節も好きなもんは好きやし、嫌いなところは嫌いやし、、、 でもその代わりに、苦手な季節は何ですか?という問いには即答できる。

秋。かなり秋に苦手意識がある。

暑さも和らいで、過ごしやすくなって、何かを始めるにはちょうど良いと言われる季節。○○の秋、なんて言葉もあるくらい。食べ物もおいしいし、文句言うなよと怒られそうでもある。

それがダメなんです。そこが苦手。

夏が終わって、日が短くなる。それだけでもちょっと寂しいのに、涼しくなって肌に触れる秋風は自分を現実へと引き戻す。「そんなことやってていいの?」「そんな考えでいいの?」夏の復習というか、今までの1年間の振り返りを強要されるような気分になる。冬になってしまえば寒すぎて、余計なことを考える余裕もなくなってしまうだけに、1年の中でもごくわずかな過ごしやすい気候は、自分を堂々巡りさせるには最適の環境になってしまう。堂々巡りをしているときに何か行動しても大抵上手くいかないし。一方的に秋への苦手意識がある。

決定的に秋が苦手になったのは、学祭で星丘公園を聴いたから。学祭って朝から晩まで1日中やってる、まさに文字通りのお祭りである。屋台も出店したり、ステージで様々な企画が行われたり。その祭りも終盤、軽音部のステージの時間だった。夕焼けから夜に変わる黄昏時に聴いた星丘公園が忘れられない。その時の自分の全てが噛み合わなかった状況、夕闇、歌声など全てが合わさって、ひたすらに感傷的になったことを覚えている。

ガールズバンドの曲を、男臭く歌い上げる声が空に吸い込まれていった。

エモさが滲み出るメロディーに、これでもかと言うくらいに一瞬を切り取った歌詞(と自分は解釈している)。

今この瞬間が大事で、大事なはずなのに噛み合わず、うまくいかなくて、季節は移り変わっていくけど自分の心だけ取り残されてる感覚になってたような気がする。あぁ、この感覚すげえ苦くて、苦手。秋が苦手になったのはこの時から。自分の中のネガティブな感情を全部えぐりだされたような感覚。何となく見ないように、向き合わないようにしていた感情と向き合うきっかけをくれた曲、ってかライブだったようにも思う。今思うと。この曲をチョイスして歌ってくれた軽音部には感謝してます。自分にひとつのきっかけをくれた、そんな歌に出会えたから。

秋は嫌いなわけじゃない、苦手なだけ。自分の弱い部分と向き合う季節。

今年もその季節が来ると思うと少し憂鬱である。自分の中にある、どうしようもない感情をどうやって整理していくか。

昔から答えのない問いを考えるのが好きだった。自分の考えとか、言葉にして考えるにはいい季節なのかも。今年の秋も、誰かと飲みに行って、答えのない話を延々としたい。

どなたか一緒に、ここらで一旦、人生の復習しませんか。

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