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最後のラポールと身体知だった。 この講座では、社会における強さと弱さ、繊細さと鈍さについて考え続けた。 自分自身の過敏な性質から、講座は自ずと繊細さと弱さに寄っていた。 しかし、鈍さもまた弱さである。繊細であることも鈍くあることも変わらない。 鈍く見える人の中には繊細さがあり、繊細に見える人の中には鈍さがある。 繊細であることを良しとすれば、鈍い、繊細と判断してしまった両者の中の繊細さ、鈍さを見ようとせず、鈍く見えるものへの暴力が生まれてしまう。まさに自分がそうだった。