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はつこい

20歳になる娘は初恋もまだ。
「ママが知らないだけだよ。そんなことあるわけない。」
この話をすると誰もがこう言って笑うけれど、90%の確率でこれは真実だ。女の感、というしかない。それとも、本当に私が知らないだけなのかしら。そうならいいなとちょっとだけ思っている。実際、娘はある日、こういった。「本当のこというとね、私、誰かを好きになるってどういう感情なのかよくわからないんだよね」

私の初恋は幼稚園年長の時だった。当時、めずらしく1年保育という状態で、年長組に入った。すでにほとんどの子たちが幼稚園生活2~3年目で、今思えば完全にアウェイ状態だった。しかもたったひとりだけいた近所の仲良しのお友達は隣のクラスで、ひとりっ子だった私にとっては大きな試練だった。

今も忘れられないのは、消しゴムの色だ。女の子は全員ピンク、男の子はブルーの消しゴムを使っていた。なのに、私の手元にあったのはブルーだった。多分、配布間違いだったのか、在庫がそれしかなかったのか、今となってはわからないけれど、それを嫌だと自己主張をする、なんて思いもよらなかった。丸テーブルの真ん中にそのテーブルに座った子の消しゴムを集めてあって、そこから何かあるたびに使用するのだけれど、私はそのブルーが嫌で、懸命に誰かピンクとすりかえようと試みたが、成功するわけがない。ただでさえ、居心地が悪いのに、まるでその消しゴムが自分かのように感じたんだとおもう。

さらに、母はわたしに数字を教えていなかった。かきかた帳に数字を書く、という練習があったのだけれど、数字ってそれなに?というかんじで、さてなんのことだかわからない、隣の男の子を見たら、10マス縦につながって一本の縦線を引いてある、「ふ~ん、こうするんだ」とまねをして、「あらちがうのよ~」と先生に注意されて、ひどく恥ずかしい思いをした。これに限らず、私はかなりおっとりと育ったらしく、何も知らなかった。ほんの小さなころから夢見る夢子さんだったのかと、いまこれを書きながら再認識している。

昼休みというものの存在も、のんびりと育った私には苦痛だった。ひとりっ子というのは、そもそも大人社会で育っているので、子ども同士の付き合いが下手だ。特に私は家の中の遊びが好きだったし、お転婆をしなかったので、のちのち苦労することになるのだけれど、今思えばすでにこの時から始まっていた。

ほぼ毎日を給食室の裏庭でひっそりとままごとをしたり、だんごむしをつかまえたり、きれいな砂を集めたりして過ごしていた私は、給食のおばさんたちにかわいがられていた。おばさんたちも幼稚園の子どもだから、高をくくっていたのだろうと思うけれど、よく噂話をしていた。あるとき、その内容が気になって、おばさんたちに質問をした。するとおばさんの一人がこういった。「あら、じごくみみだね」と。家に帰って母に自慢げに「お母さん、今日、じごくみみって言われたよ!」と報告したと思う。びっくりしたのは母だ。「なにやったの?」と追及されて(っていうか怖かった)「じごくみみってよくないんだ」と心に刻んだ。

そして極めつけはひろしくんだ。ひろしくんは私にちょっかいを出して、いろいろといじめてきた。女の子をいじめる男の子、というのが存在するけれど、まさに彼がそうだった。このあと、中学までずっと同級生だったのだけれど、ずっと彼には近づかなかった。ぴーぴーすぐに泣く私は格好の餌食だったんだろうと思う。

ある日のことだった、この日も運動場でひろしくんにいじわるをされていた時に、「やめろよ!」と両手を広げて、私の前に立ちはだかった男の子がいた。おおさわくんだ。夢にも思っていなかった守ってくれる男の子の存在に私はびっくりした。なにがなんだかわからないけれど、かっこいい、というものを初めて知った日だった。この日から彼は私のヒーローになった。まさに初恋だった。当時から奥手だった私は当然好き好き光線を送ることも、熱烈アプローチをすることもなく、そっと彼を慕っていた。初めて胸に広がった甘酸っぱいさくらんぼのような想いになすすべもなかった。

そしてそれはある日、むごいことにぷっつりと断ち切られることになる。おおさわくんが転校することになったのだ。ショック、ということを身をもって知ったのもこの時だった。だって、今でも忘れられないもの。そして、おおさわくん登園最後の日、みんなで玄関までお見送りすることになった。給食のあとの昼休みだった。言い忘れていたけれど、私は給食を食べるのが致命的に遅かった。この日も時間内に食べられず、ひとり、残されてぐずぐず食べていた。一番奥の教室だった私は、みんなが玄関でとしくんを見送るのを、べそをかきながら、遠く離れた廊下の奥の教室からそっと見送った。逆光だったため、おおさわくんの顔は見えず、シルエットしか見えなかった。あの日の廊下の風景は今もくっきりと覚えている。

ある日、初恋の甘酸っぱさは突然訪れた。そしてその初恋は、誰のせいでもなく、給食のせいで短くも儚く散っていった。すてきな初恋の話はたくさんあって、小説や映画の世界の美しい物語にあこがれも抱くけれど、美化しようもない小さなころの私の体験だ。

言葉に表すのは難しいけれど、感情って不思議だ。教わっていなくても、自然と溢れてくるのだから。恋、なんて知らなかった幼稚園児の私に芽生えた初恋は、大胆にもあれやこれやいろんな色彩を残して、さらりと消えていった。あの記憶を心が覚えていて、手さぐりしながら、そのあとの恋をしてきたのかもしれない。

だってあまりに甘美で愛おしい記憶だったから。