熱心に神を探し求めてください
時間が未来からやってきて人間は、何かを現在で作り、作られたものは過去で崩壊する。神が天地を創造し、今ある世は欲望と共に過ぎ去りつつあり、火のために留め置かれている。この世界が呪われたのは、悪魔とアダムとエバが第一原因。イエスさまの十字架での死と復活がそれを祝福へと変えてくださった。信じる者に父なる神はイエスの名により、永遠の命を与えてくださる。信じる者は必ず聖徒の正しい行いをする。彼らには、白い衣が与えられ、その衣を汚さなった者たちが、神に選ばれる。信仰とは信じた者がイエスさまに従うこと。この話を聞いて同意できるなら、あなたは真理の霊をもっている。聞かない者はすでに、悪魔に捕らえられており、真の悔い改めを神からいただいて、信仰の意味を悟り、世の指導者たちの嘘を見破る必要がある。神は全知全能であるから神を騙す事はできない。教えている人が神の御心を行っているのではない。パウロが手紙で書いていたように、「人には盗むなと教えておいて自分では盗むのですか?」という言葉の意味が分かるなら、「人は行いで救われる」ということが理解できるはずです。神の御心は、あなたが聖くあって愛の人となること。ここで、必ず、世のキリスト教指導者はこう付け加えて言います。「自分の力でがんばって行うのではない。」こう言うことで、あなたは何もしなくていいと言っているようです。そういう印象を与えているのです。聖書は一世紀当時の御霊を受けていた信者たちに対して書かれました。現代の人たちで、御霊を受けている人たちは本当にいるのでしょうか?少数はいるはずです。信じたらすぐに御霊を受けるのではなく、イエス様が言われたように、聖霊を神に求め続ける必要があります。キリストの御霊を持たない人は、キリストに属していません。こういう人は、自分の肉と考えとの欲することを行います。自己中心的で神と隣人を愛さず、神の言葉を聞きません。たとえ、教会に通っていても、神の御言葉の意味を知らず、また関心もないからです。確かに、神の御言葉を実践できないはずです。キリストと結びついていないからです。聖書にそう説明されています。それは、熱心に神を求めていないからです。悪魔が信者を神から引き離そうとやっきになっています。世に勝利するには、あなたがイエスさまのために命を捨てる覚悟をもつことです。イエス様に信頼することです。これが本物の信仰です。あなたが命をかけて、神に従うとき、神の愛を知ります。ただ聞くだけで、行わない人は愚かで滅びます。御霊を持たず、神の愛を知らないからです。愛は恐れを外へ追いやります。父なる神とイエス・キリストを知るとはどういうことか?知ることが永遠の命を意味するとはどういうことか?それを知りたいと本当に思われるなら、パウロは「熱心に神を探し求めてください。」と手紙に書いてくださいました。次もパウロの言葉です。「重要なのは、神によって新しくされることです。」アーメン。