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女として生まれたことの決まり悪さ
向田邦子のエッセイ集「伯爵のお気に入り」の中に
『含羞』という言葉がでてきました。
日本の女
お店に言ったらみんな同じものを注文する
お店の人の作る手間を考えて、「私もそれでいいわ」と親子丼を頼むというエッセイです。
アメリカ人の団体客、しかも比較的高齢の女性たちが自分の考えたものを一つづつ注文するのに比べて…
という内容でした。
現在は、最初の乾杯からお店の方が、テレビリモコンのような注文するガジェットを持って来て、個別に注文を取ってくれます。何を頼んでも良いんです。
2020年私たち日本女性は1980年にかかれたこのエッセイでのアメリカ人に変わったのです。
アメリカ人団体客の注文の様は向田邦子に強い感情を起こしたのでしょう、他のエッセイにもこのシーンのことが書いてありました。
頼んだものと違うものがでてきたとき変えてもらいますか?
これから15分かかるといわれたら、怒って空きっ腹のまま席を立ちますか?
私は昭和37年生まれ、「最初はビールで乾杯!」の世代です。
今でも、値段の高いものがでてきたら交渉して、安くしてもらってそのまま食べるかも。
安いものだったら、ちくっと嫌味を言うかもしれません。
どちらにしても食べる派。
さて、『含羞』
ひと様の前でみっともないことをしたくないのは見栄であり『含羞』であると向田邦子は書いています。
含羞をはじらい、つつしみといいながら、もっとちがう、「女として生まれたことの決まり悪さ」がはいっている。
あ~、そこそこ、男性には気づかれない、
なぜ女であるばかりに普通に考えることと違うことを考えなければいけないのかと思うことがあります。
男女共同参画だって、男性は考えなくても生きて行かれます。
女性はそれを考えることで、ひと手間かかる。
昭和5年生まれの向田邦子さんはそのひと手間を「女として生まれたことの決まり悪さ」と表現したのだと思います。
向田さんはエッセイの中で日本女性のこういうところが嫌いではない。生きることへの畏れの上に権利や主張が花咲いてほしいと結んでいます。
長生きしてほしかった。
そして、自分の食べたいものを注文してほしかったなあ。
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