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アール・デコからヴィンテージへはいる
アール・デコ的デザインが昔から好きだ。まだ「アール・デコ」という言葉を知らないときから。
アール・ヌーヴォーに比べ、アール・デコはそう広くは知られていないようだ。「何?アール・デコって?」と言われることが多い。今スマホで「アール」と入力すると予測に「・ヌーヴォー」は出てくるけれど「・デコ」は出てこないし。
アール・デコとはなんぞやと問われると、「機能美」の一言に尽きるだろう。
アール・デコの話をするならば、必ずアール・ヌーヴォーの話もしなくてはならない。アール・ヌーヴォーは姉、アール・デコは妹の関係だ。
アール・ヌーヴォーは19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで花開いた装飾美術をいう。ミュシャの絵画をイメージしてもらえるとよい。あれが典型的なアール・ヌーヴォー的芸術だ。
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有機的、曲線的、女性的なデザインがアール・ヌーヴォー芸術の特徴だ。
そして時が下り第一次世界大戦の時代になると、無機的、直線的、男性的なデザインのアール・デコ芸術が誕生する。例えば、アール・ヌーヴォーとアール・デコの腕時計を並べるとこのような違いがある。
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アール・デコが発展した時代においては無用な装飾は否定され、優美でありながらも過不足のない機能的な美がもてはやされた。
一方で、アール・ヌーヴォーは時代遅れの退廃的なデザインとみなされるようになる。アール・ヌーヴォーが再評価されるのは1960年代になってからの話となる。
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アール・デコへの愛はたしか他の記事でも語ったような気がする。カルティエのマストタンクを買ったときの記事かな。
アール・デコは機能性と美しさを両立する素晴らしいデザインだ。この世には機能的でもなければ美しくもないものすらたくさんあるというのに。
美しさと機能性は二者択一のように語られることが多い。「おしゃれは我慢」という言葉があるように。
しかし、機能性の低い、自分にとって心地よくないものを、たとえそれがどんなに美しかったとしても、自分のそばに置いておく理由はないようにはわたしには思える。
わたしは子供の頃から機能性重視タイプで、ジャージを着ては母親に「せっかくなんだからもっと可愛い服着たらいいのに」と言われたものだった。女の子らしい服が苦手だったわけではないが、女の子らしい服というのはあまり着心地がよくなかった。それこそ「おしゃれは我慢」と言わんばかりだった。
機能性と美しさが両立できないと思うととても悲しかったが、いやいや両立できる、むしろ機能性こそが美しさであると見せびらかしてくれたのがアール・デコである。
アール・デコのデザインが好きだが、アール・デコっぽいデザインのものになかなか巡り会えないと友達に漏らしたら、「アール・デコは20世紀に流行ったデザインなのだから、新品ではなく、ヴィンテージで探してみては?」と言われた。
言われてみればそれもそうだ。アール・デコの最盛期は20世紀で、現在ではない。わたしはこれまで中古品をあまり買ってこなかったため、言われるまでヴィンテージで探すのが最適だと気づきもしなかった。
というわけで、最近はヴィンテージのデザインのファッショングッズを探すことを楽しみにしている。中古品の良し悪しを見定めるにはそれなりの経験が必要になる。たまに失敗するがこれも経験のうちと思って割り切ることにしている。
ヴィンテージの商品を見るようになってから思うのは、デザインって豊かだなあということだ。今、世の中には商品が溢れていて、それに伴ってデザインも溢れているように思えるけれど、そうではないのだ。
1940年代、1960年代には現在ではまず作られないようなデザインの服飾が作られていた。わたしがこれまで新品の商品を通して見ていたのは、2020年代のデザインだけだ。そしてデザインは2020年代のデザインがすべてではない。
デザインは変わるがスタイルは不滅なのだと思う。
わたしがヴィンテージのアール・デコ的デザインの腕時計をつけていると、「あなたの雰囲気によく合っている」とよく褒められる。これはわたしがアール・デコ的デザインが好きで、それをスタイルとして身に纏おうとしているからだ。わたしがアール・デコ的スタイルを堅持したいと思っているうちは、1960年代に作られたわたしの腕時計は古臭くならない。
ヴィンテージだが、単純に新品を買うより安いのもいい。
「オールドグッチ」というカテゴリーがあると最近知った。グッチ一族が手がけた1970-1980年代に作られたグッチ製品をそう呼ぶ。オールドグッチは、アール・デコの残り香とでもいうべきか、優美さと機能性を両立させているのでとてもわたしの好みだ。
2024年現在、グッチのショルダーバッグを新品で買うと、20-30万円程度かかる。一方でオールドグッチは、ほぼ未使用と見られるとても状態のいいショルダーバッグが5万円前後で手に入れられる。わたしは今のグッチよりオールドグッチのほうがデザインが好みだし、さらにお手頃なのでとても嬉しい。
ヴィンテージ品の見極めにはまだまだ経験が必要そうだが、しばらくはアール・デコの残り香を楽しみたいと思う。