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「事例研究」って、どう使う?
青少年に向けたレッスン、とりわけ「セミナリー」において、必ずと言っていいほど登場するのが「事例研究」、いわゆるケーススタディです。
これは「実際に起こった事例や想定される事例」を分析、検討することによって学ぶ研究手法で、教会のレッスンでは、何らかの問題を抱えた登場人物がいて、その人物の問題を解決するにはどうすればいいかと考える学習がよく行われます(テキストには、その事例が必ず載っています)。
そして、これは筆者の個人的な考え、印象なのですが、この「テキストに載っている事例研究はとにかく使いづらい」のです。
そのため、筆者はテキストに載っている事例研究のケーススタディはほぼレッスンでは行いません。
今回は、なぜ「テキストに載っている事例研究」が使いづらいと感じるのか、どうすればそれをうまく使うことができるのかについて、考えてみたいと思います。
問題1:事例が、とにかく曖昧!
今回noteに書こうと思って「事例研究がなんで使いづらいのか」について徹底的に調べて分かったのは、とにかくテキストに載っている事例研究の例は「曖昧な部分が多すぎる」ことです。
例えば、今年のセミナリーの実際のレッスンテキストには次のような事例研究のケースが載っています。
アバは,「ジョセフ・スミス-歴史」と教義と聖約を研究し始め,良い気持ちを感じていました。しかし彼女は,ソーシャルメディアで預言者ジョセフ・スミスに関する否定的なコメントを目にし,困惑して,不安な気持ちになりました。
この事例に関して、テキストでは「なぜ彼女は困惑したり、不安になったりするのでしょうか」といった質問するとよいと書かれています。
しかし、アバがどうして困惑したのか、不安になったのかは、この事例の文章だけではあまりにも情報が少なく、その原因を探すことができません。
また、テキストでは「霊的な知識を得るための原則が,この状況でアバにとつてどんな役に立つのかをブレインストーミング」するよう勧められているのですが、アバが読んだ「SNSでの、預言者ジョセフ・スミスに関する否定的なコメント」がどんな内容なのかが書かれていないため、アバに対する助言を考えることできがないのです。
もし、その否定的なコメントが「ジョセフ・スミスの人間的なことに対するもの」なのか「預言者という召しに対するもの」なのか「ジョセフ・スミスが教えたことや行ったことに対すること」なのかで、アドバイスの内容が変わってきます。
しかし、否定的なコメントの内容は書かれておらず、その結果としてブレーンストーミングやディスカッションは曖昧で、浅く、掴みどころのないものになってしまうのです。
他の事例の多くも、状況の設定に曖昧な部分が多く、それが事例研究を使いづらくしている原因となっています。
問題2:事例が重すぎる! 話し合うには時間が足りない!
また、テキストに載っている事例には、おそらく意図して作られていると思うのですが、事例が深刻、重すぎるものが多くあります。
例えば、次のようなものです。
トロイの両親は,彼が幼いころに離婚しました。トロイは両親のどちらとも仲良くしていますが,両親はいずれも,結婚しなければよかったと思っているようにトロイには感じられます。彼はまた,たくさんの夫婦げんかやストレスも目にしてきました。彼は,結婚に価値があるかどうか,疑問に思っています。彼は,自分が結婚したいかどうか,よく分かりません。
重い、重すぎる……。テキストにはこの事例の問題点を探し、その解決方法を話し合うように書かれているのですが、こんなに重く、難しい問題を「数分~十数分の話し合い」で解決できるわけがありません。時間が足らなさすぎます。
この事例ではあくまでトロイ本人の問題を考えるわけなのですが、それが「両親と家族関係の問題」なのか、または「永遠の結婚の価値に関する疑問」なのかで、また話し合う内容も解決方法も変わってくるでしょう(テキストを読む限りでは「結婚に関する疑問」の方だと思われますが、それと家族や夫婦関係の問題を切り離して考えることは、あまり意味がないことです)。
問題の深刻度合い、重さが振り切っているのです。
問題3:だいたい答えが決まっている!
この問題は教会のレッスンだけでなく、事例研究全般に言えることなのですが、「事例研究」という学習方法は「問題の原因を特定し、その解決方法を検討し、再発を防止するための枠組みを作る」ために行われることが多い手法です。
つまり、問題を「直接」的に解決するにはどうすればいいのかを協議するた際に用いられる方法です。
そのため、問題解決のためにできることは自ずと決まってきて、その結果、「特定の答えに誘導されてしまう話し合い」しか持てないことが多いのです。つまり、最初から答え、結果が決まっている「出来レース」なのです。
そのような話し合いでは深く考えて、御霊の霊感を得ることはできません。
質問を考える際は、問題解決を直接問うとあまりにも広範囲かつ膨大な議論が必要で、とてもレッスン時間内では話し合えません。
テキストに載っている多くの深刻な事例は、すぐに答えが出ないから、すぐに解決できないから問題なのです。そんな数分間話し合ったぐらいで解決できたら苦労しません……。
もしこのような問題が実際に起きた場合、それは大人でも解決が難しく、ワードの評議会で多くの指導者が知恵を出し合って話し合われるべき問題だからです。
……さて、この事例研究をレッスンで活用する際の問題を考えれば、以上の大きく3つの問題が浮かび上がってきます。
レッスンで活用するには、これらの問題点をクリアしなければ使えません。
そこで、そのための方法を最後に述べておきたいと思います。
活用法1:細部を設定するor仮定する
もし事例の設定が曖昧で何を話し合ったらいいのか分からない場合は、「事例の細部の設定を付け足す」方法が使えるかもしれません。
前述の事例の場合であれば、
アバは,「ジョセフ・スミス-歴史」と教義と聖約を研究し始め,良い気持ちを感じていました。しかし彼女は,ソーシャルメディアで預言者ジョセフ・スミスに関する否定的なコメントを目にし,困惑して,不安な気持ちになりました。
ジョセフ・スミスに対する否定的なコメントがどのようなものなのかを、教師が祈りをもって考え、盛り込むようにします。
例えば「預言者の務め、預言者に従い、支持する」ということを話し合う活動にしたければ、「預言者の召し、務めに関する否定的なコメント」だとすることができますし、「人間的な弱さ、欠点があっても指導者を支持できる」ことを考えてもらいたければ「ジョセフ・スミスの人間的な部分、欠点に関する否定的なコメント」とすることができると思います。
あるいは、この事例の「コメントの内容がこういうことだと仮定すると、どんなことを感じますか」といくつかのパターンを仮定として提示したり、生徒が好きなものを選んで、それについて話し合ってもらうことで、曖昧ではなく、明確な話し合いができると思います。
これは、ハッキリ言って難しいことです。最新の注意と祈りが必要だと思います。でも、やってやれないことはないかと思います。
活用法2:問題を分ける
事例で扱われている問題が重すぎて、レッスンの時間内に話し合いきれないレベルの問題の場合は、その事例の問題の中で、生徒が「深く考えるべき項目」に集中できるように「制限、制約」を設けることで、レッスンの時間内で考えやすくすることができます。
トロイの両親は,彼が幼いころに離婚しました。トロイは両親のどちらとも仲良くしていますが,両親はいずれも,結婚しなければよかったと思っているようにトロイには感じられます。彼はまた,たくさんの夫婦げんかやストレスも目にしてきました。彼は,結婚に価値があるかどうか,疑問に思っています。彼は,自分が結婚したいかどうか,よく分かりません。
上記の事例であれば、「トロイが結婚の価値を感じるためにどう助けられるか」「両親の離婚に傷ついているトロイをどう助けられるか」「離婚した両親との関係性において、それを良いものにするためにトロイをどう助けられるか」といった感じに話し合う問題の内容に関して「範囲」を制限することで、この事例を使ったディスカッションが容易な、レッスンの時間に合ったものになるでしょう。
または、直接的な解決方法を探すのではなく、その問題点を分けて考えたり、感じることを分かち合ったりして、特定の答え、解決方法を決定しないことで、逆に色々な面からの助ける手段を発見することに繋がります。
トロイに笑顔で挨拶をすることも助けになりますし、悩みを傾聴だけでトロイは問題解決へと歩みが進むでしょう。このように様々な答えが考えられるようにした方が霊感を感じやすいのです。
活用法3:質問を工夫する
事例に関して、話し合いを促すための霊感を招く質問を工夫することで、事例研究をさらに充実したものにできます。
事例研究のデメリットは、なかなか「自分ごと」にならない点です。結局は誰かの問題であり、生徒としてはアドバイスする立場になります。つまりは他人事に感じてしまいます。
なので、一番良いのは、どこかの誰かではなく問題の当事者が「自分自身」だと仮定して考えてもらうことです。
あるいは、今の自分が「その問題に悩む未来の自分にアドバイスをする」という想定で考えてもらっても面白いかもしれません。そのアドバイスを後で未来の自分が読めるようにノートに書いておくのもいいでしょう。
さらには、事例の中で「問題を抱える状態や悩みを感じる状態」までいかずに、その手前で問える質問を考えるのも方法の1つです。
例えば「SNSの否定的なコメントを見た彼女はなぜ困惑したり、不安になったりするのでしょうか」ではなく、「あなたがSNSで預言者ジョセフ・スミスについての否定的なメッセージを見かけたら、どうしますか」と質問することで、これも「自分ごと」として考え、話し合うことができます。
活用法4:裁かない
これはもしかしたら事例研究のディスカッションやレッスンとは直接的に関係がないかもしれませんが、人を「裁かない」という視点は、問題を抱える人を助ける上で重要な要素になるのではないかと思います。
人間は弱く不完全なので、多くの問題を抱えます。しかし、その詳しい事情はなかなか外から窺い知ることができないものです。だからこそ、安易に裁かずに、愛を示すことをしなければならないと思います。
事例研究だと「この行動が間違っている」「この考えがだめだ」「そもそも、信仰がある人ならこんなことでは悩まない」といった人を裁くような議論に繋がりやすい状況があります。
しかし、問題は問題として、その人に「愛を示すにはどうすればいいか」「どういう方法で愛を示すことができるか」を考えることで、より実践的に、具体的に人を助け、福音を学ぶことができるのではないかと思います。
筆者はなかなか事例研究は使わない手法なのですが、こんな方法を参考にしてみると、うまく使えるのではないかと思います。