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三月の風、春うらら。

今日は3月1日。県立高校の卒業式の日だった。
てかこれって全国共通なのかね。地元も和歌山も一緒なのね。
しかしまあ、今日の和歌山はいいお天気で。季節外れの暖かさで、穏やかな日差しが降り注いでいた。明日(3月2日)は雨で風強い予報だから本当に卒業式が今日で良かった。街を歩く学生は、制服のポケットに花の飾りを差していたり、抱えきれないほどのプレゼントを持っていたり。多幸感あふれる光景だった。
自分が高校を卒業してから、もう5年が経った。まだ5年しか経っていないのか、人によって感じ方は違うと思うけれども。ついつい自分と重ね合わせて考えてしまう。

卒業おめでとう。

この言葉の意味が本当にわからずにいた。というか、今でもよくわかっていない。なにがおめでたいのか。なぜおめでたいのにみんな泣くのか。別に一生このままでもいいし楽しいし仲間もいるし、三月がずっと続けばいいと半分冗談で、半分本気で思っていた。それだけ、高校生の3年間が居心地が良かったということなのだろう。
尾崎豊みたいなことを言えば、何からの卒業なのか。支配されてたつもりもないし、ガラスを割って回るような高校でもなかった。何事にも一生懸命で、勉強はいつもしているけど行事になると短期集中で全力で楽しむ。何より、真面目に一生懸命取り組むことがダサいみたいな、斜に構える人がほとんどいなかった。みんなとっくに自立できていて、とっくに何かから卒業しててもおかしくない人たちばかりだった。なのに、改めて卒業おめでとうと言われても、ねえ。ピンとこないし、未だにわかってない。この言葉の意味が分かるのはもう少し年を取ってからなのかな。

卒業ソングなんて山程あるけれど、こんなに明るくて切ない曲は無いと思う。メロディだけで風景が思い浮かぶ。快晴、少し肌寒い。誰とも話す時間が足りなくて、明日からも続きがあるような卒業式の日。特に間奏の部分で、学生生活の思い出が走馬灯のようにフラッシュバックする。あなたが思い出す、卒業の風景はどんな景色ですか?

新しい街。

今思うと、よく一度にあれだけの変化を受け入れられたなあと思う。高校進学と同時に実家を出て下宿生活。全校生徒100人未満の中学校から、1学年280人の高校。同じ高知県で、車で1時間あれば行ける場所なのに、友達に地元の場所を全く理解してもらえなかったり。人生でたった1度のクラス替えは1年生から2年生に上がるときだった。昼休みの学食の人口密度に驚き、部活終わりに自転車で帰る道が街の明かりに照らされていて驚き。都会で暮らしてることをただただ実感していた。今でも思い出す。野球部の練習が終わって、初めて自転車で帰った時のこと。朝倉のフジグランの前を通って、まだちょっと肌寒い夜風に当たりながら自転車を漕ぐ。自転車のライトがいらないくらいに街が明るくて。これ地元だったら真っ暗でなんにも見えないはずなのに。高知市内には買い物やら遊びやらでしょっちゅう行っていたけど、これから住むという事実に高揚していた。これからこの街でどんな思い出ができるのだろう、自分の街になっていく感覚。その後は奈良に住み、いまは和歌山に住んでいるけど、住み始めたときの高揚感は、高校に入学したときが一番だったと思う。そんな自分の期待を裏切ること無く、溢れるくらいの思い出を街のいたる所に撒き散らしながら、卒業式の日を迎えた。

なんてことない1日だと思う。まだ進路は決まっていないので、明日も学校には来る。ただ今日は卒業式があるだけ。そう思っていても、いろんな同級生や後輩と写真を取り、寄せ書きとかもらったら思い返すことも多々あるわけで。特別な生徒だったわけでもなく、なにかで主役になったわけでもない。けれど自分を好いてくれる人がいたり、慕ってくれる人がいたり。公立中学校とは違って、同じような想いを持った人たちが同じ高校を受験して、合格して、仲間になった。ある程度同じ絵を思い浮かべて集まったから、居心地がよかったのかもしれない。卒業式の最中はそんなことを延々考え続けていたような覚えがある。

そんな自分の母校は、いまや別の高校になってしまった。次々できる新しい校舎。なぜか中高一貫校になり、学校の名前も変わった。グラウンドも変わって、思い出の中にある景色は無くなってしまった。
それでも自分は、過去の思い出に頼って自分を奮いたたせる。情けないが。形は変わってしまっても、記憶の中の風景は5年前のまま。いつまで覚えていられるか分からないけれど。忘れたくない記憶が自分の中にできたことは、確かにおめでたいことなのかもしれない。

おめでとうの意味。

note書こうかなと思いながら歩いて帰っていたら、手を繋ぎながら歩く高校生カップルとすれ違った。その子とずっと一緒に居られたらもちろんハッピー。でもその先のことよりも、その日その場所に、その子と一緒にいたことに意味があるんじゃないかなと。高校生の時ほど純粋な恋愛はないと思う。あくまで個人的見解ですけどね。
卒業おめでとう、という言葉を素直に受け止められないくらいの居場所や出会いがあって、全力で過ごせたことが、めでたいこと。それが、今の自分が解釈できる、おめでとうの意味。

世の中の高校3年生、ご卒業おめでとうございます。

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